「見つけた、ぼくの……宝石」
最近、俺は人間に付きまとわれている。雪山の麓、ひとりで静かに暮らしていたはずの俺は、この男のせいで密やかな日常を粉々にされてしまった。
人がやっと一人入れるサイズの洞窟。タンドンの俺にとってはこれでも広いぐらいだ。
近くに人間の集落があることは、知りたくもないが知っている。なるべく彼らにも、そして他のポケモン達にも邪魔されない場所を住み処にしたつもりだった。
しかしまだ大人になったばかりにも見えるこの少年は、何故か俺を見つけてしまった。そこで終われたのなら、今も俺は静寂と睦まじくしていただろう。
雪の白さを写し取った姿に、夜のとばりを降ろした菫青石の双眸を埋め込んだ男が見下ろしてくる。きっと美しいとはこういうことを言うのだろう。正反対の俺は返答の代わりに鋭く睨んだ。
「今日こそ……相棒になってくれませんか?」
うんざりだった。逃げても逃げてもこの男は何故か俺が身を隠す洞を見つけては、決まり文句を並べたてる。その度に俺は首を横に振る。いたちごっこは、前の雪の少ない頃から、再びまた雪の少ない頃まで続いていた。
次はどこへ逃げようかと、今まであった洞窟の場所を反芻する。
「こんな所に隠れているのは、もったいないです。たくさんのひとにきみの姿を見てもらうべきだ」
「ゴ!」
少年が手を伸ばすので、俺は後ろの壁まで後ずさる。人間の前に姿を見せるなんて、絶対に拒否したい。勝手な顕示欲の道具にされるのはごめんだ。すると彼は、座ったままの姿勢で、鞄から袋を取り出した。そしてひっくり返すと、ばらばらと黒い破片が転がる。ふわりと立ち昇るのは大好きな香りだ。つい味を思い出し、動きそうになった車輪を止めて、再び見上げる。
「……まだダメですかね。これは……月並みですがぼくの気持ちです」
彼は来るたびに、俺の好む鉱物を持ってくる。そうやって俺を懐柔しようとしているのだ。もう俺は人間と一緒にいるのはこりごりだった。このかしましい男と居たところで、どうせ変わらない事が想像できる。彼が何度来ようと、返事は決まりきっていた。でも。
「……また来ますから。……今度はぼくを、一緒に……」
彼がここから去る間際、菫石の眼に、黄昏時のような光が灯る一瞬だけは、いつも目が離せなかった。男の名前は、マクワという。
◆
人間の笑い声がする。俺は動けないように身体を押さえつけられて、振り回されたり、弄りだされて、身体の石炭を千切り取られる。それが終われば鋼鉄の刃先がギリギリと身体を抉っていく。擦れて熱を持った部分が、酷く痛い。俺たちは我慢強いと言われているが、それでも一刻も早く逃げ出したくてたまらない。元々小さな身体が、さらにさらに小さく切り刻まれて、苦しくて、悲しくて、どうしたらいいかわからない。
たくさんの仲間と共に鉱山で暮らしていた俺は、突然、雪景色の街の中に連れ去られた。始まったのはこの世とは思えない地獄。人間は俺の石炭が欲しくて酷いことをする。欲しいものはなくても玩具のように扱った。悪いことをする時には、「えんまく」を作らされ、時に小石を投げつけて追手を撃ち落とす。
「焼き尽くしてみろ! もっと、もっとだ、連続で!」
男が言う。まだ未成熟な炎をぎゅっと集めて、解き放つ。限界はすぐに訪れて、俺はばたりとその場に倒れ込む。
「チッ……ダイヤが出来ると聞いたが……使えねえ」
最後に蹴りあげられて、その日は終わった。時には雪に対抗して、俺の体温を使いたいと理不尽な理由をつけて熱で炙る。痛くはなくても、じりじりと身体を蝕んでいるのがわかる。終わったときにはくたくたで何もできなくなった。僅かに与えられる食事だって、鉱山の鉱石の方が何倍も美味しい。ひとりぼっちで寂しく哀しみばかりを湛える心が、この地の静けさと寒さに育まれていく。
ある日、男たちは何かを飲み合って、ご機嫌に倒れていた。はしゃぎすぎてうっかりしたのか、俺を縛り付けるものはない。さっきまでダイオウドウに弄ばれてふらふらだが、逃げるチャンスは今しかなかった。俺は、ふわふわと降り注ぐ雪の中を逃げて、逃げて、時に氷の上を滑りそうになりながら、森の奥に辿り着いた。ちょうど良さそうな洞を見つけて、身を隠すことにした。
白雪上の轍は、俺の居場所を知らせてしまう可能性があるので、あちこちぐるぐる巡る事でたくさん足跡を残し、目くらましをする。
しばらくは俺を探し、森の中を走り回る男たちの姿を見ながら隠れていたが、ぱたりと止まった。だがそれでも、幾度の夜を越す間は、いつかまた捕まるのではないか、あの場所に戻されるのではないかという恐怖が孤独の隣に居続けて、長く眠れずにいた。
外から入る光の眩しさに、目を覚ます。既にその頃の洞窟よりも、暗く湿った岩壁に代わっている。
嫌な夢を見てしまった。悪い記憶の反芻だ。先日あの男が来たせいだろうか。あいつだって俺の事を利用したいのだ。
人間のことはちっともよくわからないが、悪い記憶の方がずっと多い。
それから、再び誰もいない安寧が還って来た。天気も安定しており、どこへ行くこともないが、ただただ過ごしやすいことは幸せだ。やっと諦めたのだろうか。
突然、ドン、と何かがぶつかるような音がした。ポケモン達が暴れているのだろうか。
しばらく何度も何度も繰り返されて、続く爆音に落ち着けなくなり、発生源を調べに行くことにした。もし脅威だったら、また隠れ家を変えよう。
昨日降ったばかりの新雪は柔らかいが、下に氷が多くて車輪を転がしにくい。少し山を下ると、大きく崖になっており、木の少ない広場を見下ろす事が出来た。
ツンベアーと、対峙しているのはモスノウだ。この辺りでは少し珍しい。その後ろには、分厚いコートに身を包んだ人間がいたので、彼が連れてきたのだろう。足元には大きな荷物が置かれている。
「モスノウ、むしのさざめき」
ツンベアーが口から氷を吐く。ポケモン同士の技と技がぶつかり、高いこの位置まで強風が届く。ふと人間の被っていたフードが外れて、顔が見えた。間違いない、あの男はマクワだ。ポケモンを連れている。それもそうだ。こんな山奥に人間一人で来れるはずがない。しかし、それなのに俺を相棒にするというのはよくわからなかった。
彼のポケモンへの指示の声は、普段聞いているものよりはるかに低く、別人に聞こえる。遠くからでも険しい目付きがはっきりと分かった。かしましいと言ったが、俺と一緒にいる時のマクワの片鱗すら見えない。同一人物とは全く思えず、背中をぞっとしたものが昇る。
しばらく応酬が続いた後、ツンベアーは勝てないとわかったのか、森の奥に逃げていく。
マクワは、淡々とモスノウをボールに戻した。こちらには気付かず、背を向けて歩いていく。ドゴン。背後で大きな音が聞こえた瞬間、身体が投げ出されて氷にぶつかる。
音の発生場所が近かったせいで、本当の発生源を見落としていた。ダイオウドウの巨体が、山肌にぶつかり、大きく揺らしていたようだ。
しかし今度は明確に、鈍い衝撃が俺の身体を襲う。知っている硬さに、幾度もぶつかられた記憶を思い出す。全身がぐっと硬直するのがわかった。弧を描いて、空が見えたかと思うと、急に白い大地が近づいて、高い崖から落ちてゆく。手を伸ばすマクワと目が合った。
「見つけたぜ、ダイオウドウ、そこだァ!」
「モスノウ! 目くらましを……うああっ」
マクワの腕の中に落ちたことはわかったが、強い力を受けて、マクワの身体も遠くに放り投げだされる。その様子だけを理解して、俺の意識は遠くに呑み込まれていった。
◆
「気が付きました……?」
目を覚ました瞬間、大きな岩が目前にあった。ここはどこだろう。身体を動かそうとしたが、ずきずき痛んで動けない。身体を捩ると、掛けられていた分厚い上着がズレる。
「動いてはいけません。……よかった」
今のせられているのは、マクワの衣服に違いない。見れば奥の岩壁に背を預けた、薄着のマクワが座り込んでいる。どうやら小さな岩窟のようで、すぐ外は激しく雪が降り注いでいた。流れる冷たい風が、時折洞窟内に入り、温度を掻っ攫っていく。
「あれから滑落して……天気も悪くなり、ここに隠れました。……何よりきみの体温がぼくと変わらなくて……危ない所でした」
「ゴゴ!」
人間は俺たちよりも発熱が出来ない。そのために防寒具を纏うのだという。これはもう、マクワが着るべきだ。動かぬ車輪を引っ張れば、ほんの少しだけ動いたが、やっぱり痛みに呻いてしまう。悔しさがごおと燃ゆる。
「……心配して、くれるのですか……? ……ぼくは慣れているので大丈夫です。ずっとこの雪の山で訓練してきました」
「ゴ!」
「ぼくは……本当に運がいい。こんな時に、きみがいてくれるのですから。……ぼくを避けていたきみが、近くにいてくれて……きみは嫌かもしれないけれど……」
そんな場合じゃない。例え人間がいけ好かなくても、目の前で死なれるのは困る。
まさか俺がいつも逃げていたから、わざわざマクワは距離をあけているのだろうか。
よく見ると、片腕を抑えていて、衣服の穴のあちこちから、真っ赤な色が見えている。赤は命の色だ。俺たちとは違うものだとしても、人間の赤は、流れてはいけないものだ。マクワも動けないに違いない。時折息を吸うのも辛いのか、眉をひそめている。人よりも俺の方が頑丈なはずなのに、マクワは俺を、庇ったのだろうか。
「……ぼく、正直このまま……きみのために死ねたら嬉しいとさえ思っています」
俺はわからない。どうしてそこまで俺に入れ込めるのだろうか。今も痛々しく苦しそうだが、青菫の瞳は、俺を映して細やかに光を反射し、灰簾石にも似た輝きを放つ。
「……きみはぼくの、宝石だから……。こんなに真っ白な世界で見つける事が出来た、ただひとつの美しい色の輝き。……きみの赤い炎は、黒い意思は、回る車輪は……母さんの後ろを歩く事しかできないぼくを、きっと違う世界に連れて行ってくれる……そんな夢を、みせてくれました……。だから、いつか……相棒に出来たら……ぼくは、今度こそ外へ行ける……きみの炎で、ぼくの道が見つかる……モスノウには、悪いけど……。それでもぼくには、きみが必要なのです」
ああ、ひょっとしたら、似た者同士だったのだろうか。この白山にいるしかなく、出る方法さえ分からない、寂しいもの同士。
今までは聞き流していたマクワのうわついた言葉が、いつの間にか形を変えて、結晶のように俺の中で育ち始めている。
「きみと、一緒に……この狭い世界から出て、たくさんのものを見てみたい……」
いやだ。マクワが描いてくれた夢が、ここで絵空事になってしまうのが嫌だ。相棒にだってなんだってなる。だから、俺もマクワと、一緒に出てみたい。
助けてくれた彼を、俺も、助けたい。そう思った瞬間、全身に熱い火炎が巡る感覚がある。
ぎこちなかった車輪がきちんと転がって、上着を擦りながらマクワの近くに到着した。
俺はマクワに受け取るようにと合図する。大きなジャケットはすっぽりと俺を覆い隠してしまい、何も見えず、真っ暗だ。
「……タンドン……。……ありがとう……」
鼻をすすったマクワは、片手でジャケット越しに、俺を持ち上げると、抱きしめてくれた。
◆
豪雪はすぐに落ち着き、嘘のように晴れ間が広がった。ジャケットを着たマクワは片足を引きずる様にして、外に出る。俺を抱いたまま、ゆっくり雪の道を降りていく。
重いだろうし、負担になると思った俺は離れようとしたが、肝心のマクワが放してくれない。湯たんぽ代わりになるから腕の中にいて欲しい、というのがマクワの主張だった。
まだ警戒心の残る俺は内心びくびくしている。しかし俺を見下ろすマクワの瞳が、見た事のない程とても嬉しそうな色を湛えていたので、ちょっとだけ体温が上がった。
その時。いつか聞いた声が、俺の陰を呼びよせる。さっきダイオウドウと一緒にいた男が、木の陰から姿を現した。
「見つけた……! やっと見つけた、タンドン! おい、そのタンドンは俺のだ。返してくれ」
俺は思わず背中越しにマクワに依る。二度と見たくないと思っていた相手の顔だった。抱き上げたマクワの腕の力が、少し強くなる。
「……震えていますが」
「久しぶりの再会に喜んでるんだろうよ! なあ、タンドン」
ちらりと俺を見て、マクワは男に向かい合う。
「……残念ながら。彼は既にぼくの相棒です。お引き取り願いたい」
「は? お前勝手に人のモノ盗んで何言ってんだ? しかもそんなボロボロのなりで」
急に辺りの温度が下がった。再び暗雲が空を覆い隠し、ぱらぱらとあられが降る。こわい。どうしたらいいのか分からない。不安が伝わったのだろうか、マクワはわざわざ怪我をしている方の手でさえ、俺の頭を撫でる。
「ところでぼくは、このタンドンと少し前に知り合ったのですが」
「だろうな。俺はもっと前からの知り合いだぜ」
「タンドンの平均体重はおおよそ12kgです。しかしこのタンドンは始め、目測ではありますが、8kgもなさそうに見えました。さらに結晶構造が非常に均等で、半分黒鉛化している部分も多数見られました。これは彼の炭素が高い圧力を受けた証拠です。トロッゴンやセキタンザンのように常に高火力を有する種ならばまだしも、体内で十分な火力を作り切れないタンドンでは通常あり得ません。外部から、よほど強い圧力をかけられたか、自分で内側からかけたか、もしくはかけるように指示されたかのどちらかです。『もえつきる』という切り札がありますからね。とはいえこれは何度も頻発出来る技ではありません。自発的には行わないでしょう。前者の確率の方が非常に高い」
「ど、どういうことだよ……!」
「彼から、強引で暴力的な搾取を行ったものがいる。それは人間の可能性が高い、という事です。それもぼくと出会う前に関係があった人間……目の前にいますね」
「ッ、てめえ、行け……ッ!」
男がモンスターボールを投げた瞬間、優雅な羽根の音が舞い降りた。あられを纏い、上空から降りてくるモスノウは、まるで物語に出てくる生き物のように神々しく見える。
目の前にはダイオウドウが現れた。マクワがモスノウに指示を出しかけて、俺を見る。
ここで俺自身の力でけじめをつけない限り、またしても彼は追ってくるかもしれない。身体は震えている。正直近寄りたくもない。だが、それでも。
マクワに伝わったのだろうか、ゆっくり俺を雪の上に降ろすと、小さく笑った。
「タンドン、行けますね。どうやらぼくたちはここを越えなければいけないようで……ぼくも緊張しています。きみが戦うところを見るのは初めてですからね。えんまくできますか?」
突進してくるダイオウドウに、果たして俺の煙がどれほど届くのかはわからない。だがマクワを信じ、生成した煙をその場に吐きつける。真っ黒な煙は周囲の視界を奪い、ダイオウドウの眼を逸らした。横できょろきょろと辺りを見回すダイオウドウがいる。今でも身体がどきどきしていてぎこちない。
「良い調子です。自分の身体を切り出すことは出来ますか。ロックカットと言います」
そんな俺の様子を見てか、マクワは淡々と、冷静に指示を伝える。落ち着いているマクワが居ると、心なしか身体がスムーズに動くように思えた。
大昔、仲間に教えてもらった覚えがある。重たい身体を軽くして、急ぐ時に使うものだ。全身に力を入れて、古くて重たい石炭を切り落とす。
「まどろっこしい、早く踏みつけてしまえ!」
男が大きな声で喚く。ダイオウドウが走り回って風を起こし、煙が晴れ始める。びくりとしたが、後ろにいるマクワを振り返ると、心配そうな目で見つめていた。痛みではない、苦し気な色を湛えている。
しかし、感情は瞬きのうちに、あっという間に隠れてしまう。
「しばらくそのまま走り回ってください。小回りの利くすばやい今のきみの方が有利です」
大丈夫だ。体温が次第に上がっていく。少しずつ、心が温かくなるのが分かる。ダイオウドウの足元をぐるぐると駆け抜ければ、捕まえようと伸びた長い鼻が前足に鞭のようにぶつかったり、今度は足で鼻を踏みつけていた。ダイオウドウは困惑している。
「ヘビーボンバーだ!」
「タンドン、こちらへ!」
ダイオウドウの巨体が宙を舞い、白い粉雪が上がる。ギリギリよけきれなかった俺は、周囲の雪と共に打ち上げられた。
「そのまま追い打ちでいわを砕け! ……おい!?」
「炎を上げて、ヒートスタンプ!」
体重の大きいダイオウドウは、なんと雪の中に深く埋もれて身動きが取れなくなっている。そして軽い俺は、未だ宙にいた。マクワのしたいことが分かる。体制を整える。身体の中にある炎を全てかき集める。すると石炭の身体に炎が灯った。あたたかい。
「やきつくす」を無理矢理行ったあの日と、俺がしていることは何も変わっていない。だけど、重力を味方にすることで、必要以上の火を熾さずに済む。
だからマクワは、あえて「ヒートスタンプ」と呼んだのだ。落下することは痛いだろう。でも、過去を全て清算し、燃やし尽くせるなら。その痛みこそ、今必要だと思った。
流れ星のように、ダイオウドウの背中目掛けて落っこちる。ぐしゃ、と嫌な音がして、ダイオウドウの全身を火炎が食い破っていく。悲鳴を上げて、ダイオウドウはばたりと倒れた。周囲の雪が、あっという間に炎を消してしまい、少しだけ寂しさが残る。それでも、勝った。ずっとずっと苦しめられた相手に、俺は勝つ事が出来たんだ。マクワと共に。
嬉しさのまま、マクワのもとへと走り寄れば、抱き上げられた。踏みしめた時、雪の硬さが違うことに気がつく。ちょうどあのあたりの雪が深く、地盤が緩いことを知っていて、ダイオウドウを誘い込ませていたようだ。すごい。マクワの手腕に感動をする。
「彼の気持ちはこの通りです。ぼくたちはこの雪山をよく知っていますから……元々地の利は明白でした」
「……くそッ!」
「モスノウ、ふぶき」
ごお、と強い雪風が男を襲う。逃げようと悪あがきで振り返った男の足は、雪に埋もれて身動きが取れなくなった。
マクワはモスノウが持って降ろした荷物を背負い直し、俺に薬を吹きかけると、足に板のようなものを括り付けた。バックに取り付けていた長い棒を持ち、斜面を滑り出す。悲鳴を上げてその場に転がる男を長い蔦のような紐に括り付け、布切れに乗せたマクワは言う。
「これでもぼくは……次期キルクスジムリーダーです。このまま然るべき場所に向かいます。……ぼくはずっとタンドンのいる場所で、彼の落とした結晶を採取してきました。これは雄弁にあなたの罪を語るでしょう」
あっという間に街へ戻ったマクワは、事情を説明し、男を警察の人間に引き渡す。
俺にはその先がどうなるのかはわからないけれど、このまま二度と会わなくて済むだろう。
◆
「ぼくの……宝石。石炭は、価値故に黒いダイヤモンドと呼ばれることがありますが……ぼくにとっての宝の石は、石炭そのもの。……きみそのものです」
白いベッドで横たわるマクワがうっとりとつぶやく。警察のひとに、半ば押し込まれるようにして病院に連れて来られたマクワは、あちこち検査されて、怪我のひどさを聞かされた。
人間の身体を支える骨という部分がいくつか折れていて、指先の一部が凍りかけの、重傷というものらしい。包帯でぐるぐる巻きにされ、しばらくはここで安静にしていなければならない。
俺もあちこち怪我だらけで痛かったが、マクワがあの時応急処置をしてくれたので、今はもう平気だった。せっかくの俺たちの旅立ちだが、もう少しだけ後になりそうだ。だが、マクワにはそれほど問題ではないのか、俺のことをにこにこと見ていた。
「……雪山の奥に迷い込んで、出会ったときから……ずっときみばかりを見てきました。……こんなにも美しくて温かいものがあるんだって、初めて教えてもらったのです。きみのことを知りたくて……気が付けばぼくのまわりには、きみに纏わるものばかりになっていました。……ぼくにきみの才能がある証。この希望を、きみとの縁にすべて捧げたい。もっときみを、輝かせてみたい……」
本当に変な奴だ。マクワが言うとおりなら、出会ったばかりの俺は、ひどくみすぼらしいタンドンだったはず。俺に何が出来るのかわからないけれど、もしかしたら、マクワを助けられるのかもしれない。彼の為に、道を作る事が出来るのは、俺だけなのかもしれない。
そしたら俺も、ようやく世界に繋がった自分の道が歩ける。お揃いだ。
想い出を全部白い雪に埋めて、ここからマクワと始める、新しい第一歩が嬉しい。
俺だって、ずっとずっと待っていたのだ。気が付くことに遅れてしまったが、必要なのはマクワとの出会いだったのだろう。
正直、まだ人の中で過ごす事には、恐怖心がある。だけど真剣に俺を見てくれるマクワなら、車輪がなくても、隣を一緒に歩いてくれるかもしれない。稀有で変哲もなく、すさまじくて当たり前の物語の存在を信じられる気がした。
ふいにマクワは姿勢を正すと、俺に向き合った。
「ぼくは……マクワといいます。どうかぼくの、切り札……いえ、相棒になってください」
俺たちは、2度目の初めましてとさようならを、箱の中に詰め込んだ。こうこうと燃ゆる小匣が黒い轍を描いてゆく。まっさらになった棺は宝箱に姿を変えて、遥か遠い煌めきを祝福してくれている。
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