ポケマス設定・マチエールちゃんとマクワさんが仲良くする話

パシオの山は人が切り拓き、作り上げた山だ。ガラルよりも人の出入りが盛んな上に、世界でも有数のトレーナー達が切磋琢磨に使う場所でもある。
基礎トレーニング用のルートも複数あって、上手く利用すればガラルより効率よく鍛錬を行えるだろう。
マクワも、バディとともに行うパシオでのトレーニングはお気に入りだった。
通常の岩山は、その複雑で長い成り立ち故に、どうしてもバディと一緒のトレーニングはしづらいことが多い。
大岩と大岩に阻まれてしまったり、あるいは突然道がなくなり谷底が顔を覗かせたり。それは自然が築き上げた当然の摂理だ。
故に違う環境での訓練の際は、ある程度地形の把握も求められた。
しかしパシオは人間とともにポケモンが違う環境に来ても、安全が確保しやすい。それは既に誰かが道を舗装したり、あるいは洞穴を掘り進んで抜け道を作った結果だろう。
マクワにとってありがたいことだった。今もセキタンザンはマクワの少し後ろにいて、しっかりした足取りでざらつく石床を蹴り、岩片の間を通った。空は雲ひとつない青空だ。もうすぐ太陽が天辺に届く。
血気盛んなトレーナー達はそろそろ戦う相手を探し始める時間だろうか。
トンネルを潜り抜けた先、茶色の縞模様を見せる高い岩と岩の間が一本の登り坂になっていて、2人は言葉を交わすことなく走る。時折湿ったような、掠れた砂と土の香りがした。
右側の岩壁だけがどんどん背丈を失って、いつのまにか膝より下にいた。
道幅は変わらないが、崖下に細く川が流れているのが見え、緩やかな水の流れる音が聞こえた。険しい岩肌には木々はほとんど生えていなかった。大分登って来たらしい。
マクワが先に進もうと足を進めると、道の少し突き出た段差の陰に、何やら倒れている少女と同じく寄り添うように横たわるポケモン達がいた。
トレーナーらしき少女は、長く着古したニットの穴をアップリケで塞いでいた。
登山や訓練の途中とは思えない薄着だった。だが見た所外傷も見られず、途中で体調でも崩したのだろうか。

「だ、大丈夫ですか?!」

マクワは思わず駆け寄ろうとした。しかしすんでのところで、少女と共に倒れていたはずのニャスパーが起き上がった。まるで少女を庇うように立ち、じっと品定めするようにマクワを見つめた。
セキタンザンもおもむろにマクワの前に出ようとしたが、マクワは手を差し出して止めた。
声音を落とし、囁くように言う。

「……どうやら眠っているみたいです。でも、こんな所で……? なにも使わず……本当に?」

ニャスパーは静かに頷いた。

「うーん……! よくねた! ……もこお、おきゃくさん?」

黒い髪の少女は大きなあくびをすると、伸びをしながら言った。

「ああ、起こしてしまいましたか……。大変失礼いたしました。ぼくはマクワといいます。ガラル地方のジムリーダーです」
「ガラルちほう! カロスとはぜんぜんちがう、すごいところなんだってね」

マクワは瞬きをした。

「あたしはマチエールだよ! ミアレシティのたんていじむしょのしょちょうなんだ、よろしくね♪ こまったことがあったら、なんでもかいけつしちゃうから!」
「カロス地方の! それは凄い方ですね。しかしそんな方がどうしてこんな場所で寝ていらしたのですか?」
「みんなでねるときもちいいからだよ。いっぱいあそんでおいかけっこして……それからみんなとねるとね、あったかくてさむくないんだ」
「それは……?」

マクワの中で、探偵事務所の所長という立場と、マチエールの言う行動が繋がらない。
再びニャスパーがじっとマクワを見つめる。すると頭の中に伝わってくるものがあった。
彼女は所長になる前、ミアレシティのストリートチルドレンとしてこのニャスパーと一緒に過ごしていたこと。マクワには理解しがたいことだが、彼女にとって屋外で寝ることは当たり前のことであった。

「あ、ああ……。そういうことでしたか……。しかしさすがにパシオが人工島とはいえ、街と山では環境が違いすぎますし……セキタンザン」
「シュポォ」

マクワが声を掛けると、セキタンザンは体温を高めた。背中の炎が勢いを増し、ぱちぱちと火の粉が弾けた。周囲の空気が揺らぎ、温度が上がっていく。

「あったかい。ぽかぽかするね! ……ちょっとひえてたかな?」
「出来ればきちんと装備はあった方が……身体を壊しずらく、それにポケモンとも一緒にいろんな場所へ行きやすくてよいと思いますよ。ぼくも最近山での道具のことを教えてもらったばかりですが、よければ」
「わー、ありがとう!」

マクワはスマホロトムを取り出して、登山に使う道具の写真が並ぶ画面を映し出す。マチエールはきらきらした目で覗き込んでいた。

「もし寝る場所が欲しいのであればツェルトやシュラフ……テントや寝袋があると周囲に居場所を伝えますし、身体を守る事が出来ます。よりポケモンと近くで寝ることもできますね」
「うんうん、それはすてきだね。……でもたくさんあってむずかしいな」
「そうですか……? ガラルではキャンプセットというものもあります。誰でもすぐにテントの道具が準備できますよ」
「あたし、なくてもだいじょうぶだよ」
「ですが……。いえ、マチエールさんにはマチエールさんのスタイルがありますね」

マクワはふと脳裏に冷たい物がよぎり、慌てて頭を振った。
クロバットが空から飛びながらパタパタと見下ろしていた。

「いえ、それにしても……クロバットと追いかけっこをするのですか?」
「そうだよ!」
「ええと、クロバットがバディ……なのですよね」

マクワはスマホロトムをしまい、改めてマチエールを見た。マチエールの隣にはいつもポケモンがふたりもいるが、バディはマチエールと2人で一組だ。以前ケイと共にポケモンしょうぶに出かけていた所を見た事があり、その時はクロバットと共にチームを組んでいた。マチエールは人好きのする笑顔を浮かべた。

「うん! もこおはたいせつなともだち! いつもいっしょなの! クロバットはね、クセロシキおじさんからゆずってもらっただいじなポケモンなの」
「艶がいい……とてもよく育てられていますね。……ハンサムさんとはまた別の方なのですね」
「うん! クセロシキおじさんはわるいひとで……いまはとおいところにいるんだ。いつあえるかはわからない。……でもやさしくしてくれたから」

再びマクワがぱちぱちと瞬きしていると、マチエールはクロバットと共に構えの体勢を取る。

「……みてて! クロバットおいかけっこだよ!」

クロバットが4枚の羽で風を切った。小さな身体を旋風に乗せ、あっという間に渓谷の道から道を、岩から岩を、移動した。だが人間であるマチエールも負けていない。クロバットの身体をその眼で、耳で、身体の全てで捕捉し、細くて長い手足で跳ね、びゅんびゅんと何処までもついていく。
時に垂直に立つ岩壁さえも利用して、重力の楔を超え自由に飛び回っていた。

「こんなかんじ! たのしいねクロバット!」

すぐに戻って来たマチエールは、クロバットともに笑った。

「すごいですね……クロバットが懐いている理由が分かりました。……マチエールさん」
「マクワ?」
「ぼくも参加させてもらってもよろしいでしょうか?」
「え、マクワも! ……もこおもやる? いいよやろうやろう!」
「シュポォー」

セキタンザンが戸惑うように鳴いた。自分も何か仲間になってやりたいが、しかし明らかに分が悪い。周囲は平たんではなく、ごつごつしていて、傾斜のある岩場だ。
岩柱があちらこちらから天に伸びていて、身体の大きなセキタンザンではすぐにぶつかってしまうだろう。下手をすれば転んでしまう可能性さえあり、その場合はセキタンザンへの負担が高い。

「さすがにここではきみは不利なので……審判をお願いします」
「シュ ポォー!」

力強く首肯した。

「じゃあだれがいちばんはやくクロバットにおいつけるかきょうそう! だれもおいつけなかったらクロバットのかち! いくよ、よーいどん!」

クロバットは3人の間をすり抜けるように高く飛び上がった。脇を飛び去るクロバットに向けて即座にマチエールの細い手がばねのように伸びた。クロバットの方は見ていない。音と風の流れに筋肉がただ反応した、恐るべき反射神経だった。
マクワは感嘆を呑み込みながら、空からこちらの方へと戻って来るクロバットに向かって走った。瞬時に頭上を越え行くクロバットに向けて背中から跳躍した。
広く大きな身体を使い、檻を作った。両手を捩り、ばらばらとはばたく4枚羽に手を伸ばした。まさか上から来ると思っていなかったのだろう、クロバットの動きが一瞬鈍った。
クロバットは小柄な身体を縮こませ、目の前に居りゆく巨体の杭をすいすいと俊敏に掻い潜っていった。マクワは半回転し、その場に着地を決めた。乾いた岩に、小さく砂埃が上がった。

「……行けると思ったのですが」
「すっごい!! いまのなに!? あとでおしえて!」

次はもこおと呼ばれたニャスパーが高い岩場からクロバットに跳躍している所だった。再びマチエールはクロバットに走っていく。それぞれが飛び掛かり、跳ねまわり、時に岩壁を使ってゆく手を塞ごうとする。
しばらく応酬が続いて、セキタンザンの鳴き声が渓谷に響き渡った。タイムアップの合図だった。

「シュポー」
「ああ、やはり……ぼくではクロバットには追いつけませんか」

マクワが両ひざに手を当てて、乱れた息を整える。マチエールはその場に座り込み、後ろに手を突いた。

「でもマクワはすごいよ、なかなかここまでクロバットをおいつめられるひともいないよ。クロバットとおいかけっこしたいなんていうひともいないよ!」
「すみません、つい勝負事となると熱が入ってしまって」

彼女の持つ高い身体能力に魅せられたというのが本当の部分だったが、マクワにしてもまだそこまで言葉を形にすることが出来ず、普段の生活上の中から理由を汲み取った。

「それであんなとびかたができるようになったの? すごいね」
「ああ、バク転を教えるのでしたね。マチエールさんでしたらすぐに出来ると思いますよ」
「おしえておしえて! ぜったいやくにたつから!」
「役に立つ? ……追いかけっこですか?」
「ううん、これも……クセロシキおじさんがのこしてくれたことなんだけどね。いまはひみつなの!」
「わかりました。……よくないことに使うわけではないですよね」

マクワの耳の裏に、クセロシキがわるいひとだった、という小さな言葉が引っ掛かっていた。

「もちろん!」
「疑ってすみません。マチエールさんが悪い人ではない事は重々わかったのですが……念のためです」
「ゆうめいじんはたいへんだもんね。ハンサムおじさんもいってたよ」
「ええ、まあ、そんなところです。それでは……練習してみましょうか」
「いつもはどうやっているの?」
「ええと、ぼくはボールを投げる時に……こう」
「モンスターボールを!?」

マチエールが大きな眼を輝かせていた。マクワはその輝きに見送られながら跳躍し、捻りを加えると大きく回転してみせた。立派な巨躯が大地の制約から逃れ、蒼空を背負って浮かび上がる。ぐるぐると空を捻じれながら廻り、再びマクワの白い脚が岩の上に舞い降りた。

「わー!!すごいすごいっ!」

サングラスの上に指でポーズまで決めてみせれば、マチエールはその動きの良さに両手で拍手をしていた。ガラルで誰かに見せる時とはまた少し違う反応に、すっと気持ちの良いものがあった。

「たぶん、うしろジャンプはできるよっ」

マチエールは両手を振り上げると、その場で高く跳躍した。ぐるんと大きな半転は、少し着地の時にバランスを崩したものの、しっかりと同じ場所に降り立った。

「すごいです! あとはもう思い切ってえいっと捻ってしまえれば……」
「こうかな? っわあ」

前のめりに身体を傾け、マチエールは思いきり重心を揺らした。マクワも思わず手を伸ばしたが、身体の扱いに長けた彼女は、つま先立ちになりながら、自分の身体の中心を上手く動かし、何とかすんでのところで倒れずに止まった。自力で後ろに傾いてから、元の体勢に戻った。
実に器用で、これがトレーニングの賜物でもなく、誰かに教わっていないのであれば、マクワは感嘆するものだった。

「っとっと!」
「惜しい! ……すみません、ぼくが言った矢先、ここでの練習は転ぶと危険なのでやめましょうか。また今度教えますから」
「やったーありがとう! マクワはどうやってれんしゅうしていたの?」
「ぼくはいつもジムやスタジアムの端っこで……マットを敷いてこっそりと」
「こっそり?」
「試合の時に突然披露して驚かせたかったのです。なるべく人目につかないようにしていました」
「ふふ、おもしろいね」

少女の曖昧な反応に、マクワははたと気が付いた。

「あ、ああ……そうか、カロスではポケモン勝負を他の人が見るという習慣がないのでしたね。ガラルではポケモン勝負自体がひとつの……エンターテイメントになっていて、たくさんのひとを楽しませるものになっているのです」
「なるほど! マクワはみんなをたのしませてるんだ!」
「はい。ぼくはいわタイプのジムリーダーですから。いわタイプのため、ぼく自身も見せるものでなければ」
「すごいね、いわタイプのヒーローだよ!」
「そうなれていればよいのですが」
「なれるよ。あたしもこうして……ミアレシティのたんていしょちょうだもん!」
「そうでしたね」
「……ねえ、マクワ。ええと……シュラフ、だっけ。あれはちょっときになるな」

マクワは目を開いたが、サングラスで隠れてしまった。

「本当ですか? 実はぼく、サイズ違いを買ってしまいまして。使っていないものがありますので今度お持ちしますね」
「ほんとうに? ありがとうマクワ!」

マクワは段差を乗り越え、再び岩の道に戻った。太陽の光は凹凸ばかりの岩山を明るく照らし続けている。遠くからポケモントレーナーたちの戦う声が響いていた。

「うん、きょうはありがとう!」
「こちらこそ。良い刺激になりました。ぼくも負けていられません。では!」

登ったばかりの陽ざしが、緑の小径をきらきらと輝かせていた。
再びマクワがマチエールと約束したのは、草木の多い森のエリアだった。水辺が近く、川のせせらぎの音が聞こえてくる。小径の木の根元には風を受けて風車がくるくると回っていた。
奥に進むと木と木の間隔の大きな広場になっており、芝生も多く、ここであればもし転んだとしても強い打ち身をすることはない。
マクワはエアー式のマットも持ってきた。あの凸凹の多い岩路でも転ばずに済んだマチエールだ、酷い怪我をすることはないだろうし、おそらく飛ぶことに対する恐怖心もないだろうが、万一に備えてのことだった。
思えば自分が一番最初に地面から『飛ぼう』とした時。すぐに雑念ばかりが頭の中に入ってきてなかなか集中できなかったこと、なかなか思い切って踏み込めなかったこと。今でもまざまざと思い出せる。あれは恐怖心からにちがいなかった。
マクワが過去の記憶で小さく身震いしながら脚でポンプを踏み、空気を送って膨らましていると、マチエールがクロバットと共に走って来た。ぴょこぴょこと付いてくるのはもこおだ。

「マクワ! すごいね、これが……ええと、しゅらふ?」
「いえ、これはバク転練習用のマットです。シュラフはそちらに。向こうは組み立て前のツェルト一式です。念のため持ってきました。もしよければ」

マクワが指をさすと、芝生の中を掻き分けるようにして、丸い小さな袋が転がっていた。他にも、今はまだ蛍光イエローの布切れにしか見えないものや、先を縛った紐と鉄の棒切れが2本落ちていた。マチエールにもリュックサックはわかるだろう。

「以前ぼくが教わった際、はりきっていろいろ買ってみたのですが……ぼくには小さすぎまして。でもマチエールさんなら使えるかと思います」
「なんとりっぱな……!」
「ふにゃー!」
「もし気に入らなければ持って帰りますので、遠慮せずともよいですよ」
「どうしてマクワはこんなにいろいろくれるの?」

マクワは張ったマットを指で押さえて加減を確かめると、ポンプを外した。しゅうと空気が抜ける音がしたが、すぐに蓋を閉じて抑えた。一瞬、人工的なプラスチックの強い香りがした。
ビニールで出来た四角のマットはカビゴンのお腹のように膨れていた。セキタンザンが座り、横でうとうととうたた寝をしていた。

「マチエールさんはぼくの周りにあまりいない方なので……勉強になることが多いのです」
「たとえば?」
「身体能力が非常に高いこととか。ポケモンとの過ごし方で鍛えていらっしゃるのですね、参考になります」
「いやーてれちゃうな」
「……それにぼくのことを……本当になんの眼鏡もなく見てくれるのは……貴重ですから」
「めがね?」
「……いえ、なんでもないです。バク転、出来そうですか?」

マクワは軽く跳躍すると、自らバク転をしてみせた。軽やかな捻りは森の草を連れて空を切った。
巨躯は木の葉のようにくるくると廻り、その場に足で舞い降りる。
それからマチエールもあっという間にその場でのかるい捻り付きのバク転をマスターして見せた。
細い脚は力強く草を蹴り上げ、ぐんと遠くに身体を持ち上げ、くるりと回転した。
この間は上手くできなかった着地も、しっかり両足が芝生に食い込ませ、安定感がある。マチエールのバランス感覚の良さはやはり健在だった。

「おみごと……です!」
「このちからがあれば、またミアレシティをまもれちゃう!」
「ふふ、マチエールさんこそ、ヒーローみたいなセリフですね」
「みんなをまもるのがポリシー! ……ハンサムおじさんはヒーローなんだよ!」

マクワは小さく息を吐いた。

「なるほど……そうですね」
「あたしもつよくなって、みんなをまもるし、たすけるの! そしたらクセロシキおじさんにもいつかあえるかもしれない。ね!」
「……さきほどは身体能力の話ばかりしてしまいましたが、まだまだぼくには勉強に出来る事がありそうです」

マクワは空気を入れたマットの上に座ると、持参したスポーツバッグからポットを取り出す。お茶をコップに汲み、マチエールに差し出した。それからもこおとクロバットの分も渡した。

「わあガラルのおちゃだ! おいしいってミアレシティでもゆうめい!」
「すみません、水分補給用ですが……お口に合えば幸いです」
「ブラックコーヒーよりはぜんぜんいいよー! いいかおりするんだけどね」
「それはハンサムさんの好みでしょうか?」
「たんていしょちょうはハードボイルドだから……うーん、おいしい!」

紅茶を口に含んだマチエールが笑顔を浮かべた。マクワもつられて笑った。

「コーヒーに関しては……無理しなくてよいとおもいますが」
「ふにゃにゃー」
「そういえば……おかあさんとけんかしてるんだって?」

思わずマクワは紅茶を吹きだすところだった。話題が余りにも唐突過ぎた。青空を眺めていたらタンドンが降って来たようなものだ。
まさかマチエールからその話題を振られるとは思いもよらなかった。

「どこからそれを?!」
「えへへ、たんていだもんねー」
「そうでした……」

マクワは思わずサングラスを押さえて俯いた。

「あたしにはわからないけど……なかなおりしないの? さみしくない? もこおとはたまーにけんかするけど、さみしくなるからすぐになかなおりするんだよ」
「どうなんだろう……仲直り、しなくてもいいのかな、なんて思っているぼくもいたりして……」
「なかなおり……しなくていい?」

マチエールは大きな眼を瞬きさせた。

「……うん。まだきもちが整理できていなくて……もうしばらく距離をおいておきたい気持ちも……」
「そうかー、かぞくっていうのも……むずかしいんだね」
「近すぎてわからなくなることがたくさんあるのです、きっと……」
「……あたしちょっとだけしてみたい。ハンサムおじさんとつまらないけんかして……でもね、すぐなかなおりするの。またあしたいなくなったらいやだから。おたがいのやりたいことをするの」
「マチエールさん。……ぼくは……」

マクワは少女の細い背に、何度も背負わされてしまった別れを視た。
ハンサムに拾われて、結局ハンサムもまた国際警察としていなくなり、彼女は探偵事務所の所長としてひとりで事務所を支える事になった。さきほどのもこおからのちからと、風のうわさでなんとなく聞いていたことを繋ぎ合わせた情報だ。
クセロシキのことは知らないが、悪い人と言っていたのだからおそらく出会ってすぐに逮捕されてしまったとか、その辺りだろう。
出会っては、繋がっては消えてしまうひとたち。
それは母と同じ道を歩かされて、なんとか別れたが、今も近い場所に居続けている自分とはまるで違うもの。今まで一度も想像さえ出来なかったものだ。
マチエールはその真ん中で、生まれた淡い繋がりを握りしめながら、今笑っていた。

「でもマクワはマクワだもんね。あたしじゃないからだいじょうぶだよ」
「……いえ、そうか……そうですね。盲点……でした。本当にマチエールさん、あなたは……」
「……わ、これひっぱったらでてくるんだね! おふとんだー!」

少女は袋の紐を引っ張ると、しゅるしゅると伸びてくる厚みのある布を持ち上げてはしゃいでいた。広げていくとマチエールの身体をすっぽりと包む、ちょうどよいサイズの寝袋になりそうだ。

「シュラフは……寝袋です。中に入ってクルマユのように眠るのです」
「もこおもいっしょにはいれるかな?」
「ふにゃー!」
「あはは、さすがにせまそう? あ、でもほんとだ、せなかごつごつしないよ! おふとんー!」

早速緑の床の上に広げて、マチエールは寝袋の上に横になるとくるりと丸まった。もこおも一緒に巻き込もうとしたが、狭くて熱いと思ったのか、もこおは寝袋から出て、マチエールの横に転がった。

「ツェルトも組み立てはなれれば簡単ですよ。見ていてくださいね」

マクワはまず大きな手で用具を並べた。

「4つのタグと、ポール、この紐を使います。引っ掛ける時に使うものは石でも、落ち葉でも構いません」

太くて大きな指が、ポールに紐を器用に付けていく。ツェルトの四隅に宛がうように、タグと呼んだL字の金属部品を地面に埋め込んだ。さらにツェルトの布の四隅の紐を引っ張ると、金属の出っ張り部分にひっかけた。更にポールに縛った紐を通し、近くにあった石で紐を固定する。

「そしてこれを引っ張れば……」

紐にぎゅうと力を掛けてポールを起こすと、ツェルトの布地が広がり、立体の三角形が立ち上がった。中のジッパーを広げて床を作れば、しっかりと人を守るテントになった。マチエールは恐る恐る中を覗いていた。

「すごい……! ひみつきちみたいでかっこいい! でもおぼえるのたいへん……」
「メモを作りましょう。ぼくもしばらくスマホロトムを見ながらやっていましたから」
「やっぱりシュラフがあればだいじょうぶかも。あんまりたかいところいかないし」
「そうですか。でも気を付けてくださいね。休むとき以外にも荷物を隠す時などに是非使っていただきたいのですが……とはいえマチエールさんにはマチエールさんのスタイルがありますし、もし必要になったら言ってください」
「うん!」

少女はシュラフのジッパーを広げて、一枚の布団のように広げると、上に寝ころんでいた。

「あーきもちいいね……おひるねにぴったり。あ、マクワ、ここにのる?」
「いえ、ぼくは大丈夫です」
「せっかくだしおひるねしようよー」
「おひるね……」

マクワがふと横を見ると、すでにバディがうつらうつらしていた。

「ふふ、そうですね。マチエールさんはそのうえで。ぼくはここに横になります」

マクワは草の広がる原っぱの上に寝転がった。青い葉っぱと土の香りが顔いっぱいに広がった。
キルクスではあまり感じられないものだ。地面は緩く凹凸があるものの、土が柔らかいためそれほど痛みはなかった。ただ背中の衣服をじんわりと通る水の感触がどうにも気持ち悪い。

「……湿っぽいな」
「ほらー! あたしもくさのうえではねないよー」
「外で寝るという……真似をしてみたかったので」
「シュポォ」
「うわっ」

今寝ていたはずのバディが立ち上がり、マクワを持ち上げるとそのまま座り込んだ。マクワはセキタンザンの腕の中で横たわる恰好になった。少し手足をばたつかせて逃げようとしていたが、マチエールの視線を前に、すぐ抵抗することを諦めた。顔がほんのり赤くなった。

「あはは、セキタンザンのベッド! なかよしさんだね!」
「きみ、マチエールさんのまえで……まあ、いいか……」
「すてき! あたしもクロバットともこおのおふとんしてもらうんだ。みんなといっしょにねるの、たのしいよね」
「そうですね。……あまり考えた事ありませんでした。こんな時間の過ごし方も……知らなくて」
「むかしはろじうらでせいかつしてたからかな……はしりまわったり、みんなとちかづくときもちがおちつくんだよ」
「マチエールさんは……いろんなことをご存じです」

遠くで誰かが笑う声と、鳥ポケモンのさえずりと羽ばたきの音がした。シュラフを広げたマチエールからは静かな寝息が聞こえてきた。クロバットともこおも、最初に見た時と同じようにくっついて眠っていた。
陽だまりは緩やかでどこまでも優しかった。

「ぼくも……もっとキャンプとか……洞窟とか……セキタンザン、きみのこと知りたいな……」
「シュポォ」

温かい微睡みは、すぐにマクワの意識も夢の中へと連れ去っていく。
睡眠は浅い方が、夢を見やすいのだという。ちらつく木漏れ日はふわふわとした眠りの浅瀬の上にマクワを浮かばせていた。
夢に出てきた母親は相変わらず厳しくて、マクワの誕生日だろうが、テストで良い点を取った日だろうが、変わらず夜、幼いマクワをこおりの中に連れ出しては、厳しい訓練を行った。
ポケモンと一緒にいられるようになるためのトレーニングだ。トレーナーの完璧な基礎は母が作った。
しかし冷たいこおりは、母とマクワの間に少なからずじわじわと距離を作り続けた。
こおりのスタイルの押し付けは、マクワを何より苛んでいく。
いわタイプは、マクワにとって寒い寒いこおりを打ち砕き、自分の道を作ってくれた救世主だった。それはころんと転がるタンドンの形をしてマクワの懐に収まっていた。
彼と彼らのことを好きになるまで、さほどの時間は必要なかったのだった。
けれどもまだ、ばらばらになったこおりの破片が、お互いを傷つけるように、マクワと母のまわりに散らばっていた。
寂しい。寂しいのだろうか。そんなことあるはずもないと思っていた。
確かに夜が来るたび、凍えるような寒さを思い出すたび、こおりが伸びるような気がしていた。
その棘の中で、母は息子のファンクラブ1号になり、こおりを溶かそうとして――

「キャーッ!」

鋭い女性の叫び声で、マクワは眼を覚ました。

「どろぼうー!」

マチエールは今寝ていたとは思えぬほどの速さで飛び起きると、声の方へと走り出した。クロバットともこおも追っていく。

「セキタンザン!」
「シュボオ!」

マクワもバディに声を掛け、マチエールの背中を追い、立ち並ぶ木の奥に出た。そこは街路になっていて、舗装された道の先で、女性が未だに声を上げていた。
更にその向こうに、ギャロップに乗って逃げるスーツの男の姿がある。周辺には他に怪しい人物は見られない。幼い子供のポケモントレーナーが何人かいて、おろおろと困っていた。

「マチエールのすいりによると……あのおとこのひとがはんにん! それじゃあいくよ、クロバット!」

クロバットは身体を窄め、弾丸のように飛んで行く。それを追うマチエールも、街路樹の間をするすると通り抜け、ばねの様にしなやかだ。2人は挟み撃ちを仕掛けるように、飛び掛かる。
マチエールは歯噛みする。ミアレシティであれば、特別なスーツがあった。普段ならばそれを使って悪さをする人間をあっという間に止める事が出来た。だがここはパシオの地であり、エキスパンションスーツを持ってきてはいない。あったとしても部屋に置いてあっただろう。
今はエスプリとしてあの力を使う事が出来ない。
まさかこんなことになるなんて。しかし、ふと脳裏に過ったのは、マクワのあの華麗な跳躍だ。
マチエールは道の横、段差になった細い塀の上に登り上げると、マクワから教わったバク転でギャロップに向けて飛び降りた。

「はは、なんだそれ!!」
「クロバット、エアスラッシュ!」

男とギャロップの眼を十分に惹きつける事が出来た。ギャロップより前に追いついたクロバットが羽を震わせて怜悧な空気の刃を出した。だがギャロップの強靭な脚は上手く躱していく。
路地に着地を決めたマチエールは、体勢を崩すことなくすぐさま走り出した。
花壇の端から端を飛び越え、時に家屋の屋根の上さえ軽々しく伝っていく。
ギャロップはひたすら広い道を真っ直ぐに走り続ける。家屋の横に伸びる細い路地はクロバット達の方が上手だと既に理解しているようだった。街道をひたすら駆ける。歩いていた虫取り少年のすぐ横をすり抜けて、ぶつかりそうになった少年は悲鳴を上げて避けていた。マチエールもごめんね!と叫びながら少年の横を走り抜けた。
クロバットが再び応戦し、ギャロップは炎を吐いた。少しだけ走る速度を落とせたが、それでもまだ男たちは逃げる。
気が付けば周囲の家屋の数が減り始め、囲う塀もなくなっていた。もうすぐ町のエリアが終わる。広い草原が顔を覗かせ始めている。
舗装されていない凹凸のある道は、よりギャロップの脚にとって有利になるだろう。
あと少し、あと少しスピードがあれば。

「ううっ……!」
「セキタンザン、ストーンエッジ!」

どごお!
大きな音がして、ギャロップの前の地面から鋭い岩剣が頭の上まで伸びた。土煙が舞い、砂が飛ぶ。行く手を阻む突然の障害に、ギャロップもスピードを落とさざるを得ない。
進行方向を変え、跳躍する足の幅を細めて着地する。

「クロバット、もう一度エアスラッシュ!」

その隙を見たクロバットが、ギャロップの脇腹へと振動を当てた。男は背中から転がり落ち、手にしていた白い女性物の鞄も石畳の上に落した。
マチエールはすぐさま拾い上げると、汚れを払い落した。追いついたもこおがじっとスーツの男を見つめると、不思議なチカラで動きを止め、束縛した。

「みがらかくほー! ハンサムハウスじけんかいけつ!」

伸ばされた岩の先、ちょうど舗装された石の道の終わりを塞ぐように、マクワのセキタンザンが立ちはだかっていた。
いつもより背中の炎がめらめらと燃え、湿った空気が立ち上っているのがマチエールにもわかる。

「シュ ポォー!」
「セキタンザン、マクワ、おてがら! きょうりょくありがとうだよ! でもセキタンザンってこんなにうごけたんだね、まさかおいかけっこでいちばんとられるなんて」

セキタンザンの後ろから、青いサングラスが顔を出した。

「彼には蒸気機関という特性があります。本来は苦手な水やほのおを受けて発動するものなのですが……今回は緊急でしたので、木下の枯れ枝をお借りして彼の炎を使用し発動させました」

街路樹の下や広場には、枯れ枝や木の葉が落ちていることが多い。これにセキタンザン自身に火を点けさせて、さらにマクワがセキタンザンの身体に放り込む事でセキタンザンの特性を発動させるという荒業だった。
さらにマチエールのお陰で、犯人は完全に追手を一人だと思い込んでいた。マクワは気付かれぬよう広間を通り、セキタンザンを先回りさせて道を塞がせることに成功した。

「……広い場所であれば彼も素早く移動が出来るのです。いわのすごさ、見せ付けられました」
「とくせいかー! さすがだね! こんどはセキタンザンもおいかけっこしようね!」
「シュ ポォー!」
「ではすぐに鞄を返しに行きましょう。この方はライヤーさん達の所へ」

日が落ち始めていた。パシオの中心部は、人もポケモンも多く、いつも賑やかだ。
新しくこの人工島に来たばかりのひとたちがバディと共に、少し緊張した面持ちで中央部の巨大なポケモンセンターに向かっていた。
マチエールとマクワは一旦、二手に分かれることにした。マチエールが女性に鞄を返し、道中で広場に置きっぱなしにしていたものは全て回収をした。
マクワはもこおと共にライヤーやクチナシの下へ男を引き渡した。あとから合流したマチエールと共に褒賞を貰った。
ライヤーの城から出たマチエールは、マクワから譲られたリュックサックにシュラフを入れて、荷物を背負っている。

「マチエールさんの日常には……事件はよくあることなんですね。思い知らされました」

悲鳴を聞いた時、咄嗟の反射神経を思い返してマクワは言った。寝起きであの動きの速さは自分には出来ない。俊敏な反応は普段からマチエールが人助けの中に身を置いている立派な証拠だった。

「みんなをまもるのがポリシー! おしごとだからね!」
「ぼくはパシオに、ガラルのジムリーダーとして見聞を広げに来たつもりでした。……でもさらにたくさんのことが学べると確信しました。来てよかったです」
「あはは、なんだかマクワ、おなじことばかりいってるね」

マクワは小さい呻き声をこぼし、照れたように目を逸らした。マチエールは構わず続けた。

「でもあたしもきてよかったよ! ミアレシティからでたことなんてなかったけど……こんなにたくさんのなかよしさんができたからね」
「ふにゃにゃー」

もこおも手を伸ばして笑っていた。クロバットはマチエールの頭上でぱたぱたと羽を鳴らしていた。

「あれ、マクワさん!?」
「ガラルのマクワさんだー!」
「セキタンザンがいる!」

その時、人混みの中からざわざわと名前を呼ぶ声が掛かった。次第に大きくなり、どんどんマクワの周りに人が集まり始めた。

「ぼくとしたことが……つい忘れていました」
「シュ ポォー」

マクワは手を振りながら、目を細めてつぶやいた。マクワを見つけたひとたちはマチエールのことには目もくれず、彼を中心に大きな輪を描いて取り囲んでいく。
忘れてしまっていたのは本当だった。マチエールと一緒にひとのいない所にしばらくいた事で、自分のいつもの人前での活動のことを失念してしまっていた。
普段ならば悔しさが胸の中を燃やすだろう。一秒たりとも気を抜いてはいけないと自分に言い聞かせている。だが今日は何故か晴れやかな風が吹いていた。

「これがマクワの……『にちじょう』?」
「ええ、ぼくには少なからず応援してくださる方がいらっしゃいまして。声援には必ず応えることにしているのです。……いわタイプのポケモンのためにも」

マチエールに向かって、小さく片目を瞑る。子供の相手をしていたセキタンザンが振り返った。
マチエールは背負うリュックを鳴らした。

「にぎやかですてきなマクワのポリシー! だね!」
「マチエールさん、今日はありがとうございました。母ともう少しだけ……出来ることを頑張ってみようと思います。またぜひ……今度はぼくとポケモンしょうぶをしてください」
「もちろんだよ! こんどはチームもくみたいな! それじゃーまたね! ……あっ」

別れ際、マチエールが一際嬉しそうにくすくすと笑った。マクワはわからず小さく首を傾げた。

「なにか……?」
「ううん、なんでもない。ただ……またねっていいことばだなっておもったの。みらいがたのしくなるね!」

マチエールは思い出す。昔キズナを深めたたいせつなひとたちとは、未来の約束が出来なかったこと。だけどパシオはちがう。何度だって未来を呼ぶことが出来るのだ。
それはきっと、今は会えない人、距離がある人との繋がりにもなるだろう。
マクワの口が弧を描いた。サングラスの上に掲げられた指がぴしっとポーズを決めた。

「そうですね……では、また!」
「またね!」

マチエールは大きく手を振った。別れの言葉が約束となって、高らかと掲げられた。
パシオは人が切り拓き、作り上げた人口の島だ。たくさんのひとが自由に手を入れて、ポケモンと人の居心地の良い場所を作ろうと努力し続け、今も拡張し続ける島。ひとの夢が叶う場所だ。
しかしそれでも空だけは誰に模倣されることなく、閉じ込められることもなく、あらゆる地方と繋がり続けている。
パシオの天空は、どこまでも蒼穹に広がっている。

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