マクワさんがセキタンザンと共に、ヒョウタさんにクロガネを案内してもらう話。

海の向こうは、白雪の中だった。ガラルから飛行機を何便も経由して、更に船便を使い、北方の火山島へと辿り着いた。トレーナーがポケモンと居る事に集中するための小島は、必要最低限の設備しかない。
その分質の高いトレーニング環境が整うすばらしい場所だ。ヨロイ島を思い出す。温暖な気候も、建物の少なさも、時折オフの日を訓練して過ごす場所に、よく似ていた。
ぼくは後ろ髪をひかれながら、そそくさと後にする。これからぼくらに待ち受けている道筋は、少しの浪費も許さないことが分かっているからだ。
1日僅か数便しか出ていない船に乗せてもらい、ようやく辿り着いたのは雪深い山奥の小さな村。ガラルの外れ、冠雪原にも小さな集落はあるが、こことは違い、主要設備すらない場所だ。
ぼくもほとんど詳しくはないが、農業を中心に、年配の人々が自給自足を行っている。人が外に出ていく村。ガラルの環から外れてしまった場所。
だが、このキッサキシティは違う。ここは、ポケモンジムやポケモンセンターを構える、立派な街なのだ。
船の中で雪用の重装備に変えているので問題はないが、自分が雪に慣れていてよかったとこれほど思うことはないだろう。木と木の間には道と言えるような道はなく、雪掻きも間に合っていない。
村の住人だろうか、外客のぼくを物珍しそうに見つめる視線が時々届く。

「すみません、最近のこの辺りの天候を教えてもらえませんか」
「天気かい? ここしばらくは雪が多かったけど、今日は雲も少ないよ。少し風が強いぐらいだね」
「ありがとうございます」
「まさかテンガン山の方へ向かうのかい? こんな何もない場所によく来たなあ」
「……雪山の中にジムがあるのですね」
「ああ、なんもなくても、娯楽は必要でね。みんなポケモンジムに行きたがるよ。あと、たまーにやってくるからね。旅する挑戦者がね」

ジムが娯楽。思わず眉をひそめてしまったが、深く帽子を被っているおかげで気付かれずに済んだろう。残雪に埋もれているが、それでも特別立派な建物の灯りはよく目立つ。ガラルとは全く違う設計やシステムだろうが、維持や物資管理のことを想像するだけで頭が痛い。
軽く会釈をして、地図を頼りに街の外れへと向かっていく。スマホロトムは、寒冷地では電力消費が激しく、もしもの緊急対応の為に余力を残すため、頼りきるわけにはいかない。
ぼくはここから、険しい雪山の道を、進まなければならなかった。

山の天候の移ろいやすさはよく知っているつもりだ。だがしかし、この山の住民が少ないと言った雲は、蒼空から色を奪って分厚く鎮座していた。風に乗って、時々霙が降っている。
正直、ここは天気が殆ど変わらないのではないだろうか。一度も進んだことのない雪の山程恐ろしい場所はない。
自分の背丈に近い高さまで積もった雪の上を、スノーシューで滑っていく。キルクスは雪の多い地域だが、ここまで降り積もることは稀であり、道路整備の環境も整っている。
ガラル生まれで良かったと思う心の端くれに、自力がこれほど試される環境に対して、羨望じみた感情が短い影のように伸びる。
低くなった木々を躱し、こんな所でもポケモン勝負を挑みたがるスキーヤーの相手は、相棒を呼んで軽く終わらせる。

「温かー!! お兄さん、珍しいね、どこのポケモン!?」
「ガラルです」
「いいなあ、ガラル、行ってみたいねえ」
「でしたら、次はぼくの地方でお相手しましょう」
「ボオ」

別れた後、すぐにモンスターボールを翳そうとしたが、久しぶりの温かさに行動が緩む。運動をしていて少し汗ばんだ身体には、毒かもしれない。
セキタンザンは見慣れない景色に、辺りを見回している。曇天から顔を出せない太陽の光は夜に追われ、早くも少しずつ暗くなり始めていた。

「……ビバーク付き合ってくれますか」
「シュポー!」

雪洞づくりはセキタンザンも慣れている。互いに自分の決められた役割をこなして、さっと休憩できるスペースを作った。
荷物からカチカチに凍ったソフトボトルの水筒を取り出し、セキタンザンに手渡す。普段であれば保温できるステンレス製のボトルを使うのだが、今回の行軍は危険性も高い。
なるべく荷物は軽量を維持したかった。これはセキタンザンがいてくれるからこその裏技のようなもので、凍ったソフトボトルをあっという間に飲料水に替える事が出来る。
十分に溶けたボトルを、にこにこ手渡すセキタンザンに、小さく礼を告げると渇いたのどを潤した。ソフトボトルは飲み切った後、小さく折り畳めて重量の負担を避けられることが、最大の利点となる。登山は常に自分の体力との勝負だ。
セキタンザンには軽量のポケモンフーズを与え、ぼくも携帯食を食べる。
溶けた雪や汗で濡れた衣服をセキタンザンに持たせて、ぼくはシュラフの中で眼を閉じた。

早朝は、雲間から太陽が顔をのぞかせていた。地図を確認した後、雪洞を壊してセキタンザンをボールに戻し、再び白い平野を滑っていく。白雪が光を反射した煌めきは、サングラス越しでも目を焼こうとする。ずっと南に下っていけば、簡易の避難小屋になっている民家があるらしい。
殆ど変わらぬ景色が長く続き、不安になる度に地図を見ては方向を確かめる。あっているはずだ。
だがしかし、いくら滑走してもそれらしき建物は見当たらない。
スキーヤーたちが残していたトレースも、昨日の雪に埋もれてしまったのか、いつの間にか見失っている。
遭難の文字が、背中をぞっと冷たく流れた。こういう場合、無駄に動いて体力を消耗してはならない。冷静に対処をしなければ。
少しずつ風の量が増えてきて、また薄い紫水晶のような色をした昏い雲の切れ端が流れてくる。
コンパスと共に、サコッシュに入れた地図を見るが、冷風が邪魔をした。ぼくは再びセキタンザンを呼び出し、風除けを頼む。
セキタンザンが快く引き受け、少し腰を落ち着けようとした途端、破裂するような音を響かせて、雪が沈む。雪庇を踏み抜いてしまったと思い、受け身の姿勢をとる。セキタンザンをボールに戻そうとするが、滑落する雪に紛れて何も見えない。ぼくの意識はすっと消えていった。

[newpage]

「よかった! 眼がさめたんだね!」

眩い光が目に刺さる。サングラス越しではない明かりが明転した。見上げると、輝く様な赤玉色の髪が目に映る。眼鏡の青年の安心したような瞳があった。隣には、見知った相棒のセキタンザンもいる。
周りは堅い岩の壁で出来ており、石窟の小部屋のようだ。確かに滑落したはずだが、身体に痛みはほとんどない。擦り傷らしき部分は、既に応急処置を施されていた。
意識を失う直前、セキタンザンの腕に触れた記憶が残っている。着地の時、大いに助けられたようだ。

「シュポォ!」
「……ここは」

ぼくは務めて冷静に言葉を吐こうとして、低く唸るような声を出してしまった。まるで何年振りに人間に会ったかのようなぎこちなさ。それでも、視線はなるべくセキタンザンの方に向ける。

「きみ、ここに来るのははじめてだね? シンオウの地下に広がる巨大な空間、地下大洞窟だよ! ボクは……」
「ヒョウタさん、ですよね。はじめまして……マクワと、言います」
「そうか、きみが……ガラルのいわジムリーダー、マクワだったのか! いや、まさか道路の地盤が崩れるとは……怪しいと聞いて来ていたんだけど、間に合わず……申し訳なかったね。ここは安全だから、安心してくれ」

この雪だらけのシンオウ地方に来た理由、それがヒョウタさんと会う為だった。彼自身、ジムと仕事に忙しく、全く取れなかったアポイントがようやく叶ったのが今日だ。
仮にも相手はぼくより長くジムリーダーを務める先輩で、憧憬だって抱いている。
ステルスロックを使ったいわタイプの能動的な戦法に関しては、多分誰も敵わないだろう。険しい山脈を誇るシンオウは、神秘の地方として有名だ。なかなか情報を得られない彼の試合を繰り返し見た事は記憶にまだ新しい。
それがまさか、こんな助けられるような出会い方をしてしまうなんて。正直穴があったら入りたい。ぼく自身が落とし穴に落ちるのはこれきりにしたい。

「い、いえ……その」
「それより! 彼、きみの相棒だろう? セキタンザン……だよね、お陰でここまで運ぶのも助かったよ! ボクも一度会ってみたかったんだ!」
「ポオ!」

褒められて嬉しいのか、セキタンザンは笑っている。しかし、ヒョウタさんは顎に手を当て、セキタンザンを見る目が鋭くなった。グローブの手で、黒い身体を叩くように触れている。

「……本当に全部石炭質なんだね。しかも移動できるし意思疎通もできる、おまけに余剰の石炭がたくさん作製できるときた……。うん、ガラルはすごいな!」
「炭鉱で働かれているのでしたか」
「そうなんだ、ずっと所縁があってね! なによりいわの中で働いていると、いわポケモンとの絆が深まる。最高だよ!」
「……ぼくみたいな人も助けられますし……?」
「そう、やりがいはすごくあるよ。とりあえず一度場所を移動しようか。落ち合う予定より、だいぶ早く会えてよかった。きみたちに、是非ボクの街を紹介したいんだ!」

地下大洞窟。シンオウの地面の下にある、巨大な自然空間。坑道は坑木で坑内支保されており、全く人の手が入っていないわけではなさそうだ。ポケモン達も多数生息しており、トレーナーもたくさん立ち入る場所だ。当然人知れず倒れているトレーナーも日常茶飯事なのだという。
ヒョウタさんは大空洞の路方調整をする傍ら、トレーナーのサポートまでしているという。滑落したぼくのように。
冬装備を全てザックに戻した。ヒョウタさんだけが知っている、特別な抜け道を通らせてもらう。時に匍匐前進でやっと通れるような穴もあり、少し緊張したが、きちんと通り抜けられて安心した。自分のサイズの大きさには自負がある。
道中ではセキタンザンをボールにしまったが、せっかくの石炭の街だ、セキタンザンと共に見たいと思い、出して歩くことにした。
無事に出口を潜れば、外の光が目に届いて眩しい。
既に周囲は雪の姿はなくなり、草木の茂る山道だった。流石に徒歩ではかなり時間が掛かると言う事で、ポケモンに乗せてもらい、クロガネシティまで案内してもらう。

「ようこそ、ここがクロガネシティだよ!」

険しい山間に、立派な建造物が立て並ぶ街は、広さと比例して随分と活気に溢れているように見えた。少し先に、背丈よりも随分高いベルトコンベアや、巨大な竪坑昇降機が建っている。ガラルではなかなか見る事は出来ない。坑道がほぼ直結している証だ。

「本当に……炭鉱のすぐ隣に街があるのですね」
「違うんだ。炭鉱に近い場所に人が集まって、街が出来たというのかな! その方が体力の浪費もないし、便利だろう?」

からっと笑ったヒョウタさんは、すぐに気が付いて自分の頭を指で軽く叩く。

「……ああそうか、ガラルではセキタンザンがいるから、その必要がないのか……!」
「そうですね。セキタンザンの進化前の……トロッゴンというポケモンが中心になって働いていて……ここまで人手を割く必要がありません。ですからぼくも鉱山で働く事はなく……ガラルの炭鉱とスポンサー契約して、互いに活動のサポートをしたり、前面的な広報を担当しています」
「それは面白そうだな! ボクももう少し宣伝方法考えてみようかな。猫の手も借りたいくらい忙しいからね」

ヒョウタさんはあくまでも経営側の視点に立っているようだ。労働者であり経営者であり、目まぐるしい程忙しいだろう。彼は、ぼくらの前を歩き始めた。

「早速炭鉱へ行こうか!」

緻密なパイプがぐるぐると、デンチュラの巣のように坑内を走っている。坑道を支える鉄骨はあちこちに伸びて、根を張るように生えていた。向こうでは竪坑の櫓にロープが張られ、乗せられた鉱石がエレベーターのように降りていく姿が見える。
トロッコが採掘された石炭を均等のスピードで走り、運搬する。炭鉱の入り口には立派なボタ山がどんと聳えている。大きな階段を降りていくと、広い入り口は堅いコンクリート壁で舗装されていた。
洞窟の中では、イシツブテたちが独特の動きで道の向こうに去っていく。ガラルでは目にすることが出来ない、とても貴重ないわポケモンだ。少しばかり心が浮き立ったのが分かる。ぼくらの音に驚いたズバット達が飛び交う。彼らだってガラルでは見られない。地面には、まだついたばかりで新しいイワークの足跡が残っていた。みなここに住まうポケモンなのだろう。
気をとられていると、いきなり少女の声が岩窟に響いた。

「ヒョウタさん、ありがとう! ……わあ、珍しいポケモンとお兄さんがいる!」
「ああ、ガラルからのお客さんなんだ!」
「セキタンザンといいます。……ああ、ぼくはマクワです」
「ボオオ」

少女はしばらくセキタンザンとぼくを不思議そうに眺めた後、走り去っていく。ヒョウタさんは明るい調子でぼくに説明をしてくれた。

「手前の通路は掘り起しも終わっているから、野生のポケモンたちの住処にしてもらっているんだ。地中の洞窟をボクたちが掘削させてもらうかわりにね!」
「今の方は……作業員ではないですよね」
「野生のポケモンに会いに来たクロガネの子だよ」
「なるほど……ガラルも坑道を抜け道として開放し、野生のポケモンが住処にしています。聞いたことはありませんでしたが……おそらく同様の理由なのでしょうね」
「野生のポケモンは、数が増えすぎると住処を破壊してしまったり、食料難になったり……彼らの中でも共存が難しくなる。住みやすい環境を提供するのも、自然の恩恵を受けてるボクらの仕事さ! さらに人との新しい出会いの場所としても、用意出来ればと思っているよ!」
「ぼくも坑道奥で、暴走してしまったポケモンが発生した場合の……対処の仕事は受けた事があります」

時折鉱山環境を借りることはあるが、普段の勤務先ではないぼくは、呼び出しを受けて鉱山のポケモン対処の任務に就く。手間はかかるが、情報があり、別途環境を整えている分、複数対応策を練る事が出来る、ポケモンも合わせて調整しやすいのは利点だ。
しかし、鉱山に住むポケモンの環境については、現場にいる人と距離がある。生の声を聴けることは、ぼくにとって大いに収穫だ。

「どうしても時々あるんだよね……。本来、ボクらとは住む場所を別けている相手だから、遭遇することはない! でもボクたちは生活のために、環境を分けてもらっているから……ぶつかってしまうこともある。敬う気持ちは忘れないよ」
「本当にポケモンの生息地の中で働く仕事……なのですね」
「でもね! そういうポケモンの怖さや生活環境のリアルが分かると……常に人と居てくれるポケモンたちの本当のちからもわかって、バトルや育成環境に活かせたりするんだ」
「そうか、野生の力に近い環境を間借りしたり、再現できるというわけですね! 盲点……でした」
「ガラルはどうだい?」
「どちらかというとひとの手で、トレーナー自身の理想的な環境をジムの中に作ったり、個々に合わせた場所を選択することが多いです」
「知性を感じるなあ……!」
「というより……シンオウの自然主義がよくわかりました」

やはりジムリーダーという同業として、ポケモンの生育環境の考え方の違いは興味深い。ガラルは人や文化中心の考え方が普及しており、人間に合わせた環境を整備する技術が強いのだ。シンオウは、ポケモンと自然に近い環境の中で人が共に育ちやすい。
白熱する談義の中、セキタンザンは岩癖が気になるのか、あちこち様子を見て回っていた。
昇降機に乗り、下層のフロアへと移動する。頬にべたついた感覚があり、湿度の上昇を理解した。
立派に鍛えた屈強な男たちと、格闘タイプのポケモン達がそれぞれボーリングの調査をしたり、機械の点検などをしている。ヒョウタさんを見る度に、気持ちよく挨拶の声が掛かった。

「すごい……。本当に人の手で仕事が出来る環境が整っているのですね。確かに……人手は必要かもしれません」
「そうなんだ。年々新しい機材を導入したり、ポケモンの力を借りたり……。アップデートはしているんだけど……そういえば、風のうわさで、ガラルは女性作業員が多いって聞いたよ」

ぐるりと見渡せば、男たちばかりで女性の姿は見当たらない。思い返せば、ガラルの鉱山は現場にも複数の女性がおり、中心となって働いているように見えた。

「……当然のように思っていましたが……そうですね。比率で言えばだいぶ違いがありそうです」
「やっぱりポケモンの違いかな! 面白いなあ」
「鉱車が少なくて済みますからね……」
「シュポ!」

ちょうどここは人が移動する道と、レールが並行する坑道のようだ。レールに乗って走る鉱車の横を歩くと、セキタンザンは中に手を伸ばす。運ばれていく最中の石炭の小さな山から、大きな欠片を取り出した。

「セキタンザン、何して……」

ぼくは慌てて止めようとするが、ヒョウタさんが黒い石片を受けると、眼鏡越しにじっと見つめる。ヘッドランプの灯りが小さな岩を明るく照らす。

「……これは捨石だ。ああ! この鉱車のものは掘削時に余計な岩石がたくさん混じってしまったようだ。選別が捗るよ、ありがとう!」
「シュオ!」

ヒョウタさんはすぐにトロッコの番号を控えると、輸送先の担当者へと電話する。セキタンザンはまだ他のトロッコが気になる様子だ。ガラルの強みを伝えるチャンスかもしれない。
何より、助けられっぱなしではぼく自身が不名誉のままだ。

「きみのポケモンはすごいな!」
「光栄です。……セキタンザン、ヒョウタさんの手伝いをお願いします」
「ボオ!」
「えっ! いいのかい?」
「もちろん。助けていただいた謝礼も、まだ何一つしていないですから」

ぼくはサングラスを抑えた。セキタンザンは張り切って、ガラガラと流れていくトロッコの中と睨めっこをする。ぼく自身、ある程度石炭に詳しいとはいえ、同じ物が並んでいる中で違う物を選び取れる自信はない。
だがある程度の目星をつけて、セキタンザンの確認のサポートをする。
しばらく作業をしているうちに、ふと気が付くと、ヒョウタさんが、区画の角でしゃがみ込んでいた。近寄っていけば、固められた地面の上に、小さな水溜まりが出来ている。

「あれ……こんなところでパイプが外れているね……」
「排水用のものですか?」
「ここは元々地下水が豊富だったからね。ポンプが繋がっているんだけど」
「つまり行わないと……このパイプが繋がっていない場合、最悪坑道が水没する危険があるということですよね。水没まで行かなくても、機材劣化が進んでしまったり……」
「正解! 早い段階で気が付けて良かったよ!」

ヒョウタさんは自前の作業着から工具を取り出し、外れてしまったパイプをつなぎ合わせる。どうやらパイプ用の大きなジョイントが、劣化のためか緩んでしまったらしい。確かに少し錆び付いている。ぼくがパイプ同士を抑えると、彼は自前の新しい螺子を使い、慣れた手つきで閉めていく。

「ありがとう! これで安心だ。けど再発防止のために、新しいジョイントを発注しておこう」

彼がメモを取っていると、作業員の男性が慌ただしく駆け寄って来た。

「ヒョウタさん! そろそろ上がり発破です!」
「そうか、もうそんな時間だったんだ。ありがとう!」

連絡員なのか、坑内を走り回っているようだ。最低限の言葉を告げると、向こうへと去る。隣で仕事をしていた人たちにも同じように声をかけていった。

「あがりはっぱ、とは何でしょうか?」
「ああ、削孔作業が完了した穴を爆発して、取り出しやすい鉱石サイズにするんだ。普段は重機で掘っているんだけど、どうしても地盤が固い場所があってさ。ボクのラムパルドに頼むこともあるけど、流石に範囲が大きくて」
「ラムパルド……!」
「興味あるかい?」

ガラルでは非常に珍しく、滅多に見られないいわポケモンだ。化石から復元されて、太古から今に蘇った生き物。特徴的な頭蓋骨は地に還る事なく、恒久に残り続ける硬い岩石になるのだ。
いわポケモンが好きなものとして、このロマンは語り尽くせないだろう。
そもそも、ガラルは化石復元技術に関しては、他の地方に一歩遅れている。そうぼくは考えている。
テンションがつい上がってしまい、ちいさな不満まで種火になってしまった。
細かく首肯しつつ、咳払いして話を戻す。悠長なことをしている場合ではないはずだ。

「えっと! つまり……ラムパルドが崩落に巻き込まれる危険性があるのですね」
「そう! だから今回は爆薬を使うんだ。それが発破。あとは……あがりってのは、終業のことさ。爆破した後は、念のため、誰も入らず一晩坑道を寝かせるんだ。だから今日のお仕事終了ってこと!」
「話には聞いて、知識はありますが……実際経験するのは初めてです」
「そうだよな! この辺りは影響ない予定だけれど、ガスが発生する可能性はあるからね! ボクたちも外に出よう。セキタンザン、ありがとう! その石は後日捨てるから、置いておいてくれ」
「シュポオ!」

気付けば両手いっぱいに石片を抱えたセキタンザンが笑っている。ぼくは邪魔にならなさそうな場所を指定して、セキタンザンに荷物を降ろさせた。ヒョウタさんに続いて、来た道を戻り、坑道の外に出る。ひんやりした空気が頬を撫で、空には星が瞬き始めていた。長い昇り階段を進んでいると、どん、と地響きが伝わる。

「ポポ……」

セキタンザンは、炭壁を砕いた事が分かるのだろうか、それとも地響きで試合を思い出したのだろうか、身を固くしているように見えた。
自然の中で暮らすことは、ガラルでは到底考えられない程の危険がすぐ隣にある。
はじめての実感に、自分の中も、ぐっと緊張で力が入っていた。隣を歩くヒョウタさんは、軽いステップで進んで、ぼくに笑いかけてくれた。

[newpage]

次にぼくらが案内してもらったのは、すぐ隣にある炭鉱博物館だ。
クロガネシティが、いかに炭鉱と地続きで繁栄してきたのか。歴史がまるまる保管されている。なにより入ってすぐの場所に、巨大な石炭が鎮座していた。まるで石炭層をまるまるくりぬいてきたかのような大きさだ。ぼくもセキタンザンも、驚きで眼の色を変えた。

「きみより……随分大きいですね。何倍ぐらいの重さでしょうか」
「オォ……」
「これならだれでも石炭のすごさがわかるだろう? ボクたちは石炭にずっと支えられてきたんだ。みんなに伝えたいからね!」
「ぼくたちも……そうです。……嬉しい、ですね。ガラルでも出来るかな……」
「ポオ!」
「……思った事を言ってもいいかい?」

かつてなく真剣な表情を浮かべるヒョウタさんに、つい、口に溜まった唾を飲み込む。首を縦に振る事で精いっぱいだ。

「マクワって……すごく慎重で丁寧なんだね! なのに一人でキッサキの山道を歩かせてしまい、すまなかったよ!」
「い、いえ、あれは……ぼくがしたくて。話をした通り雪山には慣れています」
「確かに、普通の人はスノーシューの使い方なんてしらないからね」

今回の旅程は、ぼくがメールのやり取りの中で取り付けたものだ。
彼は、ぼくが一人で雪山を降ることをあっさり許諾してくれたが、従来、他の地方の慣れない人間が行う危険性は誰より知っていたはず。
ぼくの、自身の力を試したい矜持心ゆえだった。

「会ってみてよくわかったよ! 今までは映像と、文面だけで想像してたから……申し訳ないけど、ちょっと怖い人なのかなって思っていた。しかもお洒落だから、シンオウを楽しんでもらえるか、心配だったんだ。もちろん誇るコンテストショーもあるけれど、服飾文化には、他の地方に比べると自信がないからね。……でも堂々と雪山まで挑戦してくれて、全然そんなことはなかった!」

面と向かって褒められてしまい、思わず口ごもる。相手はジムリーダーとして同業で、先輩なのだ。平常でいられる方がおかしい。顔が熱い。

「……えっと……あ、ありがとう、ございます……。……ヒョウタさんも……大変な仕事で、命の危険と隣り合わせで……それなのに常に冷静で大胆で……」
「本当かい、照れるなあ。ボクはよく勢いが良すぎるって言われがちでね。ボク達……実は似てるのかもしれない」
「……似ている?」
「そう! ギャップ仲間!」
「それは……そうかもしれませんね」

談笑しながら覗くガラスケースの中の展示物は、はっきりと時代を物語っている。木で出来た掘削用具、揚水に使った桶。今はポンプが水を吐き出すけれど、大昔では人々が桶を運んで排水していたのだ。
セキタンザンが火を灯すように、石炭は可燃性の物質だ。坑道を照らすランプは、蝋燭の炎が石炭の粉塵などに引火させないため、努力の末開発されたもの。
横のケースには、石炭標本があり、さらに各地の石炭が並べられている。

「シュポ!」
「これはホウエン……」

ぼくは思わず燃える男を思い出す。彼の出身地にも、炭鉱はあるようだ。

「地域ごとに石炭質も違うから、比べると楽しいよね! そうだ、お願いがあるんだけど……セキタンザン、きみの石炭も、ここに飾らせてもらえないかな?」
「ポ?」
「逆に……よいのですか?」
「もちろん。元々ガラルから譲ってもらうつもりだったんだ。セキタンザンの石炭は質もいいし、長く保管しやすそうだし、これ以上ない機会だよ! いいよね?」

突然、ヒョウタさんが受付の女性に話を振ると、驚くことなくにこやかな返答が届く。

「スペース、用意しますね!」
「ありがとう!」
「よかった……です」
「しかしセキタンザン、いいね……。シンオウでも育てられないか、確かめてみる事にするよ。せっかくだしね」
「ええ、ぼくも手伝います。彼らの資源を活用することで……ぼくたちトレーナーの時間も他に割くことが出来ます。何よりバトルに注力できることは……よいこと、です。あの雪道も……彼に助けてもらいました」
「シュポオ!」

有意義に時間を使える事は何よりも利点だ。ぼくは考える。あの深い雪山も、セキタンザンの力があれば数倍楽に乗り越えられた。この炭鉱でも、立派に仕事をこなせるだろう。
雪の多い街の出身のぼくからみれば、ここにセキタンザンたちがいないことが不思議に見える。
こんなにも厳しい寒波なのに、彼らに守られた逸話はない。あるのはひととポケモンと、世界の成り立ち、そのものだ。
シンオウのいわジムリーダーはにこやかに笑う。

「なるほどね! でも、ボクは炭鉱の仕事も、大洞窟も好きなんだ。さっきも少し言ったかもしれないけれど……山の深い穴奥の環境で働いていると、洞窟の中で生活するいわポケモンに、自分の命も近づけるような気がしてね! 彼らとの絆もぐっと深まるよ」

ヒョウタさんのグローブが、ポケットを撫でる。そこにいるのは、ただの道楽で立つ人間ではなかった。

「シンオウは何もないのかもしれない。その代わり、いつだって真剣に、ボクの力そのもので向き合える。うん! ボクはボクの好きな物に全力なんだ。……誰かさんの言葉を借りちゃったけど」
「公私一体というものでしょうか……。……少し羨ましいです」
「きみって面白いな! まさか羨ましがられるなんて思わなかったよ! でもマクワはマクワで、きみの仕事をして、いわポケモン達と良い関係でいられているんだろう?」
「シュ ポオー!」

勝手にセキタンザンが返事をする。ガラルのポケモントレーナーとして、いわを極めたいという志を持つ者として、ポケモンに向き合い続けてきた矜持があった。

「うん! いい絆だ!」
「……当然です。……ヒョウタさん、最後にひとつお願いが」

ぼくはサングラスを抑え、モンスターボールを構える。戦ってみたい。あるがままの自然の中で、常に命を剥き出しにして生き続けているヒョウタさんは、きっと一切の容赦をしないだろう。
同様に、彼のいわポケモンだって、命を懸けるヒョウタさんを信頼し、容赦なく全てをぶつけてくれる。ビルさえ破壊できる力を持つラムパルドは、怜悧に巨岩を砕き抜くだろう。
それくらいの想像はぼくにだって出来る。ヒョウタさんにとって、敵はただ一人、目の前にいる相手のみだ。全ての力を凝縮して、ただそこにぶつけるだけ。至ってシンプルでわかりやすく、最高に白熱した戦いが生まれるに違いない。
それでも、試合相手だけでなく、聴衆とも戦い続けているぼくの力だって、負けないはずだ。
敵を増やした中途半端なトレーナーなどと、誰にも言わせたくない。ぼくはぼくとして、いわポケモンと共に、人の心を変えた先にある頂点をもぎ取りたいという大きな目標がある。
観客を意識するぼくらと対極に位置するだろう彼に、ぼくが磨き続けてきた力をぶつけてみたい。
魅せる試合への奮励を続けるぼくだって、立派ないわの剥き出しなのだということを、証明をしてみせたい。

「待っていたよ! 手加減はもちろんいらないね?」
「ええ、ぼくのポケモンの強さを見せつけますから。……さっさと終わらせましょう」
「わかった! ならボクも、いわタイプ最高の力を見せるよ!」

ぼくらは博物館を出て、近くの広場に立った。満点の星空が、ぐるんと回転する。ひんやりと冷たい風に乗って、二つのモンスターボールが高らかに輝いた。

 


 

2021年11月28日  piviv投稿

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