ガラルジムリ忘年会で引退したメロンさんが来るから飲みたいのに飲めないマクワさんの話

週間予報で既に予想されていた天候は見事に当たり、ここナックルシティの石畳は真っ白な雪で埋もれていた。
冷え切った窓も中の熱気を帯びて真っ白に曇り、外の様子は伺えないが、同じ色に染まっていることだけはわかる。
ナックルシティのスタジアムの近くにある、行きつけの小さな飲み屋に集結しているのは、各町のジムリーダーとそのゆかりがある人たち。
年末恒例忘年会という事で、キバナさん収集で皆が集まり、思い思いに飲んでは一年分の交流を楽しんでいる。
グラスを片手にガラスを見つめながら、ぼんやりとホテルまでの帰り道を心配していると、後ろから声が掛かった。
「寒そうですね。」
「ネズさん。」
「酔っぱらいの相手は疲れました。」
ネズさんの肩越しに見えたのは、楽しそうにビールのジョッキを持ち上げて笑うキバナさんと、その横で真っ赤な顔で話をするカブさんだった。
カブさんの表情は普段とあまり変わらないように見えるが、雰囲気で楽しんでいる事がわかる。
その奥にはルリナさんが居て、何やら愚痴でも零しているのか怒っている様子だった。二人はそれを聞いてはそれに答え、愉快気にしているようだ。
「おや、進んでないですねえ。」
ネズさんは瓶を両手で持つと、ぼくの手元に置かれたグラスを見て言った。そのまま傾けて、自分のグラスに注ぐ。
「……ええ、まあ……。」
「気が気でない感じ?」
ぼくは返事の代わりに苦笑いを浮かべながらまだ半分は残っているグラスに口をつけた。
ぬるくなったビールのほろ苦さが口の中いっぱいに広がり、思わずそれを一気に飲み込む。
ネズさんは片手でグラスの中身をくるくる回していた。
少し後ろを見やれば、ヤローさんと会話する母親の声が耳に届いて、ため息をつきそうになってしまう。
母親は元ジムリーダーで、数年前にジムを継いだ自分の先代である。つまりジムリーダーのゆかりある人の中にすっぽり当然の如く入るのだ。
こういった集まりが大好きな母は必ず参加をする。そしてしょっちゅう昔の自分の話ばかりをするし、ぼくが酔えばそれはそれで会話のネタにだってする。
要するに、人の集まる場でいいように使われるのが、立派にジムリーダーを継いだはずのぼくとしては、少しばかり許せないことだったりする。それにまあ、自由に酔っぱらわれると必ず同じになる帰路にお鉢が回ってくるのはぼくなのだ。
「いつだって親は子供が可愛いもんなんですよきっと。」
「……そうかもしれませんが。」
「まるでダメなおれも妹は可愛いですからね。」
「その気持ちはもちろん、わかりますけど。」
「そうですよね。ちなみに昨日もマリィがエキシビジョンマッチをしてましてね。ドクロックのどくづきがあんまりいいタイミングとスピードだったもので
もうほんとかわいくてですね。ズルズキンもすごくよく育ってまして、あのズルズキンの素早さにははおれのズルズキンでも敵わないというかみたことないといいますか、もちろんパワーでは負けませんけどね。ほんとにマリィはいいトレーナーでかわいいんで。」
あ、ダメだ。この人涼しい顔して滅茶苦茶酔っぱらっている。ぼくは悟った。
喋りながらずるずると崩れていく体制に、ぼくは慌ててその細い身体を支えると、まだまだ口に向けられるお酒の入ったグラスをそっとおいしいみずにすり替えておいた。
おかしいな、ネズさんは自分がすぐ悪酔いしやすい体質である事を自覚しているから、いつも飲み方をなるべくセーブしていたはずなのに。
そう思うと、さっきまで向こうにいたキバナさんがすぐ目の前でにこにこ笑っていた。あなたか。
「っしゃー!ネズが潰れた、おれさまの勝ちだな!」
「ちょっと、何を競ってるんですか!?」
ふふん、とまるで漫画のように得意気な鼻の鳴らし方をすると、瓶を出した。
「これがネズが頼んでた瓶。こっちがトイレ行ってる間に変えといた瓶。」
「そんな古典的な……って度数60のビール!?」
つんつんとキバナさんが指をさしたラベルには、アルコール60%だと書かれている。
通常のビールのアルコール度数は高くても5ぐらいだ。とんでもないアルコール比率だ。
「キルクス産だぞ~。」
「いやぼくは初めて見ましたけど。」
母さんは酒豪だが、ビールはあまり好きじゃなかった。度数の高いビールなんてもってのほかだろう。
「ほら飲めよ。マクワ坊ちゃん全然減ってませんね~?」
「いい加減にしないと怒りますよ。」
「いつももっと飲むだろ?まだ半分もいってねーんじゃねえの?」
そう言ってケラケラ笑いながら、近くにあった空のグラスにネズさんが飲んでいたビールが注がれていく。
正直酷く興味はあったので、キバナさんを睨みながら、泡が立っていく様子をついつい見てしまっていた。
「飲まなきゃ損だぜ!」
「…はあ、とりあえずお礼だけは言いますよ。ありがとうございます……。」
「わかればよろしい。お、ポプラさんも飲むか?」
見れば目の前のテーブルの大皿に残ったつまみの枝豆をポプラさんが箸で取り皿にとっていた。
「あたしはこれ取りに来ただけさ。あんたらはそっちで飲んでな。」
「そんなこと言わずによ、ちょっとこの坊ちゃんにいろいろ教えてやってくださいよ~。未来のホープによ~。」
本当にこの人は怖いもの知らずだなあと思う。それがほかの地方に行けばチャンピオンになれる、と称される人間の心臓なのだろうか。
ポプラさんは真っ白な顔を赤く染めたまま、目を細めるとけっと鼻で笑った。
「なあにが未来のホープだよ。……あたし思ってたんだけど、あんたさ。」
そして机越しに身を乗り出し、長い鼻が文字通り目と鼻の先にやってくる。甘い花にアルコールが混ざったような独特な香りが漂った。
「やることが面白いくらいにメロンに似てないねえ。こーんなに顔はそっくりなのにね。ピンクには程遠いが、まだピンクに近いんじゃないかい?」
「おお、ポプラさんが褒めた!?」
「さあ、どうだかね。酔っぱらいの戯言さ。」
そういって涼し気な顔でポプラさんは枝豆を一つ口にした。
「思い出話の特権は親だけじゃないよ。たまにはこの婆の長い話にでも付き合いな。……キバナあんたもだよ。」
「お、おれさまは間に合ってますぅ。」
「チャンピオンに勝ちたいんだろ。」
「聞かせてもらいます!!」
そう言ってキバナさんは、ポプラさんの細い肩を寄せて隣のテーブルへ移動して行った。
賑やかが一気に消えて、辺りに静寂が訪れる。いつの間にか足元に転がってすやすや眠っているルリナさんに上着をかぶせた。
それからキバナさんが残していった60%アルコールビールを今のうちにぐっと飲んでみた。
どれぐらい辛いかと思っていたら、度数の割にさっぱりしていてすごく飲みやすい。おいしい。もう一口だけ。
だがどうせ母さんが酔っぱらうのだ。自分まで潰れてしまったら今日の宿泊先のホテルまで帰れなくなってしまう。
名残惜しいがこれ以上は飲めない。ぼくはグラスを机の上に置いた。
すると寝ていたはずのルリナさんが急に体を起こした。
「あれ、ここどこだ~?」
「ここはナックルシティのお店ですよ。」
「本当なの?」
「……なんで嘘をつく必要があるんですか。」
「あはは、マクワさん、酔っぱらってるルリナさんとは話できんよ。」
笑いながらルリナさんの背中を軽くぽんぽんとたたいたのはヤローさんだ。
「飲ませすぎちゃったかな。」
反対側の席にいたカブさんがまだまだ真っ赤な顔をして頭を掻いた。
「ぼくも飲みすぎちゃったな。」
カブさんはずっとニコニコしている。フィールド上の厳しい表情が嘘のようだった。
「薬ありますよ。飲みますか?」
ぼくは母さん用に飲み会常備している錠剤をポケットの袋から取り出す。
「ああ、いいよいいよ大丈夫。ありがとう。ぼくも持ち歩いてるからね。ほらぼくはあんまりお酒に強くないんだよね。」
「そうなんですか?意外です。」
「出身地方の体質みたいなものだよ。ガラルに比べるとね。」
「ホウエンでしたっけ?」
「ああ、いいですなあホウエン。自然がいっぱいで農家も多いと聞いとります。」
「うんうん、それにね、なによりおいしいものがいっぱいあるよ。」
「よくお土産で買ってきてくださいますよね、えっと、なんでしたっけ、お、おせんべ?」
「そう、フエンという町のお煎餅っていうお菓子、フエンせんべい。名物なんだ。」
「ん~、お腹すいてきちゃった……。」
ルリナさんが目を覚ましたのか、机に突っ伏してた身体をまた起こした。
「はは、ルリナはまだ食べるのかい?」
「飲み会といえば、締めがないと……。」
「あれ?でもルリナさん、また撮影近いし体重絞るいっとらんかった?」
「……か、身体作りよ!タンパク質摂るの!」
「それはいいですね。ぼくもやらないと。」
「うんうん、偉いよ。二人ともがんばれ。そうだ、せっかくだし声援を送ろうか。」
「わたし送る方でしょ!!」
「じゃあいつもどおり3人で送るかい?」
「いや、いりませんよ、ただ締め食べるだけじゃないですか……。」
「あんまりいじっちゃダメですよう。」
「そうか、残念。またほしくなったらいつでも言ってくれていいからね。」
「あ、ありがとうございます……??」
「よし、じゃあルリナ、ダンデくんの応援をしに行くぞ。」
「ええ、後でいいよ~。」
「向こうでキバナくんと腕相撲してるみたいだからね、声援を送ろう!」
何故か片腕を引っ張ってずるずる引きずっていくカブさんは、相当酔っぱらっている様子だった。
「これはだいぶ飲んでますね……。」
「うん、二人で勢いよく飲んでたからな。ルリナさんは普段身体作りで厳しい生活しとるから、今日くらい羽目を外してほしいんじゃ。カブさんも。」
丸い目が優しく上弦を描く。ヤローさんとルリナさん、カブさんの三人は多くのジムチャレンジャーの最初の入り口や関門として、
重たい責務を分散しようといつも協力し合っている為か、とても仲が良かった。
「ヤローさんは全然酔っていなさそうですね。」
「いいや、いつもより楽しい気分だから十分酔っぱらっとるよ。」
にこにこ穏やかな笑みを浮かべているヤローさんは、普段と全く変わらないように見える。
「それは何よりです。」
「それよりマクワさんこそ、なんだか全然飲めてなさそうだな。」
ぼくはまた苦笑いを浮かべた。
「これでもちょこちょこ飲んでいるんですけれどね。」
「もったいない。無理はいわんけど、マクワさんお酒好きじゃろ?」
「気遣いありがとうございます。……母さんの様子はどうでした?」
「いつも通りだな。好きなもの飲んで、昔の話しとる。」
「どれぐらい酔ってました?」
「うーん、10回くらいマクワさんがジムを継いだ時の話を聞いたかな。」
「相当ですね……。」
これは帰りが怖い。この足場の悪そうな中、背負って帰るしかないかもしれないな、と考える。
「みんなホテル近いし、何かあったら手伝うよ。」
「ありがとうございます。」
「……すみません、そちらのケーキって余っていますか?」
控え目な声に振り替えると、取り皿を差し出したサイトウさんが膝立ちで照れたように笑っていた。
「ヤローさん、いりますか?」
ぼくが尋ねると、ぶんぶんと丸い顔を横に振ってこたえてくれた。
「ぼくも食べませんので、全部どうぞ。」
「えっいいんですか!?」
大きな色素の薄い瞳がキラキラ輝いてうれしそうだ。
「ありがとうございます、いただきます!」
既に小さく切り分けてあるチョコレートのケーキを少しずつ味わって食べるその様子に、ぼくもヤローさんもなんだかうれしいような気持ちになる。
「普段制限しているんでしたっけ。」
少女はごくんと飲み込んで、それから口を開いた。
「いえ!その分しっかり節制してますの大丈夫です。ただ、あまり人前で食べないようにしていて……。」
そういえば、彼女も自分のイメージを大切にするあまり、好物をファンの前で食べないようにしているのだと聞いた。
「でも、こうやって忘年会でジムリーダーの皆さんと一緒の時は食べられるので、うれしくて、つい……。」
いっぱい食べてしまって、迷惑が掛かっていないかどうか不安だと、消えゆく語尾の中で聞こえた。
「全然大丈夫ですよお。甘いもの好きなのってどちらかというとぼくらより女の子たちだと思います。」
「そうですね、ぼくたちはお酒飲みに来てますし、それこそ飲めないサイトウさんがデザートをたくさん食べてくださればぼくたちも助かりますよ。」
「本当ですか!ありがとうございます、いただきます!」
サイトウさんはキビキビとしたしたガラルカラテを彷彿とさせる動きの中で、今度こそ遠慮なしに大皿から直接口に運んでいた。
「あ、オニオン君もどうぞ!」
「あ、ありがとう、ございます……。」
トイレから戻ってきた様子の幼いオニオンさんが横切ろうとする所に、サイトウさんが声をかけた。
既に眠いのか、それとも元々の振る舞いなのか定かではないが、ふらふらとした足取りでサイトウさんの隣に座り、大きな仮面をずらしてケーキをひとかけら食べる。
「おいしい……です。」
「オニオンさん、疲れてませんか?」
だいぶ夜が深い。明らかに最年少の少年に、ぼくは声をかけた。
「ぼく、暗いの、遅いの、好きなので……平気、です……。」
「オニオンさんもサイトウさんも、若いのにすごいなあ。」
「け、けどぼくは、みなさんより、一つ下のランクだから……。」
ガラルのジムリーダーは、よりジムリーダーとしての実力を可視化し向上させる為、メジャーリーグとマイナーリーグというシステムが存在する。名前の通りメジャーリーグが上位リーグだ。
ぼくたちがいるのは当然メジャーリーグだが、審査に落ちて格下げされればマイナーリーグになる。
オニオンさんは、現在マイナーリーグのほうにいるが、オニオンさんの出身地で、現在ラテラルタウンに住むサイトウさんの友人という所縁から、この忘年会に参加していた。
「十分すごいですよ!みんな褒めてます!次は一緒のランクになれるといいですね。」
普段ストイックににらみつけているイメージの強いサイトウさんが、オニオンさんににっこりと笑いかける。
それを受けたオニオンさんも、嬉しそうにこくこくと頷いた。
「本当によくやってますよねえ。ぼくが君ぐらいのころはまだやっとジムチャレンジでいくつかバッチをゲット出来るようになってた頃なんだな!」
「ええ、ヤローさんが?」
「そうだよ。ぼくがジムリーダーになれたのはまだちょっと前だしな。」
「ぼくだってそうです。」
まだぼくがキルクスのジムを母から受け継いで数年しか経っていないことを考えれば、オニオンさんは十分すぎるほど若い。
「でも、ぼくたちも勝ちますからね。上にいる事が当然ですので。」
「だ、大丈夫です……。今度は、ぼくも、同じランク、です……!」
「皆切磋琢磨して偉いなあ。こりゃ来年のジムチャレンジも楽しみだなあ。」
ヤローさんが朗らかにジョッキを飲み干し、サイトウさんがぺろりとチョコレートケーキのお皿を食べ終わっていた。
「よし、みんな!元チャンピオンがキバナに腕相撲5連勝したところで!今日はお開きだ!お疲れ様、気をつけて帰るんだぜ!」
「サイトウとオニオンはおれ様とドラゴンがしっかり送るからな!」
顔を赤らめたダンデさんが、立ち上がって叫ぶ。時計を見れば既に日付が変わる直前で、どっぷりと深夜を回っていた。
その前の席には悔し気に机の上に上半身を横たえて座るキバナさんの姿があった。
死屍累々。あちこちで既に睡眠モードに入っている人たちが転がっている中、ぼくやネズさん、ヤローさんらで分担して肩をたたく。
ついでに忘れ物がないか、机の周りをぐるりと一周し、まだ椅子の上に座ったまま動きたくなさそうな母さんに声をかけた。
「帰りますよ。」
「え~もう時間かい?」
「今ダンデさんが言ってたでしょう。お店も締まりますし、ホテルに戻りますよ。」
「そうねえ。」
母さんはまだ名残惜し気に立ち上がると、横にかけてあった真っ白の毛皮のコートを羽織る。
飲みすぎて足元がおぼつかないのかふらつく母さんの身体を支えてやりながら、扉を開いて頭を下げると外の銀世界へと足を出す。
心配気にヤローさんが来てくれていたが、取り合えず母さんも立って歩けるので心配ないと言っておいた。
外は驚くぐらい静まり返っていて、あの店の中の喧騒がまるで夢のようだった。
宵闇で黒い石畳の町を白が縁取り、月明かりが明るく照らす。
「ん~~~母さん眠い~~~。」
目をこする母親の肩を支えながら、歩きにくい雪の町を進む。
「はあ……。結局こうなるんですよね……。」
ぼくは思わずため息をついた。ちっともお酒は飲めないし、最後には母親の面倒を見なければならないし、どっと疲れた。
確かにほかの人たちの違う側面が見れたのは楽しかったしよかったけれど。
住宅が立ち並ぶ区画まで歩いてきて、ふと母さんは何かを思い立ったのか、突然口を開いた。
「……ねえマクワ?」
「……何ですか?」
こういう時の予感はよく当たる。それも嫌な予感だ。
「……せっかくだからさあ、親子水入らずで二次会しない??」
「え、ええ?」
「ぶっちゃけ母さんまだ飲み足りないっていうか。あんたも飲み足りないでしょ。」
なぜ飲めなかったのかを考慮してほしい、と言葉が出そうになった。
「それは、その。でも今度こそ帰れなくなるんじゃ……。」
「大丈夫よ、ホテルの近くにするから。」
「そういう問題じゃ……。」
「いいからいいから。行きましょ行きましょ。いいお酒も教えてあげるからさ。」
こういう時の母親の行動力はいつだって強しでこれまで勝った覚えがない。
今の今までふらふらしていた母さんはたちまちいつもより何倍もしっかりした足取りで歩きながら、近くのバーをスマホロトムで検索し始めた。
すぐにぼくの腕を引っ張ると、あっという間に雪に埋もれて厳かに光る古びたバーの看板を発見した。
重たいマホガニーの扉を開けると、仄暗く落ち着いた雰囲気で、年配の人たちがグラス片手に多く座っている。
壁いっぱいに古いレコードが飾られていて、どうやらお酒を飲みながら好きなものを聞ける、レコードバーのようだ。
母さんはそんなサービスには目もくれず店の奥の角の席に座り、マフラーとコートを脱いでハンガーにかけた。
「好きなもの注文して。ここで飲めるショーチューが美味しいのよ~。一緒に飲む?」
正直水と言ってやろうかと思ったけど、結局選んだのはカリフォルニアレモネードだった。
あっという間に母が注文を済ませると、2杯のグラスはすぐに運ばれてきた。
「はーい、乾杯!」
「……乾杯。」
母さんがにこにこグラスを掲げるのに、ぼくは合わせる。
「母さん嬉しいな。こうやって息子がジムを継いでくれて、その息子と一緒に飲めるなんて。……まあこれが氷タイプジムだったら最高だったんだけど。」
「……置いて帰るよ。」
ぼくは不機嫌ついでにカクテルをぐっと煽った。すでに何度も聞いた話だった。
レモンの舌に響く苦い酸味とアルコールの刺激がイライラした気持ちを連れ去ってくれる。
あら、いい飲みっぷりね、と母さんが笑っていた。
「冗談よ冗談。ジムはどう? あの子たちはちゃんとやってる?」
あの子たち、というのは岩ジムのトレーナーとして新しく入ってきた人たちのことだ。
母さんの時代のトレーナーもいるが、新しく専門タイプを変えたこともあり、今は自分と同じ頃新任されてきたトレーナーがほとんどになっている。
「うん、まあね。いろいろ勉強になるし、ポケモンを育てるときには助けてもらってるよ。みんな専門タイプには詳しいから。」
「そっか、よかった。でもあんたも結構ビシビシやってるみたいね? こないだなんかメロンさんが二人いるみたいです、って言われたわよ。」
「……それは……。」
ぼくは気恥ずかしくて思わず言い淀んだ。ジムリーダーとしてジムトレーナーへの対応の方針は、正直大きく母さんに影響されている。
生まれた時からずっと見てきたし、そうやって育てられてきたのだ、真似をするなという方が難しい。
いや、だけど、本当は。
「……厳しいのは当然ですよ、ポケモントレーナーとして。ジムとして。」
「もちろんよ。なんてったってあたしらがキルクスの顔、しいてはガラルのポケモントレーナーの顔にもなっちゃうんだからね。下手な真似はできないわよ。」
ぼくは2杯目のグラスを煽る。冷えた身体がぽかぽか温まるのがわかって、ふわふわと心地が良かった。
「……あのね、母さん。」
ニコニコ笑う母さんに、自然と言葉が落ちた。
「ぼくは岩タイプのポケモンが、好きなんです。どうしても、みんなに良さを知ってもらいたいし、そのすごさで驚かせたい。ぼくは岩タイプのポケモンを誰より扱えるようになりたい。」
「うんうん。」
「母さんと氷ポケモンみたいに、ぼくはぼくと岩タイプのポケモンがずっと誇りあるものでありたい。そのために、できることを、したい……。」
母さんの柔和な相槌が余りに気持ちよくて、なんだかまるで急に、意識が遠のくように、眠くなってきた。
「そうねえ。」
「ぼくが、出来ることって……限られていて……、何が、一番、いいか……わか……ない、……。」
呂律が回らなくなって、目の前にゆっくり帳が下りて真っ暗に遮断されてしまい、後の記憶は全くない。
気が付けばホテルの自分のベッドの中で朝を迎えていて、酷く頭が痛かったことだけは覚えている。
おかしいな。二日酔いになる程飲んだだろうか。母さんと一緒に忘年会の店を出てからの記憶が殆どない。
なのに何故だろう、ぼんやりかすむ意識の中、凍える様な寒さにいて、よく知る温もりに支えられた体で聞こえた、よく知る声だけは頭の中で反芻している。
上から真っ黒で大きな鳥ポケモンの翼がバサバサと降りてくる音、吹きすさぶ冷たい風。
優しい言葉、温かい音、生まれる前から知るその輪郭のない包み込み様な幸福。安心感。
「ふふふ、ほんとに立派に育ってくれてありがとう、マクワ。」

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カリフォルニアレモネードのカクテル言葉は「永遠の感謝」
2019年12月7日pixiv投稿

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