◆ラプラスの花婿
マのOD描写/ラプ→マで終始バディ・親子/ポジティブ
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世界はたったの7つの色で出来ている。
マクワは悩んでいた。いわジムリーダーとして新参だが、自分の出来る事はある程度やり切っているつもりでいた。自分の強みは応援してくれる人たちが多く、距離も近いことだ。
なるべく常にファンの人たちの前に顔を出し、感謝を伝えること。それはポケモンの魅力を伝える
けれどすぐに時は移ろう。
人々の興味は風に飛ばされるワタシラガよりもずっとずっと軽く、簡単に飛ばされてしまう物だ。毎日、毎秒のようにSNSのトレンドを飾る名前は移り変わっている。
昨晩はナックルジムリーダー・キバナの自撮りが物凄い数の数字を稼いでいたかと思えば、今朝はエンジンジムリーダー・カブの久しぶりの投稿が話題を呼んだらしい。それも遠いホウエン地元に関することで、珍しいものにガラルの人の関心は見事に向いたというわけだ。
常に新しい事を探し、変えていかなければすぐに埋もれ、おいていかれるだろう。
日課としてマクワがインターネットを使って情報を集めるのは当然のことだった。スマホロトムに頼めば簡単だ。
人目につく活動をしていれば自分に対する肯定的な意見も否定的な意見も無数に聞こえてくる。その捌き方も、母を見ながら学んでいたつもりだった。
だがその時は、ひとつの大きな声が目に付いた。
『あんなやり方自分が目立ちたいだけ。ポケモンが可哀そうだ』
マクワのことを糾弾する、感情任せの身勝手な意見だった。きちんとマクワには言い分があり、そうしているだけの理由があった。聞かなくていいことはわかっている筈なのに、どんよりと疲労の残る頭に空いた穴に引っかかって抜けていかない。
そこからずるずると気になったのは、怨嗟に近い呟きや、嘆きじみた感情の強いもの。そうして否定な意見ばかりを見てしまった。
ここの所、自分の結果が芳しくなかったことも拍車をかけた。
楽な道を選ぶよりも苦しい方が鍛錬になり、成長が望めるという浅はかな思い込みに支配されていた。
そうすれば当然のように精神的な負荷ばかりが雪のように降り積もり、巨大な氷山を作り上げていった。
一度作ってしまった険山はマクワの心の中にどっしりと居座り、なかなか登頂しきる事が出来ない。昇る事が出来なければ、迂回するルートを辿るしかない。
本人のコントロールと自覚さえもすり抜け疲弊しきっていた身体は、普段であれば聞きもしない声を聴きとってしまった。夜、一見変哲もない、普通のビジネスホテルの一室に招かれた。
最近まだ立ち上げたばかりの自己啓発セミナーの会員の誘いとか、意見交換だとか、商品開発だとか、なんだかそんなグループだったとマクワはうすらぼんやり理解していた。新しいことを始めるのも、交友関係を広げることも、鍛錬として悪くないし、むしろよいチャンスだ、今早急に必要なことだと考えていた。
マクワは、疑う事もなく出されたグラスに口を付けた。
最初は少しずつ寒くなり始めて、風邪だろうかと思った。けれど女性の話が急速に理解できるようになって、マクワはいくつか提案することが出来た。詳細はよくわかっていなかった。
驚くほど時間もたっぷりあり、マクワの味方だった。女性もうっとりと聞いてくれていた。
きらきら輝く宝石がとても眩しくて目を細めた。家具や柱が揺らぎだして、ウソッキー達の動きを思い出した。部屋に掛かっていた静かなクラシックの細かい楽器の音から、弦の擦れるタッチの音まで、全てが音楽に詳しくないマクワを歓迎した。とても良い気分だった。
それからグラスをぐっと仰いでから、急速に意識が遠のいた。眼を覚ました時、マクワの眼にあったのは、視界で揺らめく虹だった。
虹。揺らぎ、アゲート。ジオード。瑪瑙。瑪瑙。瑪瑙。薄い層の塊の石、教えてもらった。誰にだっけ。だれでもいい。思い出そうとするたびに、どんどん激しいうねりの中に流されていく。この広大な世界の前では、そんなちっぽけなことはどうだってよいことだった。
視界いっぱいに広がるのは、波打つ虹色の縞瑪瑙の輝き。一瞬たりとて同じ顔はなく、翻弄する万華鏡。薄い水晶の層の堆積。
じわじわとおびただしくわずらうジオードの中に閉じ込められていた。
震えるような興奮と喜びが頭の中を叩く。わけもわからないのに、幸福で弾け跳びそうになる。
それはきっと世界の真理と接続したからだ。7つの色。アカシックレコード。全ての理解。あらゆる知見。つめたい水。氷。
人間なら誰しも欲しがるアルセウスの声が届く場所。そうだっけ。途方に暮れながら、煌めき蕩ける瑪瑙の色たちをただ享受するだけだった。
誰かの叫び声が聞こえた。窓の明かりが遠くに、カーテンの揺れを見上げた。潮騒。
再びぎらつくような7色の瑪瑙に吸い込まれた。色同士がぶつかり合って波打つ極彩色の波動。
たった7つの色で世界は出来ている。出来ているんだ。そんな単純な事を知らなかったなんて。笑いたくなる。思わず笑ってしまう。知ってしまった。他の人は知らない知りもしない優越感。
飛び出すような思考。歯止めのかからないキルクススタジアムの通り雷の降る愛情でした。
祝福している。世界が何もかもすべてをマクワを歓喜していた。恐怖さえ押しつぶされていた。
幸せ、幸せだ。多幸感。溺れる程の幸福の中心で、マクワは眼を覚ました。
そこはごつごつしていて、緩いカーブを描いている。海の潮風が頬を攫って行き、冷たい。見れば青いヒレがすうと水面を掻いて泳いでいた。
空は青く、キャモメが遠くを群れで飛んでいるのが見えた。その向こうに緑の山があった。
マクワは、棘のある堅い甲羅の上で仰向けになって横たわっていた。それは幼い頃からよく見った感触だった。
「らぷ……ラ、す……?」
「らんら」
名前を呼べば、すぐに振り返ってラプラスはマクワの記憶の中の通り機嫌よく返事をした。彼女は母親メロンの切り札として常に行動を共にしているはずのラプラスだ。
上体を起こそうと思ったが、何故か身体は重たい。そもそも自分がラプラスに乗って、それもまだ海から顔を出したばかりの太陽の下で、海上を移動しているのかさえ定かではなかった。
「今の……いまの、は!? ぼく、7つ、繋がって……あ……ぐ……」
「らー」
「……助けて……くれたのですか……うえ……ッ、あ、ありがとう……ございます」
『お礼なら……あなたのバディでいいのよ』
マクワには、ラプラスが何を言いたいのか、まるで人間が喋るように伝わって来る。彼女との付き合いが長く、また彼女が聡明で人語を理解しているおかげだった。
「……あなたは、まだ……」
『大変だったわね。麻薬の密輸に利用されかけたそうじゃない』
「……ぼくが?」
内ポケットを探ると薄いピンクや黄色、水色のカラフルな錠剤が並ぶアルミシートの束が出てきた。普通の薬には見えず、まるでお菓子と言われてもマクワは納得してしまうかもしれない。
一粒一粒には花や顔の意匠が施されていて、かわいらしくてとてもご機嫌だった。初めて見る物だ。もし街中で見かけたとして絶対に触れないもの。
触れたとして、必ず警察に持ってゆくものだ。
それが何故か自分のポケットの中にある。あってはいけないもの。マクワは海面に投げ捨てようとした。
『あ、捨てちゃダメよ。それがあれば悪い奴らを一網打尽にする……つまり捕まえる証拠になるわ。だからわたしと一緒に、入り江まで逃げるのよ。それがメロンからの指示』
「……母さんに助けられてしまったのか」
『悔しそうね』
「……当然です。……う、ぐ……え……」
『甲羅の上で吐かないでね。ちょっとだけピリッとするのが嫌だから』
「……きもちわるい……」
『近くで休みましょうか。……ちょうど横穴があるわ。入れるのじゃないかしら』
薬はもうとっくに切れていた。虹色の幸福感が去り、きぃきぃと苦しくてしょうがない。ざわめきが煩い。全てが色を失くし、マクワへ襲ってくるようだった。恐怖が胸の奥からせり上がって来る。
見てはいけないものが指をさしていた。生暖かくて柔らかい。白い光がせせら笑った。根源。
さっきの多幸感で誤魔化してしまいたい。
ラプラスは浅い岩の洞を見つけると、海水の届かない場所へマクワを降ろした。
マクワはよろけるようにしながら、石窟の壁にもたれ掛かって座った。汗ばむ顔は青白い。
『大丈夫?』
「これくらい……あなたたちとの訓練に比べれば」
『メロンは本当に厳しかったものね。特にあなたには』
マクワはただ、ぼんやりと湿った石壁を見つめていた。
『……さっきの話、本当よ。わたしは今でもあなたのバディになりたいと思っているの。ずうっと楽しみにしていたの』
「……でもあなたは母さんのバディです。今までずっとそうでした。それを辞めることになるのですよ」
『もちろんそうだわ。けれどね、メロンは本当に本気だったのよ。あなたが生まれた時からわたしのことをあなたのバディにするためにいろんな事を頑張って来た。わたしも一緒にね。
あなたに交代する日をメロンがどれほど待ちわびていたか。あなたに聞かせてあげたいくらいよ』
ガラルのジムリーダー、つまりトップトレーナーの席は、席に座ったひとが有権者となって次の世代を選ぶ事が出来る特殊なものだ。ただし当然実力も伴わねば、あっという間に引きずりおろされる。
メロンはその特権というギフトを自分の子どもに贈ることを、早い段階で決めていた。
この特権があれば、ガラルでの社会的な地位は安泰だ。幸福な生活を送る事が保証されるもの。
そして既にバディとしてガラルリーグを賑わせていたラプラスと共に、2人の決め事が生まれた。
当然その時のラプラスは酷く混乱した。まだまだ長く続くと思っていたバディに、突然別れを切り出されたのだ。
メロンが初めての子供を産んですぐ、ラプラスに言った。
(「ごめんね、でもすぐじゃないんだよ。この子が立派になったら、今度はあたしの代わりに、この子のバディになってやって欲しいんだ」)
ラプラスからしてみれば、その赤子は自分からバディを取り上げるとんでもない存在だった。
最初はあまり優しくできずに、メロンに窘められた事もあった。この子どもがメロンの眼鏡にかなう存在になってしまえば、メロンから離れなければならなかったからだ。
しかし彼が大きくなるにつれて、メロンの面影が出てきた。ラプラスも良く知ったものだ。ま
だ幼く何もかもが魅力的に見える彼は、危険を危険だとも知らぬまま、自ら極寒の氷水の中に飛び込んでしまいそうになり、ラプラスは慌てて食い止めたりもした。
もう少し大きくなってからは、ラプラスも一緒に訓練に参加するようになった。
(こんなに幼い頃からトレーニングをするのね。メロンもここまで幼くはなかったんじゃないかしら?)
ラプラスはマクワの成長も、メロンの執心も隣で視続けた。極寒の冬も、緑吹く夏も、キルクス中を走り回り、ひたすら心身を鍛え続けていた。ある時には他のスタジアムへ行き、試合の見学をしていた。もはやラプラスは既にマクワのバディのようなつもりだったのだ。
(でもわたしがマクワのバディになれるなら……メロンのことも一緒に見ていられるのよね)
メロンから見ればマクワは十分に素質があった。メロンはマクワの呑み込みが早いことをとても喜んでいて、鍛錬することをいつも楽しみにして見えた。
同じように、ラプラスもマクワと一緒のトレーニングの日を心待ちにするようになっていた。
(メロンが楽しみなら、わたしも楽しみ。ううん。わたし、とっても楽しみだわ)
待望する心はむくむくと広がっていき、自分こそがマクワのトレーナーとしての資質を証明するものだと、ラプラスは思っていた。
(わたしのバディ。それはつまりわたしの……花婿、なんてね)
メロンの期待通り、あっという間に立派なトレーナーとして育っていった。だが同時に、長男の中に母メロンへの大きな不信が芽吹いていたのだった。
『それが突然あなたの意思で変わる事になったのだもの。こんなに寂しい事はないわ。わたしもずっとずっと楽しみにしていたのだから』
「……それは……ありがたいですが……ぼくは……」
ラプラスは少し待っていてねと声を掛けると、洞窟から出て行った。
マクワはいつでも思い出せる。寒い夜のような凍てつく訓練。
そこでは確かにラプラスがいつもバディのような顔をして、一緒にいたのだった。
その環境も、何もかもすべてが、このガラルという地方に於いて恵まれたものであることを、マクワは知っていた。
誰もおらず、静かになったはずの洞穴が、揺れる水面が、ざわざわとマクワの耳に喋りかけて来る。
<バディをラプラスにしなかった報いだ>
<メロンの言うことを聞かなかった罰だ>
思わずマクワは耳を塞ぎ、目を閉じる。虹色の瑪瑙はもはや色を無くし、灰色の瑪瑙になり、マクワの前でぐるぐると廻り始めていた。
全身の細胞が粟立ち始めているのが分かる。身体中が、もう一度この灰色に色を付けなければいけないのだと騒めき、蠢き立っている。
マクワは思わず頭を振った。だが衝動は大きくなるばかりだ。
右手は内ポケットを探り、持たされたままの薬のアルミシートを引き出した。
『飲んじゃダメ』
水飛沫が上がった。ラプラスの鳴き声が小さな洞窟に反響した。
「ラプラス……」
『良かった、間に合ったみたい。これ食べて』
ラプラスが集めてきたきのみが落ちてころころと転がった。ラプラスは唇を使い、器用にジャケットのポケットの中へと薬を戻していく。
「ありがとうございます。食欲はなくて……ずっと気持ち悪くて……」
『もう少しの辛抱よ』
潮騒が騒めいた。いつの間にかラプラスがきのみのほかに用意していた花束をぱらぱらとマクワの近くに落した。石と汐に混ざって、緑と花の濃厚な香りが踊り出した。湿った石の感触が歪に散らばって、手のひらを吸い込んでいきそうになった。
『ねえ、このまま二人きりで、遠くへ行ってしまわない? あなたを苦しめるものから、わたしが守ってあげる』
「遠くへ……」
向かい側の岩壁が目と鼻の先数センチにあり、ぐんと広がりマクワを呑み込もうとしていた。急に寒気が広がった。床は昏い色をして遠い。遠い。遠い。近い。距離。汐。水。眼。らぷらす。
マクワの歪む意識は、とうとう闇の中に溶けていった。
◆
つんつんと脇腹を突っつかれる仕草でマクワは眼を覚ました。ラプラスが口の先で揺らしていた。心配そうな瞳がマクワを見る。海辺の方からモーターボートの横切る音が仕切りに聞こえてきた。
彼らが通り過ぎた時に作られた波の破片が岩陰まで届き、ラプラスのヒレを濡らしていた。
落ち着いた場所で少しでも眠る事が出来たせいか、だいぶ意識ははっきりしている。
『……マクワを探しているみたい。ここはあまり安全ではなかったようね、ごめんなさい。でもすぐに逃げられるから』
「仕方ありません。突破しましょう」
『まあ、体は大丈夫?』
「問題ありません。ここで籠城し、精神的に消耗し続けるよりはましです。今あなたしかぼくのポケモンはいません。ラプラス、きみがバディです。むしろきみの方が準備は出来ていますか」
『もちろんよ。いつもあなたの前に立ちはだかっているでしょう?』
マクワが甲羅の上に乗ると、ラプラスは静かに水面の上を泳ぎ出した。黒づくめの怪しい男たちが、人の気配に気が付き、すぐにマクワの方へとモーターボートを回してやって来る。
「おっと有名人のマクワさんじゃないですか! 昨日の続きをぜひお願いしたく!」
「申し訳ありませんが、話はすべて聞かせて頂きましたので」
「チッ、ならしょうがねえ、力づくでいこうぜ ドガース スモッグだ!」
「こっちはズバットだ きゅうけつ!」
「2対1ですか……ラプラス、いけますね。ふぶき!」
辺り一面を強い冷気と風が支配する。ドガースの作り出した煙は風に煽られて流され、ズバットも目標を見失った。
「さらにハイドロポンプ!」
急激な温度差で発生した白い靄を切り裂くように、ラプラスが激流を吐いた。それはドガースの身体に直撃し、海水の中へと押しやった。
「チャンスだぜズバット、後ろががら空き、しかもトレーナーが乗ってる! そのままきゅうけつ!」
マクワのすぐ後ろにいたズバットが、マクワ目掛けて飛んでくる。通常のポケモンバトルであれば、ラプラスが受ける筈の攻撃を、トレーナー自身が受けかねない。
ラプラスは慌てて体勢を整えようとした。
「ズバットにハイドロポンプ!」
指示通り、首を動かして、そのまま激しい水流を吐き出した。至近距離で受けたズバットは、水の中へと落ちていく。その向こう側に、くるくると高く回転しながらハイドロポンプを回避して見せるマクワの姿があった。
思わず見惚れてしまうほど華麗なその技はポケモンにも劣らない。
きらきらと太陽の光を受けて輝く飛沫とともに、凹凸の多い甲羅の上を華麗に着地をしてみせて、得意気に指を立てた。
ラプラスの耳に、スタジアムのあの歓声が聞こえてきた。
男たちは手持ちのポケモンが居なくなったことを知り、捨て台詞を吐いて去っていく。
『やっぱりあなたとのバディは面白いわ』
「そうでしょう? ……でも」
マクワは甲羅の上に座り込んだ。動いたせいだろうか、目の端で再び7色の瑪瑙が輝き始めていた。ラプラスが採ってくれたオボンのみを一つ手にし、ラプラスと半分ずつ齧った。
ぎらつく幸福感。多幸感。接続される世界の真理。魅せるもの。魅せられるもの。
世界が騒めいて、未だ強制的にマクワを祝福しようとしていた。
だがしかし、マクワはもう知っていた。この跳躍は全て、彼らの物だった。
いわの輝きのなかに、もう全て備わっていた。
「……でも本当に輝くのはいわの強さですから。ぼくは……ぼくはなんと言われようと、ぼくの手で……彼らの輝きを知らしめたい」
ラプラスは瞬きをした。
『そうね。……マクワはキョダイマックスする時、笑って頬で撫でてくれないものね? わたし、あれがないと力がでないの』
「……あ、ああ……! ぼくも母さんももちろん人の前で見せる仕草には変わりません。ですが……切り札に想いを伝えるため考え抜いた動作をしているのです」
試合中に見せる全てが、バディを、一緒に戦うポケモン達と、気持ちを共にするためにきらきら磨き抜かれたものだ。今ならマクワにも、とてもよくわかる気がしていた。
「あれで母さんはとても寂しがりだから……バディが変わったら困るのは母さんの方です。面倒をおかけしますが……ぼくの方からもよろしくお願いします」
「らんら♪」
◆
冷たい氷を掻き分けて、ラプラスがキルクスの入り江に横づけした。雲間からは太陽の陽ざしが漏れていた。もうすぐ昼になる頃だった。
マクワはラプラスから降りて、久しぶりの広い陸地を噛み締めた。安定した大地が広々と繋がっていることは、心に落ち着きを齎した。
まだ薬の影響は残っていて、今は気持ち悪さが強かった。少ししゃがみ込み、地面をじっと見つめた。少しだけ頭を振って、もう一度立ち上がった。
「そういえばモンスターボールがありません。あなたの移動はどうしましょうか」
「マクワー! ラプラス―!」
「母さん!?」
よく通る声がマクワの耳に届いた。見れば雪の残る坂の向こうからメロンが駆け寄って来た。
メロンの顔を見たラプラスは、笑って擦り寄っていた。
「ああ、無事でよかった。怪我はないかい? 体調は? ……おやおやラプラス、少し見ないうちに甘えん坊が酷くなっていないかい?」
「ぼくは平気です。ラプラスも無事かと……母さん、よくここがわかりましたね」
「ラプラスと約束していたからね。ったくもう普段慎重なあんたがなんでこんなことに巻き込まれるかな。とにかく今からまずは病院行くんだからね。他にも行くけどまずは病院!」
「ええ、今からですか!? ちょっと、あのぼく……荷物は!?」
「ああごめんごめん、きちんと全部取り返しておいたよ」
メロンは持っていたマクワの鞄一式を渡した。マクワが中を覗けば、スマホロトムとモンスターボールすべてが柔い光を反射した。
「……ありがとうございます」
「バディに会いたくなった?」
「……ええ、まあ……そうですね」
マクワがひとつモンスターボールを握りしめていると、メロンが言う。
「……無茶するんじゃないよ」
「へ……?」
急にトーンの低くなった声に、マクワはぱちぱちと瞬きをした。察するに、最近根を詰めて考えてしまっていたことのことだろうか。メロンの大きな瞳の柔らかさの中に隠れる、鋭く真剣な眼差しがマクワを射抜いた。
例えマクワがいわタイプを選んだとして、ジムリーダーの世界にマクワを連れてきたのはメロンなのだと言っている。
それでも口にしないのは、まだ二人に隔たりが残っている証だった。
「あたしに言えるのはそれぐらい。……またあまり寝てないんじゃない?」
「……そう、かも。……その、助けてくれて……ありがとう……ございました」
メロンは一瞬、眉間に皺を寄せ、大きな瞳をぎゅっと細めた。青い太陽の光を目いっぱいに受けた海を閉じ込めた色をしている瞳が、静かでどこまでも深さを帯びた色に染まった。それからマクワの肩を小突いた。息を吐き、すぐにいつも通りの顔に戻った。
息子が危険な目にあった。心の底からの憂いと哀しみや憤り、それから助ける事が出来て安堵した気持ち。
メロンの母親としての本当の表情がそこにあり、何よりマクワの心に深く刺さった。
誰も見ることはできないだろう。きっと、バディであるラプラスでさえ。これは、マクワだけのものだった。
夜の凍りをいつか溶かす、厳しくも温かい杭。
「……それじゃ行こうか。ラプラスもありがとね」
「らんらー♪」
メロンがラプラスにキスをすると、モンスターボールへ戻した。入り江に浮かぶ、透き通った氷が太陽の光を受けて反射する。
7つの光が2人の背中を照らし出していた。
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