そこには無限に続く輝きがあるはずなのだ。
大切な人の夢は、ぼくにしかかなえることのできない自分の夢。
叶えれば、きっとつながるものがある。新しい光の向こうには、まだ見ぬ煌めきがある。
ぼくを満たしてくれる灯りだと、信じていた。
◆
完璧に仕上げられた、美しく強烈な雪風がスタジアムを覆い隠した。吹雪一つでも、寸分の狂いは許されない。きちんと相手の力量と自分の残る体力を見定めて、適切な加減で放たれたパートナーたるモスノウのふぶきは、いともたやすくチャレンジャーのポケモンの体力を奪い去った。
モスノウの羽が広がり、冷たい風が一気に吹き荒れる。氷の結晶が舞い上がり、チャレンジャーのポケモンを包み込む。その瞬間、氷漬けになったポケモンが動きを止め、倒れた身体を、ボールから伸びた光線が吸い取った。レフェリーたるロトムの高らかな宣言の後、ぼくは勝利を得たのだった。
「どうやったら勝てるんだ……あ、いや、あ……ありがとうございました……」
「勝てますよ。加減をしていますから。次回もよろしくお願いします」
握手をして、スタジアムを後にする。
本当ならば、いつだって全力で戦っていたい。ぼくやポケモンたちが築き上げてきたすべての力を容赦なく相手にぶつける時、どれだけ心が安らぐだろうか。
けれどジムリーダーとして、ジムチャレンジャーの前に立つ職務は力量を確かめるものだ。
完璧に務めあげるためにも、リーグから与えられている規定以上のことをするわけにはいかなかった。
「お疲れ様。いいシビアさだったよ。それでこそキルクスのジムリーダーだね」
廊下を歩いていると、後ろから張りのある声を掛けられた。前任ジムリーダーの母、メロンだった。
ぼくは母からこのジムとポケモンを受け継ぎ、キルクスのこおりジムリーダーの仕事を全うしている。都度フィードバックを受けるのも、日課の一つだ。音を立てずに頭を下げる。ポケットに入れたボールを撫でた。
「……ありがとうございます」
◆
本当によくできた息子だった。持ち前の吸収力であたしの教えをひとかけらすらも残さずに受け止めて、どんな時もすべてを完璧に再現することが出来る。
これほど優秀な長男を持てて、誇らない母親はいないだろう。彼はあたしの出来る最高のギフトを最高の形で受け取り、最高のまま続けてくれていた。
「それじゃあ、今日の反省点だけどね」
今日、試合があったのは2戦ほど。ジムチャレンジ期間にしてはまずまずな方だろうか。どちらの勝負もマクワが勝ってしまったのだが、致しかないことだろう。
この子は加減をしない。いつだって勝利だけを見て、さっさと終わらせてしまう。
それがどれだけジムリーダーとしての素養に相応しいかは、長く務めてきたあたしが知っている。
「もうすぐリーグ戦も本格的に始まってくるね。そっちの調整もあるんだから、あんまりシビアにやりすぎないようにね」
「もちろん……それを見越してのジムチャレンジですから」
「対策は万全かい? 明日は他のジムリーダーと戦うリーグの模擬戦だろう?」
「母さんから……受け継いだデータもありますので」
マクワは柔らかなボブヘアを揺らし、静かに頷いた。現在のポケモンリーグの選手は、まだあたしが戦ったことのある人しかいない。
どいつもこいつも一癖もふた癖もあって、本当に一筋縄ではいかない。
でも、あたしにはみんなの『弱点』を見極められる感性があった。そしてその情報も、もちろんマクワに受け継がせたもののひとつだ。
シビアな手を使ってでも、全員に勝つ。メジャーリーグの立場をキープし続け、必ずチャンピオンになる。リーグ選手である以上、目指し続けなければいけない高い高い目標だった。
ふと見ると、マクワがぱちぱちと瞬きをしながらあたしの顔を見つめている。
「ん? どうかしたかい」
「……いえ、なんでもありません」
「あ、ひょっとして楽しそうに見えたかい?」
「……まあ……」
「そうだろう、これがあたしがずっと作ろうとしてきた夢だったんだからね」
一瞬こちらを見たスノーフロストの丸くてかわいい瞳が伏せされた。あたし自身も、そこに何が映っていたのかを捉えることは出来ない。
ただ、こうしてマクワを通してリーグに縁を続けられていることは、あたしにとっても心を躍らせるものであることに違いなかった。
◆
つまらなかった。
ぼくがこおりタイプのジムリーダーになるのは当然のことで、自分ならば何事もなくこなせると思っていたし、やはり当然務めあげることが出来た。
昨日受けた反省を生かし、モスノウをなるべく早めに回避させる。それは確かにぼくとモスノウを救い、上手くいわなだれを避けることに成功した。さらに向かってきたのは岩の剣。
ここで母なら必ずこの技を使う。ぼくはその技を高らかに叫ぶ。
あの時の母は、ストーンエッジを完全に読み、そして外すことまでも完璧に想像できていた。
だからぼくも同様に、改めてモスノウにつるぎのまいを躍らせる。
けれど。それがどう転がろうとして、いや、むしろ良い結果を齎せば齎すほど。
フィードバックのありがたさも、師のいる心強さも、それらはすべてぼくを束縛する、臍の緒そのものだった。
すべて母親の臍の紐が繋がっていて、自分ではどうしても切り離すことが出来ない。いつか首に巻き付いて、絞まることは容易に想像が出来ていた。
どの戦法を使っても、どのポケモンといても、何もかもが母の意志の内側で、胎の中にいるようなものだ。
ここにいる以上、ぼくは、母を超えることが出来ない。この違和感を壊すことが出来ない。
ぼくはぼくでいられない。
「おめでとうございます、流石メロンさんの息子! 惚れ惚れするほど素晴らしい勝負でした!」
そんな気持ちをほんの少しばかりすっとさせてくれるのは、搦め手を選ばず加減もないポケモン勝負だった。人には怖いと言われることもあるが、本来ポケモン勝負というものは怖く、厳しいものだ。ぼくらが借りている力はただ優しく寄り添っているだけではない。
それを知らしめて何が悪いのだろうか。
模擬試合、一試合目はストレートにぼくが勝った。だが、次の試合はそうはいかず、手の読み合いに苦戦している。強気に出れば出る程ひらりと躱される。
ああ、つまらない。アマルルガにモスノウがやられてしまうなんて。
そんなことは当たり前で、読めてしまうことなのだから。
もはやぼくには手は残されていない。それでもぼくは、ぼくが負けるわけにはいかない。
今ここで、ぼくが選ぶもの。ぼくが欲しいもの。ぼくがするべきこと。
ぼくは最後の切り札のボールに手を伸ばした。
◆
楽しい。――楽しい? あたしは思わず自分を疑った。
あれは勝てたはずの勝負だ。いつものマクワとモスノウならば、まだ未熟なアマルルガくらいまるで氷壁のように冷たくシビアに圧し潰してしまうだろう。
そう、あたしなら。あたしなら完封できたものだ。
あたしはスタジアムに立つ。モスノウに舞を踊らせ、一気に攻めてアマルルガの防御を崩す。
しかしあのトレーナーは搦手が得意だ。かならずアマルルガの得意な守備を固めてくる。であればこちらも搦手で迎え討とう。搦手は真っ直ぐな攻撃に強いが、近い戦法で来られればあとはトレーナーの采配に掛かってくる。ああ。ああ!
視える。視えてしまう。完全な勝ち筋が。相手の手の内が、選択が。
あたしとともに歩み続けたポケモンたちの完璧な姿が。そして向こう側にいる、誰かの姿が。
あたしであれば負けるはずがない!
◆
ぼくであれば負けるはずがない!
スタジアムを激しい響めきが包んでいく。凍り付いた床が一気に溶けだして、急激な熱気が湿った空気と共に立ち上り、緩やかな煙に変わっていった。揺れる大きな黒影には赤い光がちらちらと纏わりついて、火の粉を巻き上げた。空っぽのボールが、温度差から雫を纏った丸い鉄の塊が、掌に戻ってくる。
ここは模擬戦。ジムリーダーとしての矜持など必要ない。
たったひとりのトレーナーの、負けたくないというプライドだけあればいい。
ぼくの目の前に立つのは、囂々と炎を背中に燃やして輝く黒岩のポケモン、こおりを打破するもの。こおりを持たざる者。
誰にも言わず密かに育ててきた、ぼくだけのポケモン。『ぼく』が選んだ、ぼくの『意志』。
セキタンザンだ。
◆
ああ、どうして今までこれが視えていなかったのだろう。視える。
あたし自身が欲しくてたまらないもの。マクワが欲しくてたまらないもの。
鉱物の下で音もたてずに燃え盛る炎は、けしてマクワだけのものではない。
これはあたしのほのおの輝きだ。
彼が秘密裏に育んできた闘志はあたしの煌めきに違いなかった。
――戦う
自分の力で、戦いたい。
ほのおは微かに燃えて、いわの、こおりの、高らかなパワーに変わっていく。
キョダイマックスセキタンザンが、あたしが、キョダイマックスラプラスが、マクワが、共に見つめているそれは。
親子がちがうタイプのポケモンを伴って、同じスタジアム上で向かい合い、競い合うようにして指示が飛び交う瞬間は。
キョダイセンリツが歌う氷河期が呼び込むものは。
キョダイフンセキが刺さる痛みの先で、檻の中にあるものは。
――勝ちたい
――超えたい
自身の足が踏みつける、光り放つチャンピオンの影だった。