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戴冠式

そこには無限に続く輝きがあるはずなのだ。
大切な人の夢は、ぼくにしかかなえることのできない自分の夢。
叶えれば、きっとつながるものがある。新しい光の向こうには、まだ見ぬ煌めきがある。
ぼくを満たしてくれる灯りだと、信じていた。

完璧に仕上げられた、美しく強烈な雪風がスタジアムを覆い隠した。吹雪一つでも、寸分の狂いは許されない。きちんと相手の力量と自分の残る体力を見定めて、適切な加減で放たれたパートナーたるモスノウのふぶきは、いともたやすくチャレンジャーのポケモンの体力を奪い去った。
モスノウの羽が広がり、冷たい風が一気に吹き荒れる。氷の結晶が舞い上がり、チャレンジャーのポケモンを包み込む。その瞬間、氷漬けになったポケモンが動きを止め、倒れた身体を、ボールから伸びた光線が吸い取った。レフェリーたるロトムの高らかな宣言の後、ぼくは勝利を得たのだった。

「どうやったら勝てるんだ……あ、いや、あ……ありがとうございました……」
「勝てますよ。加減をしていますから。次回もよろしくお願いします」

握手をして、スタジアムを後にする。
本当ならば、いつだって全力で戦っていたい。ぼくやポケモンたちが築き上げてきたすべての力を容赦なく相手にぶつける時、どれだけ心が安らぐだろうか。
けれどジムリーダーとして、ジムチャレンジャーの前に立つ職務は力量を確かめるものだ。
完璧に務めあげるためにも、リーグから与えられている規定以上のことをするわけにはいかなかった。

「お疲れ様。いいシビアさだったよ。それでこそキルクスのジムリーダーだね」

廊下を歩いていると、後ろから張りのある声を掛けられた。前任ジムリーダーの母、メロンだった。
ぼくは母からこのジムとポケモンを受け継ぎ、キルクスのこおりジムリーダーの仕事を全うしている。都度フィードバックを受けるのも、日課の一つだ。音を立てずに頭を下げる。ポケットに入れたボールを撫でた。

「……ありがとうございます」

本当によくできた息子だった。持ち前の吸収力であたしの教えをひとかけらすらも残さずに受け止めて、どんな時もすべてを完璧に再現することが出来る。
これほど優秀な長男を持てて、誇らない母親はいないだろう。彼はあたしの出来る最高のギフトを最高の形で受け取り、最高のまま続けてくれていた。

「それじゃあ、今日の反省点だけどね」

今日、試合があったのは2戦ほど。ジムチャレンジ期間にしてはまずまずな方だろうか。どちらの勝負もマクワが勝ってしまったのだが、致しかないことだろう。
この子は加減をしない。いつだって勝利だけを見て、さっさと終わらせてしまう。
それがどれだけジムリーダーとしての素養に相応しいかは、長く務めてきたあたしが知っている。

「もうすぐリーグ戦も本格的に始まってくるね。そっちの調整もあるんだから、あんまりシビアにやりすぎないようにね」
「もちろん……それを見越してのジムチャレンジですから」
「対策は万全かい? 明日は他のジムリーダーと戦うリーグの模擬戦だろう?」
「母さんから……受け継いだデータもありますので」

マクワは柔らかなボブヘアを揺らし、静かに頷いた。現在のポケモンリーグの選手は、まだあたしが戦ったことのある人しかいない。
どいつもこいつも一癖もふた癖もあって、本当に一筋縄ではいかない。
でも、あたしにはみんなの『弱点』を見極められる感性があった。そしてその情報も、もちろんマクワに受け継がせたもののひとつだ。
シビアな手を使ってでも、全員に勝つ。メジャーリーグの立場をキープし続け、必ずチャンピオンになる。リーグ選手である以上、目指し続けなければいけない高い高い目標だった。
ふと見ると、マクワがぱちぱちと瞬きをしながらあたしの顔を見つめている。

「ん? どうかしたかい」
「……いえ、なんでもありません」
「あ、ひょっとして楽しそうに見えたかい?」
「……まあ……」
「そうだろう、これがあたしがずっと作ろうとしてきた夢だったんだからね」

一瞬こちらを見たスノーフロストの丸くてかわいい瞳が伏せされた。あたし自身も、そこに何が映っていたのかを捉えることは出来ない。
ただ、こうしてマクワを通してリーグに縁を続けられていることは、あたしにとっても心を躍らせるものであることに違いなかった。

つまらなかった。
ぼくがこおりタイプのジムリーダーになるのは当然のことで、自分ならば何事もなくこなせると思っていたし、やはり当然務めあげることが出来た。
昨日受けた反省を生かし、モスノウをなるべく早めに回避させる。それは確かにぼくとモスノウを救い、上手くいわなだれを避けることに成功した。さらに向かってきたのは岩の剣。
ここで母なら必ずこの技を使う。ぼくはその技を高らかに叫ぶ。
あの時の母は、ストーンエッジを完全に読み、そして外すことまでも完璧に想像できていた。
だからぼくも同様に、改めてモスノウにつるぎのまいを躍らせる。
けれど。それがどう転がろうとして、いや、むしろ良い結果を齎せば齎すほど。
フィードバックのありがたさも、師のいる心強さも、それらはすべてぼくを束縛する、臍の緒そのものだった。
すべて母親の臍の紐が繋がっていて、自分ではどうしても切り離すことが出来ない。いつか首に巻き付いて、絞まることは容易に想像が出来ていた。
どの戦法を使っても、どのポケモンといても、何もかもが母の意志の内側で、胎の中にいるようなものだ。
ここにいる以上、ぼくは、母を超えることが出来ない。この違和感を壊すことが出来ない。
ぼくはぼくでいられない。

「おめでとうございます、流石メロンさんの息子! 惚れ惚れするほど素晴らしい勝負でした!」

そんな気持ちをほんの少しばかりすっとさせてくれるのは、搦め手を選ばず加減もないポケモン勝負だった。人には怖いと言われることもあるが、本来ポケモン勝負というものは怖く、厳しいものだ。ぼくらが借りている力はただ優しく寄り添っているだけではない。
それを知らしめて何が悪いのだろうか。

模擬試合、一試合目はストレートにぼくが勝った。だが、次の試合はそうはいかず、手の読み合いに苦戦している。強気に出れば出る程ひらりと躱される。
ああ、つまらない。アマルルガにモスノウがやられてしまうなんて。
そんなことは当たり前で、読めてしまうことなのだから。
もはやぼくには手は残されていない。それでもぼくは、ぼくが負けるわけにはいかない。
今ここで、ぼくが選ぶもの。ぼくが欲しいもの。ぼくがするべきこと。
ぼくは最後の切り札のボールに手を伸ばした。

楽しい。――楽しい? あたしは思わず自分を疑った。
あれは勝てたはずの勝負だ。いつものマクワとモスノウならば、まだ未熟なアマルルガくらいまるで氷壁のように冷たくシビアに圧し潰してしまうだろう。
そう、あたしなら。あたしなら完封できたものだ。
あたしはスタジアムに立つ。モスノウに舞を踊らせ、一気に攻めてアマルルガの防御を崩す。
しかしあのトレーナーは搦手が得意だ。かならずアマルルガの得意な守備を固めてくる。であればこちらも搦手で迎え討とう。搦手は真っ直ぐな攻撃に強いが、近い戦法で来られればあとはトレーナーの采配に掛かってくる。ああ。ああ!
視える。視えてしまう。完全な勝ち筋が。相手の手の内が、選択が。
あたしとともに歩み続けたポケモンたちの完璧な姿が。そして向こう側にいる、誰かの姿が。
あたしであれば負けるはずがない!

ぼくであれば負けるはずがない!
スタジアムを激しい響めきが包んでいく。凍り付いた床が一気に溶けだして、急激な熱気が湿った空気と共に立ち上り、緩やかな煙に変わっていった。揺れる大きな黒影には赤い光がちらちらと纏わりついて、火の粉を巻き上げた。空っぽのボールが、温度差から雫を纏った丸い鉄の塊が、掌に戻ってくる。
ここは模擬戦。ジムリーダーとしての矜持など必要ない。
たったひとりのトレーナーの、負けたくないというプライドだけあればいい。
ぼくの目の前に立つのは、囂々と炎を背中に燃やして輝く黒岩のポケモン、こおりを打破するもの。こおりを持たざる者。
誰にも言わず密かに育ててきた、ぼくだけのポケモン。『ぼく』が選んだ、ぼくの『意志』。
セキタンザンだ。

ああ、どうして今までこれが視えていなかったのだろう。視える。
あたし自身が欲しくてたまらないもの。マクワが欲しくてたまらないもの。
鉱物の下で音もたてずに燃え盛る炎は、けしてマクワだけのものではない。
これはあたしのほのおの輝きだ。
彼が秘密裏に育んできた闘志はあたしの煌めきに違いなかった。

――戦う

自分の力で、戦いたい。
ほのおは微かに燃えて、いわの、こおりの、高らかなパワーに変わっていく。
キョダイマックスセキタンザンが、あたしが、キョダイマックスラプラスが、マクワが、共に見つめているそれは。
親子がちがうタイプのポケモンを伴って、同じスタジアム上で向かい合い、競い合うようにして指示が飛び交う瞬間は。
キョダイセンリツが歌う氷河期が呼び込むものは。
キョダイフンセキが刺さる痛みの先で、檻の中にあるものは。

――勝ちたい
――超えたい

自身の足が踏みつける、光り放つチャンピオンの影だった。

快晴

土砂降りの雨を初めて見た。
大きな邸宅の一室、閑静な母の部屋の中。音も立てないその雨は、普段凪のように青く澄み切った母親の瞳に暗雲をもたらし、頬を濡らしていた。
ぼくは逃げるようにその場を後にした。もちろん、音を立てないよう細心の注意は払った。
いつだって勇ましく、試合中、たとえ最後の一体となり追い詰められてもその大きな瞳を輝かせるあの母が、まさか泣いているなんて思いもよらなかったのだ。
原因がぼくにあることはわかっている。朝、ぼくは母に自分の本当の意思を告げた。
いわポケモンに憧れていて、いわ使いになりたいのだと言い、そして既にその第一段階として、タンドンを連れていることも伝えた。これからいわジムの門戸を叩くことも。
あわよくば、笑って背中を押してくれるというのは、ほんの僅かばかりぼくが抱いた小さな希望的観測だった。だがしかし母が相当自分の跡継ぎに関して入れ込んでいることはぼく自身が何より、おそらく世界で一番身をもって知っている。
ぼくはこの世に生を受けた瞬間から、その祝福は全て立派に母の座を継ぐためという理由を紐づけられた条件付きのものだった。
その代わりガラルでトレーナーを志す同級生や、上級生に後ろ指を刺されたことは数えきれないし、羨望を向けられることも少なくはなかった。
一流選手である母のことは、当然誰もが知っている。その長男がぼくであることも。
魂を切り売りするような曖昧な環境の中、母がその身で蓄えた知識と経験全てを直接その身で学ぶことが許されていたし、だからこそぼくは将来こおりタイプのジムリーダーになることが決まっていた。
ジムリーダーという職業に就ける保証は、ガラルのトレーナーであればのどから手が出る程欲しいものに違いない。地位も名声も約束された、人々のまなざしを集める立派な職務がジムリーダーには課される。
もちろん母は身内だからといって容赦をすることはない。ガラルリーグは実力主義の厳格な場所だ。もとより自分のジムのトレーナーにさえ厳しいと評判のひとだ、跡継ぎと決定している相手に手を抜くことはしなかった。
今思えば幼い子供にさせることだったろうかと首をかしげたくなるようなものもあった。とにかく、凍えるような冷たさはぼくにとって母の代名詞となった。
そう思っているのも、おそらくこの世界でぼくひとりだろう。いや、こおりタイプのジムトレーナーであれば多少は理解してくれただろうか。
しかし母は、時に恐ろしい程の甘やかさを押し付けることで、ぼくから何もかもを奪おうとした。
自分の連れているバディを、ぼくのバディにしようとしたのだ。
母は自分の思うがままだったが、ぼくはなんとかそれにしがみ付いていた。そうしなければ失望されて何もかもを失うと、本気で思っていたこともある。
幼い子供だ、母親に見捨てられて、しかもポケモンさえ連れていないとなればどこにも行き場は失う。寒いキルクスの中でひとりで生きられるはずがない。
けれど初めて母がラプラスをぼくに譲るのだと言った時、ぼくの脳裏に浮かんだのは、初めてのポケモンを自分で選ぶこと、あるいは捕まえること、ずっと楽しみにしていたはずの経験が奪われてしまうことだった。
ぼくはぼく自身の新しい経験をしっかりとこの身に刻み、そして絆を深めた相手と一緒に居たかった。
きっと母のラプラスをぼくがバディにしてしまえば、また母はラプラスに対してもっと良い方法があるなどと言って強く口出しをしてくるだろうことは、手に取るように想像が出来た。
母が自分の育てたラプラスを譲られてしまえば、何もかもを失ってしまうと思った。それはもはや、スタイルの押し付けに違いなかった。
ポケモンが嫌いなわけではない。こおりポケモンのことも、繊細で美しく、そして特有の強さをもった彼らを尊敬していた。
リーグを席巻するようなポケモントレーナーにはなりたかった。ぼくであれば必ずなれるだろうという自信も少なからずあったのだ。
だが、とにかく母のやり方に「No」を突きつける必要があると思った。それも早急に。
でなければぼくがぼくでなくなる。枷付きのぼくに、呼吸が出来るとは思えなかった。今でさえ、母のやり方についていくことは簡単ではなかったのだから。
それからぼくが行動に移したのはあっという間の事だった。こおりに強いポケモンをぼく自身の力で手に入れた。
そして、ぼくはとうとう母の元から離れたい、いわタイプを極めたいのだと母に告げることが出来たのだった。
当然のように母は絶対零度で怒ったし、ぼくもそれに対抗した。絶対に譲らない硬い意志を示した。母は自分の部屋に戻っていった。その向こう、廊下の先にぼくの部屋があったので、半分だけ開いたままの母の部屋の扉を覗いた。
そこで見たのが、母の降らせた雨……もとい、涙の姿だった。
気丈で強く気高い母が、明るくて優しく頼もしいあの母が、まさか泣いてしまうだなんて。そしてその原因がぼくだなんて、信じられなかった。
口の中が乾き、それから胸の奥の方に震える熱くて重たい塊のような何かがあった。それが何なのかはわからなかった。ただ、暗雲はぼくの心にも分厚く鈍く立ち込めていることだけは理解した。
ぎゅっと口を結び、母の部屋を後にした。それから荷造りの仕上げをして、いわジムの下へと飛び込むつもりだった。
ばたんと部屋の扉を閉ざし、既に衣服や荷物が詰められた鞄を見ようとした。何かの角を思いきり踏みつけてしまい、痛みに呻きながらベッドの中に顔を押し付けた。
普段なら綺麗に整理しているはずの部屋の床の上に、無造作にものを置いて捨てていたぼくの自業自得だ。大きなテレビの電源が入り、画面はトレーナーの試合を映し出している。
スタジアムの中、キョダイセキタンザンが大きく吠えると無数の岩が現れて、相手の周囲を囲っていく。
もくもくと上がる煙はキョダイマックス・エネルギーを受けた赤い色とともに、彼自身の黒雲の色を保っている。
ぼくは思わずじっと見てしまう。キョダイセキタンザンはその大きな身体で苦手な水さえ受け止めて、たちまちスピードを自分のものにしてしまった。その鮮やかさと猛々しさが、きらきらと輝いて映る。こおりタイプのポケモンでは持ちえない耐久の力と、熱が生み出す力強さ。
あまりにもカッコよすぎて、ぼくの目は虜だった。
ぼくがテレビを見ていたことに気が付いたのか、ボールからタンドンが現れて、彼もいっしょになって画面の釘付けになる。いつもだったら叱るところだが、ぼくにはそんな余裕すらもなかった。
ただただセキタンザンのすごさに圧倒されていたのだ。

「……タンドン。ぼく……きみとこういう風になりたい……。どうかな……?」

ぼくが見下ろしたタンドンの赤い瞳は、ごうごうと燃えていて、画面の中で岩を生み出した時のセキタンザンの色そっくりだった。ぼくは同じ気持ちを抱いてくれていると確信した。
ぼくは反発する。ぼくは彼を利用する。母の檻から逃げるための、硬くて小さな鍵として。
そして氷を打ち砕く立派な岩石として。

「……うん……。ぼくはまだ……その……何て言っていいかわかりません。うまく言葉に出来なくて……。でもいつかぼくの心が……きみともう一度ちゃんと話せる時……。
必ずきみに伝えてみせるから……だからぼくの隣で……今一度バディになってくれますか」

タンドンはその小さな体で頷いてみせてくれた。もう十分すぎる程で、ぼくの胸の奥に溜まっていた温度がごうごうと溢れんばかりだった。
でも零してはいけない。ぼくはさっき見た母の降らせた雨を思い出して、目を瞑った。
瞼の裏に描くのは、真っ蒼に広がる空と吹き抜ける白い雲の下にいるぼくと、セキタンザンだ。天気晴朗の日、ぼくとセキタンザンは一緒にトレーニングをする。
バディはセキタンザンだ。きっとどんよりとした曇天みたいな煙がぷかぷか浮かんでしまう時もあるだろう。それでも、ぼくは描く。強く強く思い描く。
晴天の強い日差しの下、蒸し暑くてすぐバテてしまうような場所で、セキタンザンの熱がさらにぼくの居心地を悪くしてしまうような島の上で、ぼくたちは訓練をしたり、時にはポケモン勝負をするのだ。そんな毎日が当たり前の日が、必ずやって来るのだ。
その時にはきっといわジムの立派なジムリーダーを務めて、メジャーリーグの中心選手になっている。大丈夫。
ぼくの、ぼくたちの夢は、怒られるようなものでもなければ、哀しいものにもさせやしない。
母の双眸にも再び気持ちのいい輝く蒼穹がやってくる。いや、呼んでみせる。
それはいわタイプの魅力をもっとぼくの言葉で、身体全てで伝えられるようになった時だ。
それこそが母の夢を捨てて雨を降らせたぼくに出来る、最上級の親孝行だから。

星座の夜

それは雪山の奥のことでした。
真っ黒な夜の帳には、無数の星々が呼吸をしながら輝きを映しています。あまりに星の数が多いので、むかし教えてもらった星座さえもが光の海に呑み込まれていましたが、辛うじてまだ新しい星の物語がわかります。
大きく息をすうと、マクワの頭の中に古い記憶が浮かんできました。

『あれはリングマ座って言うんだよ。あの星がお尻で、リングマの頭になるのがあっちの星。ようく見てごらん』

そう教えながら星を映した大きな眼は、ぴかぴかに磨かれた眩いものでした。幼いマクワは一生懸命に星座盤と睨めっこをしていましたが、それはどうみてもリングマには見えません。

『リングマにはね、こどものヒメグマ座も近くにあるんだよ。あの木の上にある星……見えるかい?』
『ええと……これですか』
『そうそう。一番良く見える黄色い星があるだろう?』

今のマクワは星座盤がなくても星の上でリングマの姿も、ヒメグマの姿も描けます。ちかちかと輝きながら、リングマの親子はマクワのことを見下ろしていました。

『でも……星というのは、もとは鉱物で出来たおおきな物体なんですよね』
『おや、もうそんなところまで習ったのかい。そうだよ、ここからは見えないけど、この星の地面とおんなじだったり、ガスや爆発の輝きだったりするよ』
『ばくはつのかがやき?』
『そう、大きな星はとっくの昔に亡くなっていて、命が尽きる時に大きく爆発する、その光だけがここに届いてるのさ』

氷雪だらけの山道を、マクワは難なく歩いていきます。
きらきらした空を吸い込むように、雪で覆われた地面はずっと静かに佇んでいました。湿った重たい香りはいつもと何も変わりません。
林を越えて、石の階段を上ると、冷たい風が吹き抜けました。天辺では広い湖が顔を見せました。
その中央に、白くて長い髪の女性が座っています。湖は分厚い氷におおわれて、重量のあるマクワが脚を降ろしてもびくりともしません。
無数の星を携えるように、大きな満月がぽっかりと浮かんでいました。
マクワが女性に近寄っても、彼女はずっと下を見ていました。よく見ると湖の氷の中に、誰かが居ます。まるで眠っているかのように、目を瞑った少年が氷の狭間に浮かんでいました。
それはその女性とそっくりで、そしてマクワにとってもよく知っている男の子でした。
ようやく女性がマクワに気が付いて、顔を上げるとにっこりと笑いました。
それが余りにも綺麗でしたので、マクワはふらりと近寄ると、彼女の細い首に両手を回しました。
一瞬、驚いた顔はあっという間に歪み、苦しさに染まっていきます。
ぎり、と鈍い音がして、皮膚が捩れて、血管が、骨が軋んで悲鳴を上げています。細い、細い首でした。白い肌も、驚くほどに薄い感触です。ゆうに両手で一周してしまえるものでした。
反射でマクワの手に震える両手を掛けますが、力はほとんど入っていません。入っていたとしても、おそらく彼女の力では何の抵抗にもならないことがわかりました。手の中でひとつずつ器官が、細胞が壊れていきます。自分と同じ物。自分を作り上げたもの。
繋がりを握りしめて、そうして失ってゆくのでした。

「ぁ゛、マ……クワ……」

彼女は口角を上げてマクワの名前を呼びました。汚れた口端から泡のような唾液が零れていきます。顔がどんどんと鈍い色に変わっていきます。眼の端から艶やかな涙が零れました。
ぽかりと口を開けたまま、動かなくなっていきます。
大きな青い眼の中に、まんまるの月が映っていて、見たこともない程とてもとても美しいものでした。マクワが手を放すと女性は氷の上に寝転がります。
ひとには爆発の輝きはありませんが、それよりももっと重たくてずっしりとしていて、悍ましい光を写し取る事ができました。
その足の下で眠る、凍り付いた少年の周りにはたくさんの化石が一緒になって凍り付いているのが目に入りました。少年は、疑問を投げかけました。

『なぜリングマとヒメグマなのでしょうか』
『それはアルセウスのせいさ。リングマ座とヒメグマ座は親子で……リングマがお母さんで、ヒメグマが息子なの。
リングマは元々は人間の女性だったんだけど、罰を受けてリングマにされて森にすむことになったんだとさ。でも彼女には人間の息子がいたんだ。
リングマに変えられたお母さんのことを知らない人間の息子が森に入っちまって、そこに突然リングマがやってきてね。お母さんは息子に会えて大喜びで駆け寄ったんだ。
でも息子にとってはただの狂暴なリングマさ。息子は慌ててリングマを殺そうとしたんだ。でもそれを不憫に思ったアルセウスが、2人をこうして星座にしたんだとさ』
『ぼくはお母さんのこと……わからなくなりません……!』
『アハハ、それは嬉しいねえ』

真夜中、星の美しい空の下。マクワは自分のベッドの中で眼を覚ました。今でも絞めた首の感触が、徐々に息絶えていく命の感覚が、生々しく手の内に残っていた。
あの女性は間違いなくメロンだった。自分は夢の中で母親に手を掛けたのだ。
震える両手に思わず体を起こす。そして両手で自分の顔を覆った。

閉じ込められるセキタンザンとメロンの落書き

険しい褐色の岩肌は極氷の白に覆われて、空からちらちらと降りてくるのは微細な雪の破片。やまおとこが思わず目をとられて見上げれば淡いオーロラが輝き、まるで異空間に誘い込まれたようだ。
絶対零度の氷河期がパシオの山中に到来した。

「いいよラプラス! さあ一気に決めようか れいとうビーム!」

大きな口に光が集まり、凝縮した冷気が光線となって放たれた。カイリキーにぶつかって弾けると、そのまま圧力となり巨躯を押し倒した。最後の一体が倒れて、モンスターボールへと帰っていく。

「いい勝負だったよ!」

メロンは去っていくやまおとこたちのチームの背中を見送ると、くるりと振り返る。

「……なのにこっちときたら、全く情けない!」

そこには顔を真っ蒼にしてしゃがみ込み震えるケイとバディのピカチュウ、そして2人を温めるセキタンザンとマクワがいた。
辺り一面を冷やして得意のフィールドを作って戦うのは、メロンのやり方だ。だがしかし、誰彼構わず行う為、同じチームを組む仲間でさえ巻き込まれてしまう。

「……仕方ありません。まだケイさんは母さんのやり方に慣れていませんから」
「そうだね。ケイは才能もあるし、腕もいいから慣れたらすぐについて来れるから! 今から楽しみだよ! ……おや?」

セキタンザンが立ち上がり、前へ出るとじっとメロンを見つめている。メロンはぱちぱちと瞬いた。マクワが静かに両者の間に言葉を投げかける。

「セキタンザン、ケイさんを温めてください」
「シュポオ」

じゅどん、大きな音を立てて雪が崩れた。セキタンザンとメロンの足元から崖の方へ、激しい音を立てて滑り落ちていく。
メロンは自分を呼ぶ息子の叫び声を聞いて、そのまま意識を失った。

「ボオ!」

目を開けると、至近距離にぱちぱちと弾ける炎があり、メロンは思わず後ずさる。

「びっくりした、あんたか……。ここは……洞窟みたいだねえ」

良く目を凝らしてみればセキタンザンの背中の石炭の山が燃える姿で、ほっと一息ついた。ぐるりと周囲を見渡すと、小さな洞穴だ。
崖の途中に空いたくぼみが上手く洞窟として機能したのだろう。落ちる途中、セキタンザンが上手くメロンを助けて転がり込んでくれた事だけはわかる。上を見上げても既に人の気配はない。下は崖が続いていて、高い木々が並んでいる。
ロトムを見れば、息子から助けに移動しているという報告が入っていた。流石行動が早い。

「ラプラス呼んで無理するのも難しそうだし……。とりあえず……ここで待っていれば大丈夫そうだね」
「……シュポオ」
「あたしと居るのは不服かい?」
「……ボオ」

先ほどもそうだが、セキタンザンは何か言いたげなことだけはメロンにもわかる。
元々息子が独立するために選んだポケモンであり、同時に彼が独立のために手を貸したポケモンでもある。敵愾心に近しい何かがあってもおかしくはない。
上の方は凍らせた氷柱が降りていて、ひんやりとした空気が流れていた。このままでは体温が下がっていくだろう。
それを目敏く察したのか、セキタンザンは少しメロンに近寄ると、身体の火力を上げようとした。

「ああ、ダメ。あたしのことは温めないで」

今度はセキタンザンがぱちぱちと瞬きする番だった。

「あたしはずっと冷えていなくちゃいけないんだ。冷たい所にいて……冷たい場所で戦う。
マクワはポケモンのすばらしさを伝えるために、観客を楽しませるって言うでしょう?
でもね……あたしは違うと思うの。ポケモンは強くなくちゃ。ありのままを見せなくちゃ。
強さそのものを教える事、理解してもらう事こそ観客が本当に必要だって信じてる。
だからあたしもね、こおり専任として、こおりポケモンを最大限魅せられる場所に常に居続けるの。……だからあたしは温めちゃダメだし、熱いのはもっとダメなんだ」
「シュポー」
「そろそろいつもの場所に帰りたいなあ……溶けちゃいそう……」
「母さん、セキタンザン、大丈夫ですか!?」
「やっと来た」
「シュポー!」

崖上にロープを括りつけて、杭で打ち付け足場を作りながらマクワが降りてくる。洞窟の中に軽く飛び降りると、セキタンザンの横をすり抜けて、急いでメロンを見る。
セキタンザンとメロンの間に距離がある事も、きちんと確認をする。

「母さん」
「遅いんじゃない?」
「これでも最短ルートだったのです。さあ、帰りましょう」

メロンはマクワが作った足場を難なく登って元の道に戻っていった。上ではケイがメロンと何かを話しているのもわかった。見届けたマクワが再び自分のバディの下へと降りると、どっしりと座り込んでいた。

「セキタンザン! ありがとうございました」
「シュポオ」
「……セキタンザン?」

なんだか少しへそを曲げているように見える。マクワには思い当たる節は見つからない。

「ポオ」
「どうかしましたか」
「シュポオ」

そこでふと気が付いた。今、一瞬ではあるが自分はセキタンザンよりもメロンを優先していた。
さらにセキタンザンがメロンを温めさせてもらえなかったことさえも自覚しているのに、自分はなかったことにしようとしていたこと。
実の母であり、セキタンザンより遥かに弱い生命だから当然だと思ってしまったが、この僅かな機微は自分のバディであるセキタンザンにとって大きな差異になりかねないだろう。

「ああ……いえ……すみません、ぼくたちの……意地張りに巻き込んでしまって……。……ぼくは多分、羨ましいのです。……ひとつだけに打ち込んで真っ直ぐに進める母が……。だけどぼくはぼくの力で母をこえたくて……」

セキタンザンは今度こそと自分の身体に炎を集めて、石炭に火を灯す。じゅう、と音を立てて周辺を凍らせていたものが溶けて水に変わっていく。

「シュポー!」
「……そうです。温かいですね。ぼくにとってはこおりを打ち破る力でしたから……きっと母にとってはあまり喜ばしい物ではないと思います」

マクワは母の一気に場を凍らせてしまう力を思い出す。

「ですが! ぼくたちはここではチームです。いくら母のやり方があったとしても……やはりチームで勝てなければ意味がありません。きみのやり方は正しい。ぼくたちが目指すのはたくさんの方法を考え試すクレバーな戦いで、観客を魅了する物です」
「ボオ」
「これはぼくと……きみのセキタンザンのちからです。どこでも輝いていける。まだまだ輝かせていきたい」

マクワがひとつ言葉をくれる度に、セキタンザンの中にあったもやもやが晴れていく。
まるで魔法のようだ。メロンもそうだった。温めてはいけないという彼女が自分に掛けた魔法。
それが不気味でよくわからなくて、セキタンザンはなんだかメロンのことをずっともやもやして見ていたのだ。
正直、全部が全部晴れたわけではない。それでも今まで見えなかったものが見えるようになった。
セキタンザンは、それだけでも彼らとずっと共に居られると思った。

「シュポ!」
「うん。それではぼくたちも帰りましょう。知りたい事がたくさんありますから」

残雪を溶かしながらセキタンザンはマクワを先導し、進んでゆく。
艶やかに濡れた石面は淡い日暮れの空を映し出している。

I’m home

凍えるような冷たさが、記憶の中で確かな重みを増して、頬を一つずつ刺してゆく。

既に日は沈み、夜空を彩るパシオの星空の下、マクワはざくざくと白雪を踏みしめながら、人工的に造られた氷のエリアを歩いていた。
この場所は、母メロンのお気に入りの訓練スポットだ。
確かに思い出の中のキルクスの雪山の雰囲気に近く、傾斜が多くてとても簡単に歩みを進める事は出来ず、氷雪は食料を奪い、体温を根こそぎ攫って行く。
この環境下であれば、ポケモンと共に峻厳な鍛錬が行えることは、マクワにも想像が出来る。
パシオという他地方に来たメロンは、早速この場所を見つけてひたすらトレーニングを行っているのだという。全く、母らしいと思う。
喧嘩をしている現在は、なるべく顔を合わせないようにしている身だ。
本来ならば放っておくものだが、ルリナが今日は帰りが遅いと心配をしているのを耳にしてしまった。
同地方の大切な同僚の為、一時休戦して、長く訓練を続ける母親の様子を伺い、迎えに行くことにした。
氷の輝く洞窟を潜り抜けて、雪積の斜面を登れば、見晴らしの良い高い丘の上に辿り着いた。
低木は皆雪をかぶって白く染まり、真っ白な雪の中で、真っ白な母親が雪の上に座り込んで、荒くなった息を整えている。
辺りにはポケモンは全く見当たらず、一人で筋トレでもしていたのだろうか。
一筋、冷たい風が首筋を通って吹き抜けて行く。
大丈夫だ。マクワは大きく一呼吸をついてから、バディの入るモンスターボールをそっと撫で、もう一歩足を進めた。霜雪はじゃり、と高らかに音を立て、マクワの来訪を彼女の耳に届かせた。
白雪の長い髪の間から、大きなアイスブルーを細めて、薄桃に色づいた唇でにっこりと笑う。マクワはサングラスを指で持ち上げた。

「あら、一緒にトレーニングする気になったのかい?」
「……違いますよ。もうこんな時間です、ルリナさんやポケモンセンターの方も心配をされていました」
「おや、本当だ。……まったく、もう少しくらい一日の時間ってのは、長くならないもんかね」
「なりませんよ。さあ、行きましょう」
「そこは”帰りましょう”じゃなくて?」

ゆっくりと立ち上がり、近づいたメロンの細長い白磁の指先が、マクワの柔い手首を掴んでいる。
振りほどこうとしたが、意外なほど力強いその手は離れていかない。
仕方なく、そのまま後ろを向き、マクワは先導して歩くことにした。

「……行きますよ」
「ここの夜も星がたくさんで綺麗だねぇ」
「そうですね。キルクスで見る星とは種類も大きさも、全く違って見えます。とても新鮮で、良い経験です」
「そうでもないよ。あたしには良く見える」

マクワは思わず瞬きをして、無数の星々輝く深い寒空を見上げた。
パシオはキルクスのあるガラルとはかなり距離があり、遠く隔たりのある場所だ。
見える星の種類は違っていて、当然だった。

「……え、本当ですか? 一体どれが……」
「あんたの所にねがい星が降って来た日の空の星たちがよく見えるよ」
「何言って……」
「なーんてね、それじゃあ行こうか」

あれほど強く握られていたはずの手が、するりと糸のように解けて消えていく。
立ちすくむマクワの前を、何も言わずメロンが雪を滑るようにして歩む。

「母さん……!」

マクワにはわからない。
母が自分に何を求めているのか。
ただ、ひとつだけ確実なことは、あの反旗を翻した時から母の時間は進んでおらず、原因である自分を取り込もうとする。
今のマクワはただ、無理矢理巻き戻された時間を何とか引きずり戻して、後を追うだけで精いっぱいだった。