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クリスマス

ああ、星が足りないな、とマクワは思った。

今年もウィンター・ホリデーのパーティが終わった。この時期はいつも以上にファンイベントを重点的に増やし、スタジアムも華やかに彩っている。
大きなもみの木の天辺には星を飾り、キラキラ光を反射するモールとライトを巻き付け、ぴかぴかと輝くオーナメントをぶら下げる。
大人はコートを着て、三角の帽子と白い袋を背負ってプレゼントを配る。これはデリバードというポケモンの習性を真似たものが広まったものらしい。中には白いひげを付ける場合もあるという。
マクワも今日はデリバード風の衣装を身に着け、ファンに日頃の感謝とプレゼントを贈った。
一連のファンイベントが無事に閉会し、ジムトレーナー達と共に片付けも終えて、スタジアムに残ったのはマクワだけだった。既に帰り支度は済ませて、普段着のセーターに替えている。
帳簿に細かく今日の記録を残すのは、マクワの日課。ポケモンの様子だったり、自分の反省点だったり、仔細を書き記していく。キーボードに両手を滑らせ、一通り書き終えた所でふと見上げる。
一日イベントのサポートをしていたセキタンザンが、うとうとと半分眠りながらソファの横に座って待っていた。背中の石炭の大きな山が、彼の呼吸に合わせ、ゆっくりと赤く燃えて輝いてはすうっと消えて、また赤く燃えている。
マクワは部屋を出ると倉庫に入り、棚の中から先ほどジムトレーナー達としまい込んだ箱を引っ張り出す。大きな段ボール箱を持ち上げ、再び自分の事務室へと戻れば、相棒が気持ちよさそうにうたた寝をしている。
箱を入り口から入ったすぐ傍に置き、蓋を開けて中から飾りを取り出した。
出てきたのは大きな金属で出来た星飾り。裏に輪っかが付いていて、くっつける事が出来るようになっている。セキタンザンの背中の山の天辺に、崩さないようそれを取り付けてやる。

「シュオ?」
「ふふ、これでよし」

セキタンザンが眼を覚ました。
足りなかった「星」がついて、マクワは満足げに笑う。セキタンザンの背中の頂きで光る大きな星、きらきら輝く大きな山。まさに今日、スタジアムの中心で立派にさんざめいていたもみの木そっくりだった。

「主役に……応しい輝きですよ」

スマホロトムを呼びだすと、セキタンザンの周りをまわってシャッター音が響く。
そういう時、セキタンザンもどうしたらいいのか知っている。目を合わせて、ちょっとだけポーズをとるのだった。

「シュポ!」
「……そうだ、待ってくださいね」

さらにマクワは箱の中から赤い帽子と白い袋を取り出した。セキタンザンに帽子を被せ、袋を渡す。
ツリーを背負い、帽子をかぶったセキタンザン。マクワはソファの上に座ると、ひとりでころころと笑っている。
相棒がこれほど楽しそうに笑う姿も珍しくて、セキタンザンは今日のパーティを思い出し、袋を背負って構えてみると、それもまたマクワのツボに入ったのか、さらに笑う声が大きくなった。  

「……ふふふ、あはは……! きみはこのウィンターパーティ、一人で何役も出来てしまいますね……! 本当はきみのためのパーティなのかも……ふふふ」
「シュポォ」
「ふふ、でもそれは働きすぎなのでダメです。きみはやっぱり試合してくれなくちゃ。これはぼくの仕事ですから。でも」

マクワは身体を起こし、目尻に浮かべた涙を指で拭いてもう一度セキタンザンを見上げる。

「でも……こうしてぼくが独り占めする分には……問題ないですからね……ふふ」
「シュポォ……」
「うん……ちょっと今日……思ったより回ったみたいで……まだかなり酔ってます」

パーティといってもマクワは主催側だ、何かあってはまずいし、客を楽しませる方だ。誰より飲み方には気を付けていたつもりだった。
ファンという自分を支えてくれているひとたちの居る空間の温かさに、気を抜いてしまったのだろうか。
戸棚から普段休み時間用に使うふかふかのブランケットを取り出して、マクワは言った。

「申し訳ないですが……今日は泊っていこうかな」
「シュポォー!」
「ふふ、楽しいですか。……その代わり早朝はトレーニングを兼ねて走って帰りますよ」
「ポ、ポォ」
「おや、やる気ですね。よかった。……汚すといけませんし……名残は惜しいですがそろそろ片付けましょうか」
「ポオ!」

マクワが手を伸ばすと、セキタンザンがすっと立ち上がり、星が逃げていく。天頂の星は随分な高さになり、届かない。酔いが回って均衡感覚を失っている状態では、足取りもおぼつかなくて、とても追いつけそうになかった。

「……セ、セキタンザン、……うぐ……!」
「シュポ……!」

いつものじゃれ合いのつもりだったが、酔いの状態を想像出来ず、セキタンザンは慌ててふらつくバディを支えた。マクワは少し悔しそうに眉間にしわを寄せたが、アルコールに流されて、幾度か瞬きをした後にすぐ話を切り替えた。

「……それ、気に入ってるのですか?」
「シュポォ」
「ふふ……じゃあ今だけぼくもお揃いでいようかな……星はないから帽子だけ……」

段ボール箱からもう一つ三角帽子を取り出すと、マクワは被ってみせた。
二つの赤い帽子が並んで揺れた。

「……温かいですね」
「シュ ポォー」

窓のサッシに積もった夜のこおりが音を立てて溶けていく。頂きの星はいつまでも炭火の灯りを受けてぴかぴかと光を放っていた。

きみはかみさま

日差しが消える。暗雲が立ち込め、冷たい風が吹き、大きな雪の粒が窓を叩く。天気の急変に、ぼくはスタジアムの会議室から窓の外を見た。重たい雲が町全体を覆い隠し、塞ぎ込むように真っ暗だ。大粒の雪が横から硝子を殴るように叩きつける。

「なんだか嫌な天気ですねえ」
「今日は早く上がりましょう。……帰れなくなるかもしれません」

ジムトレーナー達が口々に様子を言い合うので、ぼくは外の景色を見つめながら伝えた。

「いえ……逆に私たちの仕事が必要になる可能性もありますよね、これ……」
「確かに確かに確かに! 普通じゃないもんね。ポケモンかもしれないよね!?」
「……既に帰れない気がするなあ」

窓ガラスは映画のフィルムのように、刻々と激しく移ろう雪景色を映し出している。
外気の影響で、室温が少しずつ下がり始めた。ネジを回しストーブの火力を上げて、周囲に集まる。スマホロトムを見ていたヨシコが言う。

「寒い……ストーブストーブ」
「気象予報では想定外……そうだよね……」
「こういう時は俺の出番! トロッゴン!」
「ハッカー!」
「ああ~トロッゴン~!」
「外の様子を見てきます。いったんこちらで待機して、すぐに出られるよう準備をしていてください。また連絡を取ります」
「ええ、マクワさん一人で!?」
「ぼくにはセキタンザンがいますから。こういう時はぼくの出番……いえ、彼の出番、です」

部屋を出て、雪で閉ざされたスタジアムの重たい扉を開く。目の前に広がるのは大雪に閉ざされたキルクスの街。石造りの家や建物はひとよりも何倍もの高さの雪に埋もれて途方に暮れている。
小さな小屋や木造りのものは拉げて中身を見せた。広く長く伸びていた道は真っ白で、無に帰している。草も木も、土もひとも建物も、ここにはなにもない。境界も。生も、死も。
このままでは気温はどんどん下がっていき、ただひとが存在するだけで辛い場所になるだろう。
ただ耐え忍ぶばかりの、虚無と間違いの世界。
けれど、それを救える存在を知っている。ぼくは、知っていた。
すぐさまセキタンザンを呼び出すと、慣れた力でキョダイマックスさせる。ガラル特有のキョダイマックスエネルギーの力で、セキタンザンは形を大きく変えて、スタジアムの前に聳え立った。
真っ白を切り裂く、赤と黒の光。

「セキタンザン! きみの力でこの寒気からキルクスを守って!」
「シュポォー!」

セキタンザンは吹雪の風をものともせずに大きな足で歩いていく。高温に触れた深雪はあっという間に溶けて蒸発し、吹き飛んでいった。下から出てきたのは、はちみつ色の石畳。
人々が長い年月を掛けて築いた、この街を繋ぐ道路。

「……ああ」

彼が苦手な「水」すら残さぬ強烈な温度。内部は2000℃もあると言う。表層に近づくだけでもかなりの高温なのだ。彼はあっという間にキルクスを救うだろう。
マクワはセキタンザンに背を向けると、一人山の方へと向かっていく。激しい雪風はまだ残ってはいるが、マクワは知っている。マクワだけは知っている。この雪風が当たらない場所を。
そしてこの風は、自分自身を避けようと動く事。

「……ありがとうございます。そして、ごめんなさい。きみたちに……こんな仕事をさせて……」

誰も知らない裏山の洞窟の陰。そこにはモスノウと、クレベース、ヒヒダルマ。ただ氷技を使うだけではなく、天候変化を起こすことで、人々の目を欺く。
ぼくはひんやりと冷たい彼らを、順番にそっと抱きしめると、モンスターボールを向けた。
その間も、セキタンザンはキルクスの街をひとり進んでいる。キルクスの街の中央でじっと佇んでいるのが見えた。高台の特等席で彼の様子を見るのだ。

「セキタンザンだ!」
「ありがとう!」

あれはホテルの観光客だろう。寒冷地慣れしていない彼らにとって、この天候の変化は恐ろしくてたまらなかったに違いない。けれどセキタンザンの温度があれば、すぐに元の温度に戻れる。
双眼鏡を覗いたマクワは、雪が溶けて、開ける事が出来るようになった窓から手を振っているアローラからの客人を見る事が出来た。セキタンザンがまたひとり、またひとりと人を救っていく。
彼が、英雄になっていく姿を、本当に伝説になってゆく姿を目に焼き付ける。

「み……!」

あれは英雄の湯に飛ばされ、遺跡に引っかかっていたユキハミだ。強風に飛ばされたうえに、雪や氷に埋もれて困っていた所をセキタンザンが助けてあげたのだ。
当たり前だが彼はポケモンにとっても救いになれる。
流石にユキハミにとっては高温は毒になるので、木の枝を使って救出してあげた所を見た。
不器用なのに、本当に優しいポケモンなのだ、セキタンザンは。
ふと一報入れるという約束を思い出し、スマホロトムを呼びだした。

「ロトム、一報を入れておいてください。急ぎ天候は落ち着き始めて、セキタンザンだけで大丈夫ですと」
「了解ロト。……マクワ……。……とても、寒そうロト……」
「……」

寒い。そう、とても寒かった。セキタンザンのお陰で殆ど雪雲は取り払われたが、この辺りはまだ分厚い雲も、ちらちらと霰も残っている。おそらくぼくのポケモン達がいた影響だろう。
けれど、ぼくにとってそんなことは些末だった。
もうすぐキョダイマックスも終わるだろう。それまでは、最後まで見ていなければ。
こんな馬鹿なことに手を出したのだ。きちんと最後まで。そう、最後まで、彼の雄姿を見つめていたい。
雄々しいセキタンザンの背中が、キルクスの中をぐるぐると廻っては、誰かを助ける。
時にはじっと動かずにいて、誰かを温めている様子だった。
それを見ているだけで、ぼくの体内もぐっと温かくなった。よかった。安心したのか、瞼が重くなってきた。とても眠たい。ごつん、と遠くで無機物同士がぶつかる音が聞こえた。
猛々しいセキタンザンの背中が、ぐるりと回って、真っ赤な目とぼくの眼が合う。

どうして

セキタンザンは真っ直ぐに、真っ直ぐにぼくの元へとやって来る。来ないで欲しい、逃げたいと思うのに、身体は全くいう事をきかなかった。
どんどんと辺りが温かくなって、セキタンザンの手が伸び、倒れ伏すぼくの事をぎゅうと摑まえた。

草食の話

光を受けてぴかぴかに輝く艶やかな緑。みずみずしく弾力に揺れる葉っぱ。どこまでも伸びて行く細くて長い葉脈たち。鮮やかな青い色はまるでよく磨かれた宝石のように眩く煌めいている。
豊かなターフタウンの自然の中で生き生きと育った自慢のうつくしい緑をどっさり束にして、ヤローはセキタンザンに差し出した。
セキタンザンが相棒の顔を覗くと小さく頷いて、セキタンザンは黒い石炭の掌で掴める束を握りしめた。セキタンザンは大きな口を開き、真っ赤に燃える口の中に放り込み、黒い石炭の口でごりごりと磨り潰すように咀嚼した。
嬉しそうに笑うと身体が揺れて、溢れた石炭がひとつふたつと零れ落ちていく。

「美味しいですか」

セキタンザンが呑み込んだ様子を伺って、ヤローと同じベンチに座っていたマクワが声を掛けた。
ヤローの経営する農場の片隅、畑を繋ぐ道端の広い茂みの上で、セキタンザンが座りながら味見をしていた。
セキタンザン食事用の植物を購入する為、時々ヤローの元へ来るようになったのはいつの事だっただろうか。マクワは形のよくないものや、実の葉の部分などの売れないもので構わないと言ってくれていて、ヤローとしても市場に出せないものを言い値で買ってくれることはありがたかった。
でもなにより。

「シュポォ!」
「それはよかったなあ」

ターフタウンのうららかな陽ざしに乗って、のんびりと笑った。セキタンザンの笑顔が見られたのだ。それだけで長い時間をかけて育てた自慢の植物たちとのお別れさえも、何より素敵な物に変わっていく。形が良くなくても、売れなくても、他の子たちと一切変わらない手間暇の掛かった子たちだ。

「ヤローさんが作って下さった物ですよ。当然でしょう。味の確認のつもりでしたが、これで良さそうですね、ありがとうございます。……しかしここでそこまで食べなくてもよいのに」
「でもタンドンもセキタンザンも、ずっと洞窟の中にいるわけじゃないでしょう? ターフタウンはお日様に近くていいんじゃ」
「シュ ポォー!」
「ほらセキタンザンもよろこんどるじゃろ? 気をつかわんとゆっくりしていってください」
「確かに……そうですね。ターフタウンは鉱山にも近いですし……きっと懐かしい空気が吸えると思います」

セキタンザンは、新鮮なマトマの葉っぱの味に夢中になっているのか、口に入れるペースが速いわりに、咀嚼している時間がゆっくりだ。味わってくれている様子は、ヤローにとっても嬉しい事だった。
水筒からお茶を汲んで、マクワのコップに注ぎ足した。

「しっかし……何回知っても面白いなあ。ぼくにはセキタンザンが植物を食べるなんて想像できんかった」
「ぼくもです。……でも石炭は元々太古の植物が化石になったものらしいのです。だから植物を摂取することで石炭を生成するのは当然なのかもしれません」
「へえ! そんな繋がりがあったんじゃなあ マクワくんはものしりじゃあ」

マクワは俯いて、サングラスを直した。それから小さくお礼を言うと、コップに口を付けた。

「これくらいは……当然です。それにぼくは植物の事は……全然ですし」
「いやいや、ぼくもほんの一部を知っとるだけですよ。でもその一部を知ってるだけで十分こうしてみんなのお役に立てるなら……立派なもんかな、なんてね」
「そうですよ。ヤローさんはその……本当に……流石です。ぼくには真似できない事がたくさんあります……いえ、悔しいので頑張って真似はしてみせますが!」
「マクワくんは努力家だなあ」
「……そんなことは」

温かな風が流れている。ふとヤローはマクワの方を見た。サングラス越しの丸い目が、緩やかに弧を描いて、今にも落ちそうだ。
その先にいるセキタンザンはやっぱりまだごりごりと葉っぱを食べていて、試合で対峙した時の猛々しさは身を潜めていた。
マクワもそうだ。スタジアムで立つあの飄々とした笑顔の裏には、いつも極寒に似た怜悧な冷たさがあった。

「ヤローさんだって。ぼくが何も言わなくても……こうしてセキタンザンが喜ぶものをくれますから」
「……いやあ……何も考えとらんかったです。ただ喜んでくれそうなものを集めただけで……」
「天然ですか? ずるいですよ」
「えへへ……」

ヤローは思わず頭を掻いた。マクワの瞳は相変わらず優し気なままバディを見つめていた。
この柔らかくて少しだけ尖っていて、でも日差しに満ちた時間を彼らとともに共有できるのなら。
次もまた立派にマトマと葉っぱを育てよう。今度はさらに喜んでくれそうな種類の葉と共に送り届けたいが、どれがいいだろう。
やはり辛い系の木の実のものが良いだろうか。
タンドンの頃は鉱山の近くの葉を食べていたそうだが、鉱山の葉っぱに近い物が喜ぶだろうか。
ターフタウンの農場の真ん中で、さっそく次のぴかぴかを考え始めるのだった。

せきたんざんの手入に熱中するマと手入れに飽きたせきたんざん

大冒険はほんのミクロの中にあった。
たとえばオフの日。
相棒と一緒にいる最中でさえ、あっという間にマクワを異次元に連れて行ってくれた。

機材の準備は抜かりなし。大きな箱をがちゃりと開けば、階段状になった引き出したちが、整備士のを運ぶクレーンのように、ずらりと顔を並べだして、いつだってマクワはとてもいい気分になった。
彼らは優秀なオペレーターとして、マクワの手足そのものになって旅路を手伝ってくれるのだ。
気分も上がるので、これを買って良かったと心底思う。
もちろん中身だって負けていない。
いつだってピカピカに磨き上げられていて、旅立ちの準備はオールオーケー。
太さや大きさで揃えられた『先端』たちも、一つたりとも抜けはない。
わくわくした気持ちのまま、マクワは手前に伸びた引き出しから、鉄製の細い棒を一つ握りしめて、目の前に広がる深い闇の中にすっと先端を横にスライドさせた。
たったそれだけで、冒険は始まるのだ。天頂を穿つ白星が、光を受けて輝いた。

たっぷりの真っ暗闇を銀の尖星がしゅう、しゅっと流れていく。
凹凸の宇宙を駆け抜けて、うっすら黒を削り取り進んでいく白星。たったひとり、温かな闇の中を迷うことなく怜悧に駆け抜けていく。魔法の輪郭線を描いていく。
黒い粉をぱっぱと躍らせながら、戻っては大きく進む、戻っては大きく進む。
航路は必然。「暗闇」のある場所、ただそれだけだ。
分厚く立ちはだかる黒を、塵芥よりもちいさく割って、彼の道が出来た。
ここは必要な隙間だ。スムーズに駆動するための溝。
基礎に近い場所。
その道筋を辿っていく度に、艶やかに磨かれた黒炭が青い光に触れて、悠然と瞬いていった。
見えないのに、何故か見える。石炭の陰、昏い場所。
だからこそ、もっともっと進んでいきたいと銀星は考える。
小さな星は、小さなまま随分と進んだ。十分すぎる程立派に、美しく出来た。
このままでも、きっと他の誰も十分だと言うだろう。
本人でさえ、いや、本人は一番どうでも良いと思っているに違いない。
だけど、今自分がきらきらと光っているのが分かる。せっかくだ、まだまだこの「旅路」を堪能していたい。

そう考えたマクワは、自分の形を――自分の使用する道具を替えることにした。
怜悧で細い器具を置き、次はざらついた細長い鑢を取り出して、再びセキタンザンの頭の下と睨めっこを始めた。昨日の試合でタールショットを使用し、零れた分が残って固まってしまったことはセキタンザンも自覚があった。
マクワも不足するよりは良い、試合後の手入はトレーナーの仕事の基本中の基本なのだから、常に余剰が出るようにと指示をしていた。
もちろんセキタンザンも試合で手加減するつもりはない。
その指示に従った。
そして今、その手入の最中なのだが。
なんだかいつも以上にマクワの気持ちが高まっているのか、それとも自分が乗り気でないだけなのか、セキタンザンにも判断はつかないが、とにかく退屈をし始めていた。
手入れしてもらうのは気持ちいい。
これもコミュニケーションの一つだ。
楽しいことに違いないはずなのだが、とにかくマクワを――気配をけしてしまうほど巧いのか何なのか、これもセキタンザンには判断がつかなかった――このちょうど視界からすっかり消えてしまう場所からでは、見つける事が出来なかったのだ。
マクワはずっと顎の下にいて、ずっと顎の下ばかりを集中的に手入していた。
しかも、あまり強い力ではなく、そっと、撫でるような力で研磨をしている。

セキタンザンはゆっくりと自分の身体を上に傾けて、マクワの作業から身体を遠ざけてみた。
マクワの手が届く範囲では、まだ何も言ってこない。もっと動かしたらどうなるだろう。
セキタンザンの好奇心が疼いた。

「セキタンザン! 動かないでください」

鋭く、しかし淡々とした声音が飛んで来た。しかしセキタンザンにとってはマクワの気を引く事が出来たことで、これはミッション成功の範囲だった。
では次に、マクワが作業しているまま一緒に運んでみたらどうなるだろうか。
セキタンザンは座り込んで自分の前に座るバディのお尻をゆっくりと持ち上げて、そのまま立ち上がった。邪魔はしていない。

「ちょっと……セキタンザン?」
「シュ ポォー」
「……動かないでと……。きみ、疲れましたね?」

溜息混じりでバディが見下ろしている。マクワの眼の色に少しばかり悪戯っぽい、勝ち誇ったような色が浮かんでいたのを読み取って、セキタンザンはあまり面白くなかったのだが、しかし今回ばかりはその通りなので小さく声を上げるだけに留まる。

「ボー」
「もう少しですから……忍耐の特訓です」
「シュォオ」
「うわ、ちょ、セキタンザンっ! ふふ、あはは!」

脇の下やお腹を擽る攻撃に出てみた。抱き止めた体勢のままだから、マクワは身動きをとる事が出来ない。逃げられない。
セキタンザンにとっては、もうとっくに忍耐の特訓だったのだ。そもそも手入はコミュニケーションのはずなのに、それを一方的に取り上げられている事自体、理不尽じゃないだろうか?
だからセキタンザンはコミュニケーションの時間を取り戻したい。そんな意思表示だ。
笑いすぎた丸い青い瞳からじわりと涙が滲んでいた。

「ストップ! わかりましたからっ! そうか。ぼくは勝手に良いことだとばかり思いこんでましたが……これはきみにとって何もわからないのですね?」
「シュポォ」
「それは残念ですね。ずっと仕上げをしていますし……やり方を考えるとしましょう。今から試しますので……きみが良いとおもったものを教えてください」
「シュ ポォー!」

大冒険はほんのミクロの中にある。しかしひとりきりでは到底難しい。
いつも自分の傍で煌々と聳え立ち、心躍る場所へと連れて行くのだ。

石炭とゆき

とある日、炭鉱の洞窟の外へ出てみると、ちらちらと降る白くて冷たいふしぎなものがあった。それはあっという間に草むらを覆い、辺り一面をまるで違う世界の中へと呑み込んでしまった。この山ではほとんど見ない光景だ。少なくとも、俺が生まれてからは初めてだった。
誰かからポケモンは進化をするのだと聞いた事があるけれど、山もこうして進化したのだろうか。不思議に思った俺は仲間に尋ねてみた。物知りの彼はけらけらと笑って

「違うよ、これはこおりというものだよ。もう少し正しく言うと”雪”だ」

と教えてくれた。ゆき、こおり。初めて聞く名前に、俺は何度も反復しながらその白いものに触れてみた。しゃくしゃくと音を立てて潰れるそれは、あっという間に姿を消してしまい、元の草に戻ってしまった。踏みつけた部分が少しだけ濡れていて、しみるような感覚だけが残った。

「僕たちはこおりに強いから平気だろう?」
「……これは水なのか?」
「ああ、水が寒い所で変化するものらしい。僕も詳しくは知らない」

彼はそう言うと洞窟の中へと戻ってゆく。俺はまだ気になって、風に吹かれてゆらりゆらりと降りてくる雪の中をころころと車輪で駆ける。白色の草むらを歩けば、その部分だけ積雪が無くなり轍が残っていく。雨の時はもう少しだけ重たい感覚があるのに、雪の時はなくて、それも不思議だった。その日は雲間から蒼空が顔を出すまで、そうして戯れ続けていた。

それから幾年か経ち、俺はマクワという人間と共に旅をするバディになった。
今は旅の最中、ジムチャレンジという課題を全て繰りぬけて、この地方一のトレーナーになる事が目標らしい。だが、その前にマクワにはもうひとつ大きな目標もあり、ピリピリしているのだが、この際は置いておく。
まだマクワも俺もお互いの事を詳しく知り得ぬまま、旅の同行者として日々を過ごしていた頃。
今朝町を出発し、今日は道端でほぼトレーニングに費やしながらゆっくり道を進む予定だった。
俺はマクワの作る訓練メニューについていくのがやっとで、しょっちゅう音を上げていた。
限界まで走り終えて、息を整える俺にマクワは言った。

「……休憩しましょう。今日の目標はクリアです。お疲れ様でした」

その言葉を聞き、解放された嬉しさから身体の力を抜いてその場で倒れてみせる。

「まだまだ目標には遠いですが……それでも少しずつタイムは良くなっています。その調子……です……タンドン?」

なんだかとても眠くなってきた。心配になったのかマクワが近寄り、両手で抱え覗き込んだ。俺は目を開き、大丈夫だと伝えた。

「……よかった。運動直後だからかだいぶ体温が上がっていますね。熱いです……それに……ううう……?」

マクワは何かに気が付いたのか、俺の身体に顔を寄せると、くんくんと鼻を動かす。それから思いきり眉間に皺を寄せて、とにかく嫌悪感を隠しきれていない、見た事のない顔をする。
こんなにも表情に出るのだな、と場違いなことさえ考えてしまった。

「うぐ……。タンドン……きみって……すごく独特な香りがするのですね……。炭坑の香りかと思ってましたが、いや石炭自体の香り……埃みたいな……古い家のような……」

なんとか一生懸命ゆっくり言葉を選ぼうとしていることだけは伝わったのだが、褒められてはいないことだけはわかった。俺も今、きっと同じような苦々しい表情をしているに違いない。
マクワはゆっくりと俺を降ろす。

「……うわっ! 手が真っ黒!服も!? 洗ったら落ちるかな……」

自分の掌を見て大きな声を上げた。見れば確かに真っ白なマクワの掌が綺麗な黒に覆われていて、上着の裾やズボンにまでもあちこち黒い煤がついてしまっている。
さらには鼻先や頬にも黒いもので落書きをしたかのような線が走っていた。
これは俺が持ち上げられる前にはなかったものなので、自分がつけてしまったんだということはわかる。マクワの反応からして、良くない事なのだ。どんどんと心の炎が小さくなってしまっていくのがわかり、俯いた。

「……こんな『石』もあるのですね。ぼくは今まで石というものは無臭で、色がつかないものだとばかり思っていました。……でもそうですよね、きみは『ほのお』を燃やせる『いわ』です。
『いわ』の個性が持つすごさ……! きみはいろんなことに気付かせてくれる……。
……新しい思い出がひとつ増えました」

明るい声に、俺はおそるおそるマクワを見上げた。灰簾石の眼は、思っていたよりもすぐに輝きを取り戻していた。

「しばらくは驚くこともあるかもしれませんが……すぐ慣れますから。これくらいぼくであればどうということはありません」

しゃがみ込んだマクワが、少しぎこちないが手の腹で俺の頭を撫でた。どうやら慰めてくれているらしい。
その気持ちが嬉しくて、なるべく汚さないように擦り寄った。

それからまた幾年経って、マクワはとうとういわジムリーダーに就任した。
あの頃よりもお互いにずっとずっと成長し、俺もセキタンザンに進化することが出来た。
マクワの目標はまた形を変えて、俺たちの前に高く聳え立っていたが、悪くない。
今日は日課のトレーニングを終え、このままキャンプ形式で夜を明かす予定だ。
ワイルドエリアの片隅、砂の盆地に大きな太陽が沈んでゆく。

「今日は少し煤が出てますね……組み方でしょうか」

俺の横で背中の石炭の様子をみたマクワが呟いた。たまに体調が悪いと黒煤が出てしまうらしい。
少し水を入れた金属製のバケツに、一つずつトングで掴んだ石炭を入れてゆく。次は順番に背中に戻していく、時間のかかる作業だ。
体温は下がるが、なんとなく詰まっていたような感覚がすっきりして気持ちが良い。
俺にとってはどうってことのない時間だが、人間であるマクワにとってはかなり長い時を使うものだろう。さっきまでオレンジ色だった天空に黒が掛かり、ぽつぽつと星の光が射貫き始めている。
しかしマクワは一度も嫌だとか、辛いだとか言った事はない。だから俺も安心して背中を預ける事が出来るのだ。

「シュポー?」
「……へ?」

細かく石炭を並べることに集中していた頭が、突然俺の呼び声に引き戻されて、ちょっと間の抜けた声を上げた。きっと同じくぽかんとした表情をしているのだろうが、ここからだとみえないのが残念だった。

「すみません、聞いてませんでした」
「ポオ」
「ああ、これですか? 特に考えた事は……それよりきみがいつでも最大のパフォーマンスで試合を沸かせてくれることが大切ですから」

流石、トレーナーとして100点の答えを聞かせてくれた。でもバディとしてはあまり嬉しくなかったので拗ねて返す。

「シュポ」
「……まあ、その……そうですね。……ぼくが……好きなのですよ。きみの背中の炎がきちんとひかるように組むこと……」
「シュポォー」
「満足してくれましたか」

マクワはまたすぐに作業の方へと頭を切り替えたらしく、それから何も言わなくなってしまった。自分に、なにより自分の為に向き合ってくれていることに変わりないのに、なんだかほんの少し心細いような、寂しいような気持ちが湧いていた。まるで彼がこの背中に一人で山登りでもしているかのようだ。
それでも背中への登山が終わったのはそれからすぐのことだった。

「よし、終わりましたよ。これで問題ありません。ありがとうございました」
「ボオ!」
「……何かありましたか?」

俺の顔を覗き込んだマクワの顔が、随分と真っ黒に汚れている。もう日は沈んでしまったが、俺自身が放つ炎の灯りに照らされて見えている。煤の汚れだった。
マクワがいつもポケットに入れている小さな手鏡を指し示せば、彼もすぐに思い当たったようで、自分の顔を鏡で覗き見た。マクワが念入りに髪や顔の手入をしていることは知っている。
昔、大慌てだったことも、未だに記憶に根付いているのだ。
相棒は少し斜めに顎の角度を変えて四角い鏡を見ながら、

「……ああ、真っ黒ですね」

といって、困ったように笑うだけだった。俺は思わずぱちぱちと目を瞬かせた。拍子抜けだった。もっと驚くと思ったのだ。

「……きみの手入をした後なら当たり前ですよ。これは名誉の勲章みたいなものです。きみとお揃いなのですから。……まあ後ほど洗ってきます」

さらにマクワは胸を張ってみせて、楽しそうに笑った。
まだこの前、石の色さえ知らなかったマクワだった。彼は誇らしげに前髪を弄ってから、荷物用のテントの方へとぱたぱたと駆けていった。
俺の背中の炎がぼおっと熱くなり、その背中を追いかけていきたいような衝動まで駆られてしまった。

夜も深まった。周囲にはポケモン達の気配もいない。食事もとり終わり、あとは就寝するだけだ。
シュラフの中に丸く収まったマクワが、寝る位置を調整するために俺の背中でごそごそと動く。

「……やっぱりこちらが良いです。セキタンザン、もう少し後ろに」

マクワが身体を起こして、俺の場所を指示する。言われた通り位置をずらして、足の上にマクワがのれるようにする。マクワは足の上に身体を乗せて、俺の腕を枕代わりにすると腹に顔を埋める。

「シュポォ?」

普段は問題ないが、ごく稀に体調が悪いと思いきり黒煤がついてしまう事があった。さっき煤を付けて、洗ったばかりなのだ。

「大丈夫です。……平気です」
「シュポー」

心配の声を掛けたつもりだった。すると余計に意地を張ったのだろうか、マクワは更に俺の方に身体を寄せて、しっかり顔を埋めた。

「きみ……埃みたいな……古い家みたいな香りがしますよ。独特な香り……です」

背中に顔を押し付けているせいで、もごもごと言う。いつか聞いた言葉にそっくりだ。
だけどその時とは違って笑みが含まれている。

「きみのお陰でいろんな……香りのする石を知りました。海の香りのする石、きのみの香りのする石、草や土の香り……でも煤っぽいのはきみくらいで……ふふ」

眠りの中に蕩け始めた言葉が、だんだんと要領を得なくなり始めた。ぼんやりと、マクワの頭の中にある何かをそのまま捉えては浮かび上がらせていた。

「黒い色がつくのも……きみくらい……あったかくてつよくてなつかしい……ほのおの香り……」

俺はその時むかし見た、あの白い雪の事を思い出していた。色が無くて冷たくて、轍と共にすぐに消えてしまうあの不思議な存在。
マクワはあのこおりと共に育って、そしてこおりよりも強くなりたいのだと言う。そのために、俺の力が必要で、つい最近ようやくこの姿にまでなった。
彼が俺のもっている色がついてしまうとか臭いだとかの特徴を全く知らなかったのも、きっと無理はないのだ。だって俺も「雪」のことも「こおり」のこともちっとも知らなかったのだから。
けれども今、マクワはこうして俺の隣で身体に顔を埋めて、安心しきった顔ですやすやと寝息を立てていた。
出会った最初の頃、俺の香りの事も、色がついてしまう事も、嫌がっていたことはまだはっきり記憶に残る。しかしそれを掴んでいなくてもいいのだと、今の彼が教えてくれていた。
ふと空を見上げれば、たくさんの星がきらきらと俺たちの天空を飾りつけて輝いている。負けないくらいの瞬きを、刹那のよろこびを、俺はじっとこの身に焼き付けて、噛み締めていた。

閉じ込められるセキタンザンとメロンの落書き

険しい褐色の岩肌は極氷の白に覆われて、空からちらちらと降りてくるのは微細な雪の破片。やまおとこが思わず目をとられて見上げれば淡いオーロラが輝き、まるで異空間に誘い込まれたようだ。
絶対零度の氷河期がパシオの山中に到来した。

「いいよラプラス! さあ一気に決めようか れいとうビーム!」

大きな口に光が集まり、凝縮した冷気が光線となって放たれた。カイリキーにぶつかって弾けると、そのまま圧力となり巨躯を押し倒した。最後の一体が倒れて、モンスターボールへと帰っていく。

「いい勝負だったよ!」

メロンは去っていくやまおとこたちのチームの背中を見送ると、くるりと振り返る。

「……なのにこっちときたら、全く情けない!」

そこには顔を真っ蒼にしてしゃがみ込み震えるケイとバディのピカチュウ、そして2人を温めるセキタンザンとマクワがいた。
辺り一面を冷やして得意のフィールドを作って戦うのは、メロンのやり方だ。だがしかし、誰彼構わず行う為、同じチームを組む仲間でさえ巻き込まれてしまう。

「……仕方ありません。まだケイさんは母さんのやり方に慣れていませんから」
「そうだね。ケイは才能もあるし、腕もいいから慣れたらすぐについて来れるから! 今から楽しみだよ! ……おや?」

セキタンザンが立ち上がり、前へ出るとじっとメロンを見つめている。メロンはぱちぱちと瞬いた。マクワが静かに両者の間に言葉を投げかける。

「セキタンザン、ケイさんを温めてください」
「シュポオ」

じゅどん、大きな音を立てて雪が崩れた。セキタンザンとメロンの足元から崖の方へ、激しい音を立てて滑り落ちていく。
メロンは自分を呼ぶ息子の叫び声を聞いて、そのまま意識を失った。

「ボオ!」

目を開けると、至近距離にぱちぱちと弾ける炎があり、メロンは思わず後ずさる。

「びっくりした、あんたか……。ここは……洞窟みたいだねえ」

良く目を凝らしてみればセキタンザンの背中の石炭の山が燃える姿で、ほっと一息ついた。ぐるりと周囲を見渡すと、小さな洞穴だ。
崖の途中に空いたくぼみが上手く洞窟として機能したのだろう。落ちる途中、セキタンザンが上手くメロンを助けて転がり込んでくれた事だけはわかる。上を見上げても既に人の気配はない。下は崖が続いていて、高い木々が並んでいる。
ロトムを見れば、息子から助けに移動しているという報告が入っていた。流石行動が早い。

「ラプラス呼んで無理するのも難しそうだし……。とりあえず……ここで待っていれば大丈夫そうだね」
「……シュポオ」
「あたしと居るのは不服かい?」
「……ボオ」

先ほどもそうだが、セキタンザンは何か言いたげなことだけはメロンにもわかる。
元々息子が独立するために選んだポケモンであり、同時に彼が独立のために手を貸したポケモンでもある。敵愾心に近しい何かがあってもおかしくはない。
上の方は凍らせた氷柱が降りていて、ひんやりとした空気が流れていた。このままでは体温が下がっていくだろう。
それを目敏く察したのか、セキタンザンは少しメロンに近寄ると、身体の火力を上げようとした。

「ああ、ダメ。あたしのことは温めないで」

今度はセキタンザンがぱちぱちと瞬きする番だった。

「あたしはずっと冷えていなくちゃいけないんだ。冷たい所にいて……冷たい場所で戦う。
マクワはポケモンのすばらしさを伝えるために、観客を楽しませるって言うでしょう?
でもね……あたしは違うと思うの。ポケモンは強くなくちゃ。ありのままを見せなくちゃ。
強さそのものを教える事、理解してもらう事こそ観客が本当に必要だって信じてる。
だからあたしもね、こおり専任として、こおりポケモンを最大限魅せられる場所に常に居続けるの。……だからあたしは温めちゃダメだし、熱いのはもっとダメなんだ」
「シュポー」
「そろそろいつもの場所に帰りたいなあ……溶けちゃいそう……」
「母さん、セキタンザン、大丈夫ですか!?」
「やっと来た」
「シュポー!」

崖上にロープを括りつけて、杭で打ち付け足場を作りながらマクワが降りてくる。洞窟の中に軽く飛び降りると、セキタンザンの横をすり抜けて、急いでメロンを見る。
セキタンザンとメロンの間に距離がある事も、きちんと確認をする。

「母さん」
「遅いんじゃない?」
「これでも最短ルートだったのです。さあ、帰りましょう」

メロンはマクワが作った足場を難なく登って元の道に戻っていった。上ではケイがメロンと何かを話しているのもわかった。見届けたマクワが再び自分のバディの下へと降りると、どっしりと座り込んでいた。

「セキタンザン! ありがとうございました」
「シュポオ」
「……セキタンザン?」

なんだか少しへそを曲げているように見える。マクワには思い当たる節は見つからない。

「ポオ」
「どうかしましたか」
「シュポオ」

そこでふと気が付いた。今、一瞬ではあるが自分はセキタンザンよりもメロンを優先していた。
さらにセキタンザンがメロンを温めさせてもらえなかったことさえも自覚しているのに、自分はなかったことにしようとしていたこと。
実の母であり、セキタンザンより遥かに弱い生命だから当然だと思ってしまったが、この僅かな機微は自分のバディであるセキタンザンにとって大きな差異になりかねないだろう。

「ああ……いえ……すみません、ぼくたちの……意地張りに巻き込んでしまって……。……ぼくは多分、羨ましいのです。……ひとつだけに打ち込んで真っ直ぐに進める母が……。だけどぼくはぼくの力で母をこえたくて……」

セキタンザンは今度こそと自分の身体に炎を集めて、石炭に火を灯す。じゅう、と音を立てて周辺を凍らせていたものが溶けて水に変わっていく。

「シュポー!」
「……そうです。温かいですね。ぼくにとってはこおりを打ち破る力でしたから……きっと母にとってはあまり喜ばしい物ではないと思います」

マクワは母の一気に場を凍らせてしまう力を思い出す。

「ですが! ぼくたちはここではチームです。いくら母のやり方があったとしても……やはりチームで勝てなければ意味がありません。きみのやり方は正しい。ぼくたちが目指すのはたくさんの方法を考え試すクレバーな戦いで、観客を魅了する物です」
「ボオ」
「これはぼくと……きみのセキタンザンのちからです。どこでも輝いていける。まだまだ輝かせていきたい」

マクワがひとつ言葉をくれる度に、セキタンザンの中にあったもやもやが晴れていく。
まるで魔法のようだ。メロンもそうだった。温めてはいけないという彼女が自分に掛けた魔法。
それが不気味でよくわからなくて、セキタンザンはなんだかメロンのことをずっともやもやして見ていたのだ。
正直、全部が全部晴れたわけではない。それでも今まで見えなかったものが見えるようになった。
セキタンザンは、それだけでも彼らとずっと共に居られると思った。

「シュポ!」
「うん。それではぼくたちも帰りましょう。知りたい事がたくさんありますから」

残雪を溶かしながらセキタンザンはマクワを先導し、進んでゆく。
艶やかに濡れた石面は淡い日暮れの空を映し出している。

マクワの嘔吐を助けるセキタンザンの落書き

何気ないエキシビジョンマッチだった。マクワにとって、ジムリーダー就任後、まだ指折り数えられる程度の公式試合。だがしかし、マイナーリーグにいる身としては、少しでも早くメジャーに上がるための大切な修練のうちの一つ。
結果、無事勝利を収める事が出来た。マクワは堂々とインタビューを受けて、良かった部分を語る。瞬く間に映像は記録となって、ガラルのメディアの端っこを動かした。
控室に戻り、マクワは大きくため息をつく。スポットライトの裏に伸びるのは深い影だ。
確かに結果は良かった。これで自分の為に出資してくれたファンにも、少しは恩義を返せるだろう。
しかしその内容に関しては、反省点の多過ぎるものだった。トレーナーは眉間を抑える。

「なぜ、あそこで……」

ただ勝つだけではいけない。よりポケモンの魅力を引き出す戦い方をメディアに映すこと。それは同時に、代わりに戦ってくれるポケモンたちに対して人一倍危機管理に気を配ることでもある。
見ていて心地よくない試合は、危険性ばかりに気をとられてしまい、観客に伝わらないものだ。
気がはやってしまったのか、逃げてダメージを減らすべき部分を受け止めさせてしまった。
頑丈ないわポケモンの取り柄でもある。だが、もしそれが後々あとを引いてしまった場合を考えれば、最悪の選択となりかねないだろう。
そして、何より。
マクワの心をざわつかせるのは、この試合を、直接母親が見ていたということだ。偶然だろうが、メジャーリーグにいるメンバーでの会合が、このスタジアムの一室で行われていたらしい。
偶然にも、母は終わりがけの試合を目にしており、自分が「勝った事」で上機嫌そうに去っていく後ろ姿を見た。
しかし何よりマクワは知っている。ポケモンに対して誰よりシビアな母が、この手の失敗を、本来ならば許さないだろうということ。
幾度か叱られたときの実際の記憶は、今でもすぐに再生することができる自信があった。
無数にある反省点のうち、すぐに解決出来そうなものだけをさっと洗い出し、マクワはすぐ訓練に向かった。翌日も早朝からジムで仕事がある。あまり長い時間は使えない。
自分だけでなく、途中セキタンザンとの鍛錬もてきぱきとこなす。さっさと終わらせたのち、支度を整えてベッドに向かったが、どうにも今日の試合ばかりが脳裏に戻りちっとも入眠できずにいる。
アルコールの力を頼ることにした。強い酒をなみなみグラスに注いで一気に仰いだ。大きな瓶を1つまるまる空にしてから、そういえば夕食を摂り損ねていたことに気が付く。
滅多にすることのない飲み方だ。
自他ともにアルコールには耐性があり、並大抵の人よりは高いとマクワも自負していた。母親から上手な飲み方を教わっていることも、多少なりとも助けになっているだろう。
いくら体質的に強くても、訓練していたとしても、無茶なアルコール摂取は負担がかかる。
けれど、今回は最初からコントロールも何もなかったものだ。ふわふわした脳ははさらに拍車をかけてしまい、あっという間に次の瓶を半分程飲み干してしまった。
ぐるぐると回る天井を見上げて、頭がカーペットの上に落ちる。瞼も重い。ようやく自分の目的を思い出した所で、マクワは突然せり上がる嘔吐感に、重たい両手で口を抑えた。
胃の中身が、肉に圧されてふたたび食堂を逆流しようとする。だが吐きなれていないせいか、昇っては来ていても、口腔に届くまでは至らない。
ぐぅっ、と喉の奥が鳴る。吐き出せない気持ち悪さに涙を浮かべながら、マクワは必死に耐えた。
このままではリビングを汚してしまうことに思い至り、そのままフラつきながらも、キッチンへと向かう。
シンクの前で立ち止まると、身体に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちた。膝をついて、四つん這いになる。きもちわるい。きもちわるい。

「お、ご……ぉえっ……お゛っ……はぁ……はーッ……ぐぇっ……!」

必死に腕の力だけで巨躯を支え、立ち上がる。シンクに顔を突っ込む。
だしかし一向に吐瀉物は出てこない。むかむかとして、胃液が内臓を焼くひりつく様な感覚は確かにあるのに、吐けない。吐けない。吐けない。
何度もえづきを繰り返し、やがてマクワは、諦めたように身体の体重をシンクの縁に預ける。
その時、真横で黒い大岩が動く瞬間を見た。大きな石は遠慮のかけらもなくマクワの口の中に入り込み、喉奥を刺激する。むっとした石炭の香りが喉から嗅覚に触れた。
今までの苦が嘘のように、一気に胃の内容物が口腔を通り、びちゃびちゃと音を立てて、よく磨かれたシンクを叩いている。

「……お゛、んご、ごお、ぼォ……え、ひ……ぃ゛……ぼおごぼご、ろ……お゛おええッ……ゲエ゛エ……!!」

味蕾を焼く胃液の酸っぱさや、胆液の苦さをまるで緩和するように、いつもの相棒の石炭独特の香りがマクワの口腔を包む。ぼやけた視界で、紅い炎を捉えた。

「シュボオ……!」

セキタンザンは片腕で白い肉体を支えながら、太い指を一つ、マクワの口の中に入れている。ほんのりと蒸気が立ち上った。

「んご、んぐ……うえ……えッ」

殆ど中身のない粘着質の少ない液体を吐き切ると、不味い体液から逃れるべく、マクワの舌がセキタンザンの黒い指に触れる。石炭の苦さが、酩酊していた世界の中で、現実味と安心感を呼び覚ます。無意識のまま、深く舐め絡まる。

「んッ、んええ……れろ……」
「しゅぽ!」

ぬるつく感覚に驚き、石炭の相棒はマクワを支える手で軽く背を叩く。ぼやけて赤く染まり切っていた灰簾石が、はっと気付いて光った。
慌ててレバーを動かし、蛇口から水を出すと口の中に含んで吐き出す。普段であればはしたないと自制するだろうが、余裕のない相棒の姿はなかなか見られないものだと、セキタンザンは少しだけ思った。何度か濯いだのち、マクワは振り返る。
シンクに凭れる相棒の身体を、黒い手が軽く引っ張ると、容易く石炭の腕の上に乗った。

「……はぁー……はぁ、……ありがとう……ふぅ……ございます……。た、たすかり、ました……」
「シュポオ……」
「……たぶん……、ぼく、は……。…………ぼくは……なにかを……はきたかっただけで……かあさんは……わるくなくて……。……はあ……まさかぼくが……こんな……わるよい……する、なんて……」

眠たいのか真っ赤な顔をして瞼を閉じたまま、ただ口端だけで弧を描いている。

「……フフ……さいしょから……きみをよべばよかった……」
「シュ ポォー」
「……このまま……ねるから……あしたは……おこしてくださいね……」

セキタンザンが返事を返す前に、マクワは身体の力を全部抜いてしまった。あっという間に寝息が聞こえてくる。残念だが、その要望には応えられないのだ。
セキタンザンは相棒を抱いたまま移動し、マクワのベッドに彼の身体を寝かすと掛け布団を整えた。それから横に座り込んで隣で眠ることにする。
朝は必ずロトムが知らせるだろうから、一緒に起こせばいい。
長くトレーナーと暮らすセキタンザンは知っている。
セキタンザンの上で寝てしまうと、次の日のマクワの身体は『ガチガチ』になって、痛みが発生すること。マクワは好きだけれど、なるべくやらないようにしていること。
極力睡眠の質にも気を配っていること。
ほかにもたくさんの情報を集めて、一番マクワが良くなりそうなものを選んだ。
今日、試合後の訓練時も含めて、ずっと険しい顔をしていたことも、セキタンザンは良く知っている。
しっかり身体を休めて、また明日(もっとも、日付変更はとうに過ぎてしまっているのだが)もっと良い一日を共に過ごせますように。
石炭から漏れる自分の灯りが、疲れて眠る相棒の寝顔をきらきらと照らしている。


 

I’m home

凍えるような冷たさが、記憶の中で確かな重みを増して、頬を一つずつ刺してゆく。

既に日は沈み、夜空を彩るパシオの星空の下、マクワはざくざくと白雪を踏みしめながら、人工的に造られた氷のエリアを歩いていた。
この場所は、母メロンのお気に入りの訓練スポットだ。
確かに思い出の中のキルクスの雪山の雰囲気に近く、傾斜が多くてとても簡単に歩みを進める事は出来ず、氷雪は食料を奪い、体温を根こそぎ攫って行く。
この環境下であれば、ポケモンと共に峻厳な鍛錬が行えることは、マクワにも想像が出来る。
パシオという他地方に来たメロンは、早速この場所を見つけてひたすらトレーニングを行っているのだという。全く、母らしいと思う。
喧嘩をしている現在は、なるべく顔を合わせないようにしている身だ。
本来ならば放っておくものだが、ルリナが今日は帰りが遅いと心配をしているのを耳にしてしまった。
同地方の大切な同僚の為、一時休戦して、長く訓練を続ける母親の様子を伺い、迎えに行くことにした。
氷の輝く洞窟を潜り抜けて、雪積の斜面を登れば、見晴らしの良い高い丘の上に辿り着いた。
低木は皆雪をかぶって白く染まり、真っ白な雪の中で、真っ白な母親が雪の上に座り込んで、荒くなった息を整えている。
辺りにはポケモンは全く見当たらず、一人で筋トレでもしていたのだろうか。
一筋、冷たい風が首筋を通って吹き抜けて行く。
大丈夫だ。マクワは大きく一呼吸をついてから、バディの入るモンスターボールをそっと撫で、もう一歩足を進めた。霜雪はじゃり、と高らかに音を立て、マクワの来訪を彼女の耳に届かせた。
白雪の長い髪の間から、大きなアイスブルーを細めて、薄桃に色づいた唇でにっこりと笑う。マクワはサングラスを指で持ち上げた。

「あら、一緒にトレーニングする気になったのかい?」
「……違いますよ。もうこんな時間です、ルリナさんやポケモンセンターの方も心配をされていました」
「おや、本当だ。……まったく、もう少しくらい一日の時間ってのは、長くならないもんかね」
「なりませんよ。さあ、行きましょう」
「そこは”帰りましょう”じゃなくて?」

ゆっくりと立ち上がり、近づいたメロンの細長い白磁の指先が、マクワの柔い手首を掴んでいる。
振りほどこうとしたが、意外なほど力強いその手は離れていかない。
仕方なく、そのまま後ろを向き、マクワは先導して歩くことにした。

「……行きますよ」
「ここの夜も星がたくさんで綺麗だねぇ」
「そうですね。キルクスで見る星とは種類も大きさも、全く違って見えます。とても新鮮で、良い経験です」
「そうでもないよ。あたしには良く見える」

マクワは思わず瞬きをして、無数の星々輝く深い寒空を見上げた。
パシオはキルクスのあるガラルとはかなり距離があり、遠く隔たりのある場所だ。
見える星の種類は違っていて、当然だった。

「……え、本当ですか? 一体どれが……」
「あんたの所にねがい星が降って来た日の空の星たちがよく見えるよ」
「何言って……」
「なーんてね、それじゃあ行こうか」

あれほど強く握られていたはずの手が、するりと糸のように解けて消えていく。
立ちすくむマクワの前を、何も言わずメロンが雪を滑るようにして歩む。

「母さん……!」

マクワにはわからない。
母が自分に何を求めているのか。
ただ、ひとつだけ確実なことは、あの反旗を翻した時から母の時間は進んでおらず、原因である自分を取り込もうとする。
今のマクワはただ、無理矢理巻き戻された時間を何とか引きずり戻して、後を追うだけで精いっぱいだった。