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閉じ込められるセキタンザンとメロンの落書き

険しい褐色の岩肌は極氷の白に覆われて、空からちらちらと降りてくるのは微細な雪の破片。やまおとこが思わず目をとられて見上げれば淡いオーロラが輝き、まるで異空間に誘い込まれたようだ。
絶対零度の氷河期がパシオの山中に到来した。

「いいよラプラス! さあ一気に決めようか れいとうビーム!」

大きな口に光が集まり、凝縮した冷気が光線となって放たれた。カイリキーにぶつかって弾けると、そのまま圧力となり巨躯を押し倒した。最後の一体が倒れて、モンスターボールへと帰っていく。

「いい勝負だったよ!」

メロンは去っていくやまおとこたちのチームの背中を見送ると、くるりと振り返る。

「……なのにこっちときたら、全く情けない!」

そこには顔を真っ蒼にしてしゃがみ込み震えるケイとバディのピカチュウ、そして2人を温めるセキタンザンとマクワがいた。
辺り一面を冷やして得意のフィールドを作って戦うのは、メロンのやり方だ。だがしかし、誰彼構わず行う為、同じチームを組む仲間でさえ巻き込まれてしまう。

「……仕方ありません。まだケイさんは母さんのやり方に慣れていませんから」
「そうだね。ケイは才能もあるし、腕もいいから慣れたらすぐについて来れるから! 今から楽しみだよ! ……おや?」

セキタンザンが立ち上がり、前へ出るとじっとメロンを見つめている。メロンはぱちぱちと瞬いた。マクワが静かに両者の間に言葉を投げかける。

「セキタンザン、ケイさんを温めてください」
「シュポオ」

じゅどん、大きな音を立てて雪が崩れた。セキタンザンとメロンの足元から崖の方へ、激しい音を立てて滑り落ちていく。
メロンは自分を呼ぶ息子の叫び声を聞いて、そのまま意識を失った。

「ボオ!」

目を開けると、至近距離にぱちぱちと弾ける炎があり、メロンは思わず後ずさる。

「びっくりした、あんたか……。ここは……洞窟みたいだねえ」

良く目を凝らしてみればセキタンザンの背中の石炭の山が燃える姿で、ほっと一息ついた。ぐるりと周囲を見渡すと、小さな洞穴だ。
崖の途中に空いたくぼみが上手く洞窟として機能したのだろう。落ちる途中、セキタンザンが上手くメロンを助けて転がり込んでくれた事だけはわかる。上を見上げても既に人の気配はない。下は崖が続いていて、高い木々が並んでいる。
ロトムを見れば、息子から助けに移動しているという報告が入っていた。流石行動が早い。

「ラプラス呼んで無理するのも難しそうだし……。とりあえず……ここで待っていれば大丈夫そうだね」
「……シュポオ」
「あたしと居るのは不服かい?」
「……ボオ」

先ほどもそうだが、セキタンザンは何か言いたげなことだけはメロンにもわかる。
元々息子が独立するために選んだポケモンであり、同時に彼が独立のために手を貸したポケモンでもある。敵愾心に近しい何かがあってもおかしくはない。
上の方は凍らせた氷柱が降りていて、ひんやりとした空気が流れていた。このままでは体温が下がっていくだろう。
それを目敏く察したのか、セキタンザンは少しメロンに近寄ると、身体の火力を上げようとした。

「ああ、ダメ。あたしのことは温めないで」

今度はセキタンザンがぱちぱちと瞬きする番だった。

「あたしはずっと冷えていなくちゃいけないんだ。冷たい所にいて……冷たい場所で戦う。
マクワはポケモンのすばらしさを伝えるために、観客を楽しませるって言うでしょう?
でもね……あたしは違うと思うの。ポケモンは強くなくちゃ。ありのままを見せなくちゃ。
強さそのものを教える事、理解してもらう事こそ観客が本当に必要だって信じてる。
だからあたしもね、こおり専任として、こおりポケモンを最大限魅せられる場所に常に居続けるの。……だからあたしは温めちゃダメだし、熱いのはもっとダメなんだ」
「シュポー」
「そろそろいつもの場所に帰りたいなあ……溶けちゃいそう……」
「母さん、セキタンザン、大丈夫ですか!?」
「やっと来た」
「シュポー!」

崖上にロープを括りつけて、杭で打ち付け足場を作りながらマクワが降りてくる。洞窟の中に軽く飛び降りると、セキタンザンの横をすり抜けて、急いでメロンを見る。
セキタンザンとメロンの間に距離がある事も、きちんと確認をする。

「母さん」
「遅いんじゃない?」
「これでも最短ルートだったのです。さあ、帰りましょう」

メロンはマクワが作った足場を難なく登って元の道に戻っていった。上ではケイがメロンと何かを話しているのもわかった。見届けたマクワが再び自分のバディの下へと降りると、どっしりと座り込んでいた。

「セキタンザン! ありがとうございました」
「シュポオ」
「……セキタンザン?」

なんだか少しへそを曲げているように見える。マクワには思い当たる節は見つからない。

「ポオ」
「どうかしましたか」
「シュポオ」

そこでふと気が付いた。今、一瞬ではあるが自分はセキタンザンよりもメロンを優先していた。
さらにセキタンザンがメロンを温めさせてもらえなかったことさえも自覚しているのに、自分はなかったことにしようとしていたこと。
実の母であり、セキタンザンより遥かに弱い生命だから当然だと思ってしまったが、この僅かな機微は自分のバディであるセキタンザンにとって大きな差異になりかねないだろう。

「ああ……いえ……すみません、ぼくたちの……意地張りに巻き込んでしまって……。……ぼくは多分、羨ましいのです。……ひとつだけに打ち込んで真っ直ぐに進める母が……。だけどぼくはぼくの力で母をこえたくて……」

セキタンザンは今度こそと自分の身体に炎を集めて、石炭に火を灯す。じゅう、と音を立てて周辺を凍らせていたものが溶けて水に変わっていく。

「シュポー!」
「……そうです。温かいですね。ぼくにとってはこおりを打ち破る力でしたから……きっと母にとってはあまり喜ばしい物ではないと思います」

マクワは母の一気に場を凍らせてしまう力を思い出す。

「ですが! ぼくたちはここではチームです。いくら母のやり方があったとしても……やはりチームで勝てなければ意味がありません。きみのやり方は正しい。ぼくたちが目指すのはたくさんの方法を考え試すクレバーな戦いで、観客を魅了する物です」
「ボオ」
「これはぼくと……きみのセキタンザンのちからです。どこでも輝いていける。まだまだ輝かせていきたい」

マクワがひとつ言葉をくれる度に、セキタンザンの中にあったもやもやが晴れていく。
まるで魔法のようだ。メロンもそうだった。温めてはいけないという彼女が自分に掛けた魔法。
それが不気味でよくわからなくて、セキタンザンはなんだかメロンのことをずっともやもやして見ていたのだ。
正直、全部が全部晴れたわけではない。それでも今まで見えなかったものが見えるようになった。
セキタンザンは、それだけでも彼らとずっと共に居られると思った。

「シュポ!」
「うん。それではぼくたちも帰りましょう。知りたい事がたくさんありますから」

残雪を溶かしながらセキタンザンはマクワを先導し、進んでゆく。
艶やかに濡れた石面は淡い日暮れの空を映し出している。

I’m home

凍えるような冷たさが、記憶の中で確かな重みを増して、頬を一つずつ刺してゆく。

既に日は沈み、夜空を彩るパシオの星空の下、マクワはざくざくと白雪を踏みしめながら、人工的に造られた氷のエリアを歩いていた。
この場所は、母メロンのお気に入りの訓練スポットだ。
確かに思い出の中のキルクスの雪山の雰囲気に近く、傾斜が多くてとても簡単に歩みを進める事は出来ず、氷雪は食料を奪い、体温を根こそぎ攫って行く。
この環境下であれば、ポケモンと共に峻厳な鍛錬が行えることは、マクワにも想像が出来る。
パシオという他地方に来たメロンは、早速この場所を見つけてひたすらトレーニングを行っているのだという。全く、母らしいと思う。
喧嘩をしている現在は、なるべく顔を合わせないようにしている身だ。
本来ならば放っておくものだが、ルリナが今日は帰りが遅いと心配をしているのを耳にしてしまった。
同地方の大切な同僚の為、一時休戦して、長く訓練を続ける母親の様子を伺い、迎えに行くことにした。
氷の輝く洞窟を潜り抜けて、雪積の斜面を登れば、見晴らしの良い高い丘の上に辿り着いた。
低木は皆雪をかぶって白く染まり、真っ白な雪の中で、真っ白な母親が雪の上に座り込んで、荒くなった息を整えている。
辺りにはポケモンは全く見当たらず、一人で筋トレでもしていたのだろうか。
一筋、冷たい風が首筋を通って吹き抜けて行く。
大丈夫だ。マクワは大きく一呼吸をついてから、バディの入るモンスターボールをそっと撫で、もう一歩足を進めた。霜雪はじゃり、と高らかに音を立て、マクワの来訪を彼女の耳に届かせた。
白雪の長い髪の間から、大きなアイスブルーを細めて、薄桃に色づいた唇でにっこりと笑う。マクワはサングラスを指で持ち上げた。

「あら、一緒にトレーニングする気になったのかい?」
「……違いますよ。もうこんな時間です、ルリナさんやポケモンセンターの方も心配をされていました」
「おや、本当だ。……まったく、もう少しくらい一日の時間ってのは、長くならないもんかね」
「なりませんよ。さあ、行きましょう」
「そこは”帰りましょう”じゃなくて?」

ゆっくりと立ち上がり、近づいたメロンの細長い白磁の指先が、マクワの柔い手首を掴んでいる。
振りほどこうとしたが、意外なほど力強いその手は離れていかない。
仕方なく、そのまま後ろを向き、マクワは先導して歩くことにした。

「……行きますよ」
「ここの夜も星がたくさんで綺麗だねぇ」
「そうですね。キルクスで見る星とは種類も大きさも、全く違って見えます。とても新鮮で、良い経験です」
「そうでもないよ。あたしには良く見える」

マクワは思わず瞬きをして、無数の星々輝く深い寒空を見上げた。
パシオはキルクスのあるガラルとはかなり距離があり、遠く隔たりのある場所だ。
見える星の種類は違っていて、当然だった。

「……え、本当ですか? 一体どれが……」
「あんたの所にねがい星が降って来た日の空の星たちがよく見えるよ」
「何言って……」
「なーんてね、それじゃあ行こうか」

あれほど強く握られていたはずの手が、するりと糸のように解けて消えていく。
立ちすくむマクワの前を、何も言わずメロンが雪を滑るようにして歩む。

「母さん……!」

マクワにはわからない。
母が自分に何を求めているのか。
ただ、ひとつだけ確実なことは、あの反旗を翻した時から母の時間は進んでおらず、原因である自分を取り込もうとする。
今のマクワはただ、無理矢理巻き戻された時間を何とか引きずり戻して、後を追うだけで精いっぱいだった。