家を出て初めての夜のことだった。
部屋の電気を消してベッドの中に潜り込むと、マクワはそこでモンスターボールのスイッチを押した。光と共に現れたのは、タンドンの紅い瞳だった。ふわふわした不思議な場所に呼ばれたタンドンはきょろきょろと見まわしていた。
マクワが珍しくいたずらっぽい楽しそうな笑顔を浮かべているのを見て、ぱちぱちと瞬きをした。
「……ずっとやってみたかったのです。きみと一緒の布団で寝ること。キルクスは寒くて布団がいつも冷たいから……きみに温めて欲しくて」
マクワは布団から頭を出して横になる。うっすらと外が明るくなって、タンドンは入り口をようやく理解した。布団のトンネルの中、自分の持っている灯りだけが頼りだった。
しかしマクワがタンドンを私的な事で呼ぶことは珍しい。いつも呼ばれる時は訓練だったり、ポケモン勝負をする時だった。タンドンは嬉しくなってマクワに寄り添う。柔らかい手が、タンドンの頭を撫でた。
「ここならきみの色が付いてしまってもぼくが自分で洗えますからね……やっぱりタンドンは温かいな」
灰簾石の丸い瞳がタンドンの紅い光を受けてきらきら光っている。けれど安心したようにゆっくりと瞼の帳が降りていった。その光景を間近で見たタンドンは、自分の奥の熱がぐっと強まるのを感じた。
身体の奥底にある炎の揺らめきの形がはっきりとわかる。力を込めると、まだ幼いはずの火の力がごうと燃え始めた。
これならマクワをたくさん温めてあげられる。そう確信したタンドンはその熱を逃さぬように精いっぱいの力で維持した。そしてマクワの胸元で自分の瞳も閉じたのだった。
◆
タンドンは薄暗いふかふかの中で眼を覚ました。布団の中は一晩経ってもぽかぽかで、なんだか洞窟に居た頃を思い出して懐かしくなった。けれど今はマクワが隣に居る。
そう、真横にマクワがいた。彼の胸の奥で、何かがばくばくと音を立てていることに初めて気が付いた。これがマクワの「炎」なのだろうか。そう考えるととても心地の良いものに思えた。
少しだけ聞いた後、マクワの寝ている様子が気になって、布団から頭を出した。
枕に頭を乗せた少年は横向きに寝ていて、随分と汗をかいていた。眉根が顰められていて、随分と顔が赤い。タンドンは目を瞬きさせた。慌てて掛け布団のトンネルから飛び出して、マクワの枕元に立ち、とんとんと小さく身体をぶつけた。
何度か当てていると、瞑られていたあの灰簾石の目が自分を見た。しかし昨日の輝きとは違って、瞼も重そうだ。タンドンの心の中が心配の石ころでいっぱいになる。
「……タンドン? 時間ですか、ありがとう……」
タンドンは一生懸命横に身体を振った。マクワは額に零れた汗をぬぐった。
「……ぼく……? そうだ……なんだかだるくて……あつい……。でも大丈夫……ですから」
もう一度タンドンが否定を全身で現すと、掛け布団の端っこを身体に引っ掛けて思いきり畳んだ。突然外気に触れて、マクワは身体を小さくすくめていた。
「……涼しい……。ありがとうタンドン」
「ゴゴ!」
「……暖め過ぎてしまったかも……。ごめんタンドン、水……持ってきてくれますか? ペットボトルが戸棚にあるから……」
タンドンは頷くと、すぐにベッドから飛び降りた。そして飲食物のまとめられた戸棚を探すと、観音開きのウォールナットに身体をひっかけた。一番目の戸棚はシリアルやポケモンフーズでいっぱいだった。次の扉に未開封の飲み物が一式まとめられていた。
タンドンはそのうちのおいしいみずを一本取り出すと頭に乗せた。再びマクワの下へと走った。
ベッドは高さがあったが、気が付いたマクワが手を伸ばして受け取るのを確認した。上の寝間着を脱いで、シャツ一枚になっていた。
「ありがとう」
「ゴゴ?」
「……ほかにひつようなもの?」
マクワはボトルのキャップを開け、水をごくごくと飲み干していた。余程喉が渇いていたのか、あっという間に空っぽになってしまいそうだ。まだ水がいるのではないかとタンドンは考えた。
顔色から、マクワの体温がずっと上がっているのはタンドンにも理解が出来た。熱い時はいつも真っ赤になってしまう。近くにあった下敷きを使って、水を飲むトレーナーへとベッドの下からぱたぱたと風を送った。
すっかり中身のなくなったボトルがベッドサイドに置かれた。ふう、と大きなため息が降りた。
それからマクワの脚が伸びて、タンドンの目の前に居りてきた。マクワはベッドに座り、タンドンを見下ろしていた。まだ顔色は悪いが、さっきよりは随分と良くなっていた。
「おいしいみずを飲んだら大分らくになりました。ご迷惑をおかけしてすみません」
「ゴオ」
「……ごめんねタンドン。せっかく温かくしてくれたのに、きみの温かさについていけなかったようです。でも今度は大丈夫です。ぼくももっと身体を頑丈にしますから!」
「ゴオ!」
タンドンはまた慌てて首を振った。これは迷惑でもないし、マクワのせいじゃない。どう考えたって自分の調整の失敗だった。人間には自分と違う適切な温度があるのはわかっていた。わかっていたのに、つい張り切りすぎて見失ってしまったのだ。
マクワは自分と居るためなら何でも平気で耐えようとしてしまう。だからこそ、しっかり見極めて調整しなければいけなかった。
タンドンは車輪を転がし、マクワの脚に自分の頭を軽くぶつけた。
「……ま、まあそうですね。ぼくのバディになるくらいですから……これくらいはちゃんと理解していてもらわないといけませんね。でもきみが……ここまでの温度を維持できるとは思いませんでした。訓練の賜物でしょうか」
少年は足にすり寄る相棒を抱き寄せると、再び布団の上で寝転がった。タンドンと一緒に寝る時は、薄い掛け布団に変えるのも良いかもしれない。タンドンが畳んだ掛け布団に白い脚先を降ろした。
「まだちょっとだけ怠いから……もう少し一緒に寝てくれませんか」
「ゴゴゴ!」
石炭のポケモンは、再びあの灰簾石の瞳に幕が下りて行くところを見た。今度こそはこの帳の番をしっかり務めるのだ。もう次は同じ間違いはしない。
同じ場所に、同じものを置いていたい。そう祈り続けていることも、同じだと確信しているから。