冷たい風が足を撫でていった。
たったいまキルクススタジアムの中央で委員長が拍手をしていて、マクワは緊張しながら窓の掃除をしなきゃと掃除用具を探し、廊下を歩いているとショウのトロッゴンがばくばくと嬉しそうに食事をしていて、マクワの頬を赤い熱がぴたりと貼り付くように温めてくれていた。
向かい側ではサイトウが筋トレをしていたので、なんとなくその場を離れた方がよいような気になり、再び長い廊下を歩いていた。けれどもなぜか観葉植物の緑の隣にぽつんとコードレスの掃除機が立てかけてあって、マクワはそれを持ち上げるとスイッチを入れた。
ぎゅうんと大きな音とともに冷たい風が手を、頬を、足先を撫でてゆく。掃除機の回転に呼応するかのように空気はどんどん温度が下がる。
キルクスが寒いのは当たり前だとわかっていても、このままでは凍えてしまう。こおりに対抗する力が必要だ。
先ほどのトロッゴンの姿を思い出し、マクワは自分のモンスターボールを懐のなかで探すが、ボールはいつもホルダーに付けている。服の中にあるはずがない。ふと緩やかな明るさが目に飛び込んできた。体制を整えて、自分の頭上、棚に置いてあるモンスターボールをひとつ掴んだ。それからボールのスイッチを押した。
突然強い光が目に飛び込んだ。温かさを超えた熱さが身体を包み、木が酷く軋む声を上げた。
「……さむい……ん……!?」
「ゴ、オオ……?!」
見上げたマクワの顔に黒い小さな石片が降り注ぐ。じゅうと音を立て、焦げ付くような香りと、よく知った埃に近い石炭の香りが入り混じって鼻孔を擽っていく。
セキタンザンは自分に何が起きたかわからないのか狭いベッドの上で、眼をぱちくりさせていた。マクワだってわかっていなかった。記憶の繋ぎ合わせだった先ほどまでとは違い、はっきりとした細やかな実感がここにある。深夜帰宅してベッドに入り、就寝したことも思い出した。
燻る炎の温かさと冷たいキルクスの水っぽい空気の間に挟まれていた。薄暗い煙と焦げ臭さにようやく頭が覚醒を初めて、現状を理解し始めてきた。どうやら夢を見ていたらしい。
窓の外、カーテンの隙間から明るい光が朝を教えてくれている。マクワは慌てて身体を起こそうとした瞬間、想定重量を思い切りオーバーした木製のベッドが悲鳴を上げ、真ん中からガリと割れた。
「うわあっ」
「ゴオ!」
支えるものを失ったベッドは中央に傾くが、セキタンザンはすぐにマクワへと手を伸ばして引っ張り上げた。バディを腕の中に抱え、ぺたりと床に尻もちをつく。だがまだ難は終わっていない。ちりちり、ばちばちと何かが燃える音が響いている。部屋に充満する焦げた香りはどんどん増えて、部屋中を煙で埋めていく。マクワは原因を探して部屋中を見渡す。
何かが燃えていて火があるとするならば、この部屋に今可能にできるのはセキタンザンしかいないはず。見上げれば、背中の山のてっぺんで掛け布団が炎に包まれていた。
とてもあたたかい。いや、そんな場合ではない。
「ふ、ふとん……! セキタンザン、火事に……え、ええと……! そのまま外へ……いや、床に落とさないよう手で持つことは出来ますか?」
「ボボオ」
セキタンザンは頷くと自分の背中に乗った布団をゆっくりと頭の方へと降ろし、それから手に乗せた。
「両手で擦り合わせてなるべく火を消して……それからこっちに……!」
マクワは扉を開け、寝室から廊下に出てシャワールームへと向かった。湯舟の栓をするとシャワーを向け、水を溜める。セキタンザンもマクワの後に続き、大きな布団を小さく小さく潰した。
「中に布団を入れてください」
セキタンザンは言われた通りに焦げて真っ黒に染まった布団を水の入った湯舟に放り投げた。じゅう、と音を立てて白い煙がもくもく上がった。
さらにシャワーで水を浴びせると、赤い火はみるみるうちに姿を消していった。だがその分だけ家じゅうが煙でいっぱいになり、喉にいがいがするような違和感があった。
マクワは慌ててシャワールームの外へと出ると換気扇のスイッチをつける。それからほかの部屋の換気扇のスイッチも入れて、分厚い窓を全開にした。冷えた空気が籠った家の中を洗っていく。部屋を覆っていた煙が風に乗って外へと流れていくのが目でもはっきりと確認でき、焦げ臭さも一緒に逃げていくようだった。
ゆっくり歩いてリビングへと入ってきたセキタンザンに振り返り、マクワは頭を下げる。
「……とんだ目覚ましになってしまいました。おはようございます……」
「シュポォー」
「……きみは悪くないですよ。……これはぼくが……なぜこんな寝ぼけ方を……」
なんだかよく覚えていないが変な夢を見ていて、とにかく寒さを凌ぎたかったことだけは覚えていた。掛け布団を飛ばしてしまったのだろうか。
「ボオ!」
「……フフ、きみにこんなことで胸を張られてもなあ。……新しいベッドはきみとのっても平気なものにしようかな」
「シュポォ!」
「いつもは寝ません、狭いので。……でもたまにならよいですよ。今日みたいなことがあっては困りますしね」
「シュ ポォー!」
「朝ごはんにしましょうか」
マクワは窓を閉めると、ふと自分頭を振って髪の毛の先や寝間着の臭いを嗅いだ。ポリエステルを燃やしてしまった苦々しい臭いがたっぷり染み付いている。
「……その前に洗濯とシャワーだけはさせてください。……折れたベッドを片付けて……布団も新調しなくちゃいけないし……せっかくのオフなのに忙しくなりそうですね」
「ポオ」
「手伝ってくれる? フフ……それならいいか」
カーテンを開くと、窓の向こうの空はどこまでも青が広がり、温かな日差しに包まれていた。