の続き
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マクワが再び目を覚ました時、慣れたベッドの感触の中にあった。白い壁紙も見知ったもので、すぐに自室なのだと理解した。
閉したカーテンの向こうは、既に暗くなっている。まだ身体は重たくて、天井はぐるぐる回るし、時々ずきずきと頭痛はあるものの、日中よりは随分と良くなっていた。
あの後すぐにマクワは病院に運ばれて、ここはキルクスの町の中かと思うほど冷房の効いた真っ白な病室の中で長時間点滴を打ってもらった。医者や看護師の問いかけに答えたり、薬をもらい手当てを受けた光景が、朧げな記憶の中少しずつ蘇って来た。
マクワはふかふかの布団の中で体を横たえた。自分のくだらない不注意で、ポケモンにもたくさんのひとにも随分と迷惑を掛けてしまった。いまだって本当は寝ている場合なんかじゃない。次のファンイベントのための準備も進めなくてはいけないし、当然トレーニングだって穴をあければその分の負債が返ってくる。
しかしスマホロトムは明日以降のジムの予定に対しても既に連絡を入れてくれていた。
ふうと大きな息を吐き、マクワは少し身体を起こしてベッドサイドのモンスターボールを持ち上げた。
スイッチを押せば、強い輝きとともにちかちかと赤い炎をゆらめかせた相葉が姿を現した。
セキタンザンは黒曜石の眼でマクワを見ると、瞬きをして首を振った。それから背中の炎を弱めていく。日中のことを気にしてくれているのは、マクワにもよくよく分かった。
彼はとても気の付く優しいポケモンだった。
「きみにお礼と……それからお願いがありまして」
「ボオ」
「セキタンザンとロトムが迅速に対応してくれたおかげで……ぼくは即日退院ですみました……。本当に……ありがとうございます。助かりました」
「ぽお」
頭を下げるマクワにセキタンザンは少し不満げな声を上げた。その慇懃さは、バディの距離感にはあまり相応しくないんじゃないかと言いたかった。
マクワは気にせず、引き続いての頼みを伝える。
「それから……喉が渇きまして。むこうのテーブルのうえに置きっぱなしになっている水筒を取ってきてくれませんか。……もう手で水を汲んではダメです」
「シュオ!」
セキタンザンは頷き、寝室から出て、キッチンの近くのテーブルにどっしり置かれた大きなボトルを持ち上げた。巨大なボトルはセキタンザンも訓練の時、あるいは休憩の時によく見かけるものだった。トレーニングの時の人間の水分補給に必須の道具。
早朝マクワが用意をして、それから持っていくのを忘れてしまった物だ。
振ってみれば、中でちゃぷちゃぷと水が揺れて重心が動くのがセキタンザンにも伝わり、たっぷりと中身が入っていることが確認できた。再び部屋に戻り、ボトルのキャップを外し、マクワに手渡す。受け取ったマクワが口をつけて呷ると、白い喉仏が上下した。
しっかりと体に水分を入れて飲み干したのち、ボトルをベッドサイドに置いて、セキタンザンを見上げた。
再び横倒しになると、布団の隙間から手を伸ばして石炭の腕をとって引っ張る。ぺたぺたと黒くて太い指先まで触れていく。その触り方はなんだか珍しくて、セキタンザンは目を細めていた。
「……」
マクワは、まるで転がり込むようにして、自分の身体をセキタンザンの懐へと潜り込こませた。
バディは慌てて受け止め引っ張りあげる。右肩にマクワの頭が乗るように抱き上げて、その体を安定させてやった。
「……重い?」
セキタンザンは横に頭を振る。マクワは大きな肩に頭を擦り付ける。けして小さくはない。セキタンザンの巨躯の、1/3はあり、成人男性としても大柄なほうだ。しかしその体を縮こめるようにセキタンザンの片腕の中に収まった。
実際、普段訓練に使う器具のほうがマクワの何倍も重たかった。
「……くやしい。重いって感じて欲しい。体重また増やしたのに……」
「ポオ」
埃にも似た石炭の香りが鼻腔をたっぷりくすぐっていた。それはとてもやさしくて懐かしさを感じる香りだ。
理由はわからない。でもガラルのひとびとはずっと昔から石炭の世話になってきたのだ。特に寒冷地のキルクスでは、必須でもある。体のどこかで記憶していたとしてもおかしくはないだろう。マクワは心の底から安堵する。
「……痛くなかった?」
セキタンザンは昼間のことを逡巡する。痛くないと言えば嘘になるが、マクワのために行ったことはちっとも苦しいとは思わなかったし、つらくても平気だった。
なによりいつも戦っている身だ、多少の危険にも痛みにも慣れている。
今ここに無事居てくれていることが何よりも嬉しくて、セキタンザンにとって必要な答えだった。マクワは顔を埋めたまま言った。
「ごめんね」
ぼやけた瞳が、目の前の黒色以外を映してはいなかった。セキタンザンはこつんと頭を寄せて、小さく鳴いた。
「シュオー」
「いつもの……トレーニングのほうがきつい……? ふふ、まいったな……もちろん信じてる……信じてるけど……でも……。だからこそ必要以上なことは……」
深い水の中に入る訓練だってしたことがある。その時はマクワが入れと言い、そしてマクワも一緒に水に身を沈めた。
だから水中の足場が、セキタンザンにとっては非常に理解しがたく不可思議な動きをすることがあることは経験で知っていたし、転んで戻ってこれないような事故を起こさずに済んだ。
それはやはり普段からの特訓のたまものに違いない。
伝えてはみたが、マクワの顔は浮かないような、ふやけたようなままだった。
「ぼくはなんでもするのに……きみにしてほしくないなんてわがままだよね。
でも今日のきみをみてたら……本当に……」
マクワは何も言わず、ぴったりとしがみ付くようにセキタンザンの腕の中にいた。目を瞑って、何も言わずに、ただ石炭のなかで流動する熱に身体を委ねる。
ちから強く、優しいいのちがマクワを包んでいる。それは遠い大地の奥底の鼓動であり、何億年も前の植物たちが知っていた温かさでもあった。人は知る由もない。けれどこの星の上に生まれている以上、どこかで刻まれている古くからのつながりそのものだ。
そしてその石炭だけで体が構成された彼らは、本当に奇跡のような存在。その輝きは、独占されることなくほかのいのちに分け与えられたこともあった。
「きみにこうしてもらってるとすぐなおるきがする」
「シュポォ」
「ほんとうだよ。ぼくね……」
ふわふわとして気持ちが良くて、まだ完全に治りきっていない頭もうっすらと白い靄がかかったように重たくなった。ごつごつした引っ掛かる感触は、なんだか登山をしているような気持ちになる。緩やかで大きな体が描く丸い曲線は冷たさからほど遠く、ぽかぽかとして暖かい。
ここはとても温かさに満ちた、ほどけるように優しい場所だった。
「……いしをさがしにいこっか。さいきん……いしのことたくさん教えてもらったからきっときみにも見せてあげられるよ。みんな……ほかのちほうのいわつかいのひとは、みんないしがすきなんだって……すごくくわしくて……いいなあ……ぼくもいし、さがしてみたい。
でもまだぼくよりきみのほうがくわしいから、やっぱりひとりじゃダメで……」
ふとマクワの声が小さくなったことに気が付き、セキタンザンが顔を覗き込むと、その目は閉ざされて寝息が漏れていた。まるで子供のような幼い寝顔がここにあった。
願わくば、このたいせつないのちが長く安らかであってほしい。そのためなら、自分はきっとなんだってするだろうから。
もうしばらくだけバディの身体を抱きしめて、静謐な時間は移ろってゆく。