ゆびをふる大会は盛況のうちに幕を下ろした。パシオの主催、ライヤーの気まぐれに呼ばれて始まった企画だった。彼もエンターテイナーとして色んな企画立案をしている。その姿は良いお手本だった。
トゲピーとバディを組み、しかもたったひとつの、運に頼る技でのみ戦う経験なんて、ここに今居なければなかったかもしれない。
マクワにとって刺激的で、同時に新鮮な空気がすうっと胸の中を走り抜けて行くような心持だった。まだ大会の残り香は自分の中にたっぷり残っていて、わくわくするような高揚した気持ちが消えなかった。
名残惜しいがトゲピーは借りているポケモンだ、返さなければいけなかった。そして普段共にしているバディが戻って来る。
正直、結構いいコンビだったのではないかとマクワは思っている。自分がゆびをふるポーズをしてみせると、真似をするようにトゲピーが指を振ってくれる。
それだけで観客はどっと沸いた。スマホロトムが写真を撮る電子音も高らかに響いていた。
折角だ、これをいつもバディを組んでいるセキタンザンにも見てもらいたい。
どんな顔をするだろうか。ひょっとしたら、余りの似合いっぷりにセキタンザンも羨ましく思うかもしれない。
普段大らかでのんびりした彼の気質だ、新しい顔を覗けたらきっと楽しい。
マクワはトゲピーと共に宛がわれた自分の控室に行くと、ロッカーの中に置かれたモンスターボールを手に取る。
中から出てきたのは、お馴染みの大きな石炭の相棒。笑いながらごお、と吼えた。
トゲピーを片手で抱いたまま、マクワは右の人差し指を立てて横に動かしながら片目を瞑った。バディの顔を見上げていたトゲピーは、そのしぐさを見て同じように指を振ってみせた。
「セキタンザン、見てください。ぼくたち決まっているでしょう?」
「シュ ボォー!」
セキタンザンはにこにこ笑って頷いた。イベントの楽し気な気配は、まだセキタンザンにも降り注いだ。
けれど、マクワは何故か自分の心に少しばかり影が帯びた事を読み取った。
確かに、いいコンビだと認めてくれたのは嬉しい。だけど、もう一歩欲しいと思っていた反応ではなかった。
浮かれて求めるものではなかったのだ。伸ばした指を顔に向けて、サングラスをずらした。
「……ふふ、ありがとうございます。それではトゲピー、寂しいですがお別れです。いつかまたぼくとバディを組んでくださいね」
「ピィ!」
片手を上げたトゲピーに、モンスターボールを向ければもう反対の手の重みがすうっと消えていった。ボールの中に納まったトゲピーを、ポケモンセンターに渡すのだった。
◆
ポケモンセンターには、パシオで生活するトレーナーとポケモン用の宿泊施設がある。マクワも一室に間借りをしていた。ボールから出したままセキタンザンも一緒に休めるよう、十分な広さと設備がある。
扉を開けると、日当たりの良さから昼間の温かい熱気がじんわりと籠っていた。常に体温調整をしてくれるとはいえ、セキタンザンも隣に居る。
そして寒冷地育ちのマクワは暑いのが苦手だった。荷物を降ろすとすぐに窓の鍵を開け、分厚い硝子戸を押し開けた。
すう、と穏やかな夜の静けさが風に乗って、部屋の中の温度を持ち運んで行く。過ごすにはちょうどいい気温だった。
「シュ ポォー!」
マクワが振り向くと、すぐ横でセキタンザンが夜空を見上げていた。
「気持ちいい夜ですね。星もよく見えます。……さすがにキルクスは見えませんが」
「ボオ」
「……え、昼間の事……謝りたいのですか。あ、あれは忘れてください」
まさかの話題に咽喉につっかえたものを感じ、小さく咳払いをした。マクワにとって恥ずかしさを伴う記憶だった。まさかセキタンザンから謝られるとも思っていなかった。
「わかっています。きみがぼくのことを信頼してくれているのは」
「シュポォ」
「悔しいですがきみのほうがずっと正しい……だからぼくはきみと良いバディだと思えるのです。きみが教えてくれることはたくさんありますからね」
「ボォ」
「……だからぼくはまた間違えたいと思います」
「シュポォ?」
マクワは窓から離れると、部屋の奥に聳える立派なマホガニーの棚の引き出しを開けた。ごそごそと奥に手を伸ばすと、何かを取り出して再びセキタンザンの前に戻った。
それは何処かで見覚えのあるカラフルな缶だった。丸形や四角型のものが複数抱えられている。
しかしセキタンザンはどこで見たのかを思い出せなかった。
「……一緒に店の前を通った時、きみが欲しそうにしていたものですよ。ついつい買ってしまって……気が付いたらこんなに溜まってしまっていました。でも普段食事は規定のものとしています。……ですからなかなか渡せなくて……」
「シュポォ!」
セキタンザンは再び笑った。彼が自分の事をいつだって一番に思ってくれているのは知っていた。
ここにあるものは何よりの証拠だ。
マクワは机の上に缶を置き、綺麗に並べた。
「……どれから食べたいですか?」
「……ボオ!」
「ええっ、どれでもいいは反則ですよ。……でもセキタンザンがそう言うなら……これにしましょうか」
それは試食もあり、セキタンザンがいっとう欲しそうにじっと長く見つめていたもの。人間も同じものが食べられるクッキーだった。本人は覚えていないかもしれないが、すべてマクワは記憶していた。
蓋を開け、中の袋を破ると香ばしさがいっぱいに漂った。マクワは摘まんで複数持ち上げると、そのうちの半分をセキタンザンに渡した。
「今日はお祭りでしたからね。無礼講、というやつです」
「シュポォー!」
「ん、おいしい。……きみもゆびをふるが使えたらな」
「ボオ」
マクワがぽつりとつぶやくと、セキタンザンが呆れた顔をした。わさわざ他の誰かが居なくても、自分のバディはこうしていろんな顔を見せてくれるのだ。
欲張った自分の気持ちごと、クッキーを一つまみ齧る。軽快な音を立てて、割れたクッキーはどんどんと小さくなっていく。
「冗談……です。あれはトゲピーとだから出来たことですからね。きみにはもっと相応しい魅せ方があります。……でも面白いだろうな。ゆびをふるセキタンザンか……」
「ボー!」
「ふふ、やっぱりきみはきみのままが一番ですよ」
割れたクッキーと同じ形をした月が、窓枠を越えて2人を優しく見下ろしていた。