息なんてできなくて当然だった。
今日のテストは満点を取った。大会で優勝をした。ポケモンを進化させることが出来た。
夢を見なかった。貰った本を10周読んだ。街の外周を10周ほど目標タイムで走った。
ひとりで野生のポケモンを捕まえた。予習復習を10周繰り返した。問題集もドリルも10周繰り返した。委員会を務めて賞をもらった。先生に褒められた。レポートを真っ黒に埋め尽くした。
つくって、つくった。零度以下になれるため冷凍庫で寝泊まりした。外から開けることは出来ない扉を自分で閉じた。世界を白く塗りつぶした。
そうして生まれて出てきたときから、歩み続けるぼくがぼくで、ぼくだった。
当然だった。少しでも眠っていたい。冷え切った心房の合間をぬって、切り拓いて真っ赤な雫が夕日のように滲んだ。ちょっとだけ深く手を刺しこんだら、温かさの受け皿になれるような気がした。
氷の茨がするすると伸びていくのを、歯を食いしばって見つめている。ぽたぽたとこぼれる水。
繭になってぼくを守るもの。
きっと明日には■■■■になれる夢を見てまた目を瞑る。温かい風が頬を撫でていく。
「アンタらしく」
ぼくを見つめるのは澄み切った湖のような大きな瞳。そこに映る小さな白いぼく。ぼくはぼくらしくあればいい。それでいい。
そうして進む道は、踏み固められた足跡のうえ。大きさの違う靴のうら、足の形。
たまには白い雪を踏んで、その感触を確かめてみたい。均等に並ぶ足跡を、ばらばらに変えて、どうやって歩いたかわからなくしてみたい。ちょっと面白いリズムを刻んでみたい。好奇心。まばゆさ。
伸ばした足は優しく掴まれてもとの場所に戻された。転ぶといけないからと、誰かが歩いた道の上をゆくのだと。ぼくは、ぼくは。
ぼくはその腕を払いのけようとするが、どうしても離れていかない。離すことが出来ない。
結局大きな足跡の上に、乗るように、飛び越えるように進んでいく。きれいごと。
笑顔。かがやき。なぜだろう。息が苦しい。呼吸が止まりそうだった。
ああ、息の仕方さえわからなくなってきた。同じスピード、同じ回数で、感覚で、同じ寮で、酸素を吸いこんで、息をしなければ、きっとぼくは『転んでしまう』から。
ひとりのぼくは転んでしまう。転んでしまったら、ぼくは。ぼくは? 許されない?
この丸い指はいつかあのつららのようにすらりと白く伸びていくのだろうか。誰も彼もぼくが■■■■になることだけを見ている。嘘と本当の境界線。白。
ぼくはただこの期待を背負っていた。この山を登っていくさきには、きっとうつくしいこおりのすがたがまっている。
でも、もしそれがこなかったら。ぼくがぼくのままだったら。
ぼくは『何者』でもなくなる。『何者』にもなれないままだ。
ふつふつと湧き上がるもの。いらないもの。ゆめのないもの。
それでも。それでも良いのだと、母がぼくを見る。ぼくは映る。蒼く澄み切った美しい眼差しのなかに囚われて、ぼくは自分が溶けていく姿を見た。
「マクワのままでいいんだよ」
誰だって喜ぶ温かい言葉だ。素晴らしい言葉だ。知っている。知っているぼくは感謝と再度肯定を述べるのだ。ああ固まるような重たさだけが確かにある。化石になった母の足音。
わく。■■のオリ。結局ぼくはただ、安堵。
誰かに指示されたわけでもなく、ぼく自身で白い部屋に入ることに決めた。
テストを100点取って当然にしたのも、先生の役に立とうとしたのも、結局ぼく自身がしたかっただけ。でもね、それなのに。
ぼくはね。ただ。ただ。
激しいほのおが燻りさんざめく冬のおわり、さらう波の音。
ときにちょっぴり褒めてほしいだけで。