まるで頭だけがいわに代わった重さのような、鈍くどんよりしたような、嫌な感覚は仕事の終わりごろから既に始まっていた。
パッドで日誌を書いている最中には、画面の光を帯びた明るい色が瞼の裏に焼き付くような感覚があった。
幸い痛みが始まったのは片付けも終わり、スタジアムを出て一日の締めの訓練へ移動し始めた時だった。
今日は日中に試合があった。自分たちの課題もはっきりと見えてる分、同日中に少しでも特訓を始めたい。
だがしかし、移動用に呼び寄せた浮遊するアーマーガアタクシーの中、座り心地のいい皮の椅子に沈み込むような感覚になる。なんだか瞼も重たくて、後頭部のほうがずきずきとした痛みを主張し始めた。
それからあっという間に酷い痛みがマクワの頭の中を埋め尽くし、アーマーガアの羽音さえも煩くて仕方がない。
眉間にしわを寄せるとほんの少しだけ楽になるような気はするが、他人に見せるような顔ではない。着替えてきてしまい、今サングラスをしていないことが悔やまれる。
身体を持たれ掛けさせた窓はひんやりして気持ちいいが、座っているのも億劫だった。ふとミラー越しにタクシーの運転手が言う。
「……顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」
「え、ええ。これくらい……トレーニングすれば治ります」
「……そうですか? すぐ病院にも行けますが……」
「だいじょうぶです。……予定の場所に降ろしてください」
「わかりました」
そうして降りたのは、キルクス郊外の山に作られた広場だった。日暮れの空気は澄み切っていて、息の白さがひと際はっきりと見えた。ひとが整備したこの場所は、きれいに草木が並べられ、草の香りよりも砂や岩っぽい香りが鼻を擽った。
まだ新しく作られたばかりの簡易のトレーニング器具や遊具があり、自然公園として時には野生のポケモンたちも利用する。
最後までマクワの心配をしていた運転手は少しでも楽になるようにとドリンク剤を渡し、再びアーマーガアとともに飛んで行った。
自分の体調のことだからと強がってしまった。マクワは改めて猛烈に後悔していた。頭痛はどんどんひどくなり、動けば動くほどマクワを苛む。これはトレーニングどころではない。
舗装された道に置かれた背もたれのある木製のベンチには誰もいなかった。重たいからだを引っ張って、マクワはそこに座り込む。ぐるぐると光が回る瞼を閉じる。自分の冷えた手を額に当てるとほんの少しだけ痛みが治まって気持ちがいい。
もらったドリンク剤では大した力はないだろうが、それでも何か少しでも楽になれるものがほしくて瓶のキャップを開け、喉を通した。
「……いわ……」
誰かが言っていたことを思い出す。『いわはひんやりしていて気持ちがいい』
激しい痛みを伴う頭では仔細までは探せないが、おそらくキルクスの人ではなかったはずだ。
マクワは懐からモンスターボールをひとつ取り出すと、背もたれに凭れかかったままそれを投げた。
冷えた空気がふわりと優しい温かさに包まれ、ちかちかと光が揺れていた。トレーニングをする気でいっぱいのセキタンザンが、ベンチで消沈するバディを見下ろして目をぱちくりさせた。
「シュ ポォー!?」
「……すみません、今日は……トレーニング中止です。……頭痛が酷くて……動けそうにありません」
「ボオ!」
「これはおそらく……風邪等ではなく……。セキタンザン、横に来てくれませんか」
「シュポォー」
黒い頭を頷かせると、セキタンザンはとうとうベンチに寝転び始めたマクワのすぐ横に立つ。マクワの白い手がセキタンザンの腕を取り、その額に当てた。
「……きみもいわだから……ひんやり……。ひんやり……?」
「ボオ??」
セキタンザンは知っている。自分はひとにとって、いやおおよその他の命たちにとってはとても温かく、燃えるものだ。ひんやり、つまり冷たさとは程遠い物。
マクワ自身もそのことを理解していて、自分をバディにしているはずなのだ。
「フフ……せきたんざん……。きみは……」
緩やかに淀んだ菫色の瞳がぼんやりとしたまま閉じられていく。セキタンザンが見ても普段の顔色とは違っていて、眉間の皺がいっとう深く刻まれていた。楽になっていないのは明らかだった。
「だいじょうぶ……。ぼくはきみがいれば……すぐなおるから……」
「ボオオ」
マクワに今必要なのは、冷たさだ。いわのひんやりを欲しがっているのなら、自分よりも適任が居ることをセキタンザンは知っていた。
なるべく自分の炎の火力を抑え込みながら場所を移動すると、大きな石炭の指でマクワの懐からモンスターボールを探った。そしてバディの真似をして投げる。
出てきたのはガメノデスだった。彼もこれからトレーニングだと思っていたのだろう。ベンチに寝転がるマクワを見ていつもの構えを解き、セキタンザンを見た。
「ボオ」
ガメノデスはすぐに頷く。セキタンザンより随分と賢い彼は簡単な説明で瞬時に理解を示し、眼が付いた掌をマクワの額に当てた。
水の中でも適応できるいわの温度は、仲間の中でもいっとう低くなることをセキタンザンも知っていた。
「あう……冷たい……」
閉じられた瞼の力が抜けて深い眉間の皺が安らぐ。それをみたセキタンザンも同じく安堵の息を吐き、離れた場所で再び背中の炎を燃やし、辺り一帯を温める。
そうして空の星の数が増え始めた経ったころ、マクワが再び目を開け、体を起こした。
「……ありがとうございます、ふたりとも。ようやく少し楽になりました。ここからそれほど遠くありませんから、今日はもう帰って休むことにします。明日の業務に支障がでては困りますからね」
「シュウウ」
「片頭痛みたいで……心配おかけしました」
コートの懐に手を入れてモンスターボールを探ったが、すぐにマクワはふたりを見直す。
「……お礼ではありませんが。その……このまま一緒に……帰りましょうか」
「シュ ポォー!」
ガメノデスもにっこりと笑みを浮かべて頷いた。
閑静な道の中に3種の足音ばかりが奏でる音色をいつまでも聞きながら。
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2024.6