くだもの

高らかな笛の音が、緑覆う丘の上に響きわたった。セキタンザンは持ち上げた石を砕いて、荒い息を整えながら振り返る。身体が揺れて、火の粉とともに煤が舞う。日は沈みつつあり、最初の星が瞬き始めた。
「お疲れ様でした、これで……長かった訓練メニューは終了です」
「ゴオー」
「……セキタンザン?」
「シュポォー!」
「……さすがのきみも疲れましたか。夜はゆっくり休みましょう」
「ボオ!」
次のシーズンに向けての集中的なトレーニングはようやく終わりを迎えた。休息はもちろんとっていたとはいえ、1週間まるまるキャンプをしながらひたすら体力作りから技の精度向上まで、動き詰めだった。
マクワは、特に技の精度に関しては非常に厳しい。たった数ミリのほんのわずかなブレを見逃さず、的確に指示し、時には叱り飛ばす。ほめられることは滅多にない。
その中心にいたのがセキタンザンだ。疲弊していてもなんらおかしくはない。互いに理解していることだった。
マクワは早速夕飯のカレー用に、鞄の中からきのみを取り出し、並べている
人間の柔らかな手が一つずつ皮を剥き、火の通りやすいサイズに切り分ける。
目の前にころんと転がる一つの大きな赤いきのみから、柔らかな芳香を感じる。色艶はよく、わずかばかりの光の中でも輝いて見える。ぐんと体が引き寄せられる。
まるで惹かれるように手が伸びていって、そのままひとつざくりと頬張った。まな板を見ていたマクワがセキタンザンに頭を向けた。バディははっと気が付く。
これは今から調理用に使うきのみだ。今ここで自分が食べていいものではない。
俯いたサングラスが光を受ける。
「セキタンザン……」
「……しゅぼ!!」
セキタンザンは慌ててきのみを取り落とし、大きな身体を縮こませる。
カラーグラス越しの丸い瞳はじっとセキタンザンを見つめた。そうしてマクワもひとつ桃色の柔らかいきのみをとり、そのまま齧った。しゃくしゃくと音がする。
「……たまにはそのままでも美味しいですね」
「ボボッ?!」
きのみをそのまま食べるマクワなんて、正直ほとんど見たことがない。変な声が漏れた。
「どうしてそんなに驚くのですか。きみが理由なく無作為な行動に出ることはないのは、ぼくが1番理解しているつもりですよ。……これでも」
「シュポォー」
「まだきのみも材料もありますから問題ありません。……お腹空いていたのですね」
「ポオ」
セキタンザンは自分でも行動の原因があまりよくわかっていなかった。ただ目の前にきのみが出てきて、とてもとても魅力的で、食べなくちゃいけないと体が動いたのは確かだった。
ただ、一緒に食べるきのみはおいしかった。ふうと身体の力が一気に抜けて、その場に座り込む。
ぼこぼこと音がして、背中の石がいくつも転がり落ちる。周囲の温度が一気にあがる。
足元の草に炎が点き、メラメラと燃え盛る。
「けほっ……セキタンザン……?!」
「ぽぽお?!」
再び驚愕の表情を浮かべたのは、セキタンザン本人だった。
自身の身体のことなのに、どうにもうまく調整ができない。身体の力が抜けきってしまったのだろうか、立ち上がることもできない。いつもならば当然のごとく行っていたはずのことだ。
空気がかなり高温になっているのか、ただ一緒にいるはずのマクワの顔が赤くなり、だらだらと汗が流れている。ヨロイ島にいるときと、いやそれ以上かもしれない。
「ゴゴオオオ……」
唸るような、地響きのような声が辺りに響く。マクワはモンスターボールをひとつとりだし、中からガメノデスを呼び出した。
「ガメノデス、周囲の消火をお願いします」
多眼の彼は小さくうなずくと、すぐにその両手や顔から水を吐き出し、炎にあてる。じゅうと白い煙が上がり、だんだんと赤い炎が小さくなる。辺りに焦げつくような臭いが一気に広がった。
バディは燃え滾る大地の中を歩きながら、ゆっくりとセキタンザンに近づき、それから後ろに小さな携帯用の台を置くと、トングで背中の石炭の山を探り出す。
「だいじょうぶですよ。きみはいつもやってきていることです。落ち着いて。まずはゆっくりと……息をするのです。そう、よいですよ」
「ボゴゴゴ……」
セキタンザンからは、自分の背中がどうなっているのかはわからない。ただ何かが動く感覚があり、体の中にすっと空気が入り込み、息がしやすくなっている心地はあった。
「……すみません。きみの体調はぼくが誰より気を付けるべきなのに……。体力オーバーのメニューを実行させてしまったようですね。……本当にごめん」
「ゴオー」
それは違うと言いたかった。マクワが厳格な指導者であることも、彼の高い理想からくるものだということもよく知っている。
セキタンザンはそれを理解し、だからこそ一緒に居て、その願いをかなえたいとも思う。
同時により強く猛々しいものでありたくて、ポケモンならだれでも持っている、本能的なものでもある。
それゆえに、心身の箍が外れるまで気づかぬまま無茶をしてしまったのは自分だった。
少しずつ身体の身体がはっきりしてくる。ふわふわのとろとろで崩れ落ちてしまいそうなものが、背中にぴたりとくっついているのがわかり始めた。
今までとは違う温度がふつふつと燃え上がり、そしてそれをセキタンザンはしっかりと掴み取り、握りしめる。
立ち上がると、ガメノデスの掛けていたみずでっぽうが腹に当たりそうになった。互いに訓練してきている者同士、みずでっぽうは横にはずれ、セキタンザンはなんとか避けながら立った。

「シュポっ……ボボォー!」

両手から水を出していた彼はすぐに周辺の鎮火に勤しむ。セキタンザンも岩を作ると、手助けをしようとした。

「あ、まって! 急に動いては……ダメです」

どうやらマクワの持っていたトングがまだ自分の背中に向けられていらしい。ばらばらと石炭がこぼれて落ちていく。

「……それだけ元気があるのなら、もうだいじょうぶでしょう。やはり今日はしっかり休みましょうね」

金具がぶつかる音がして、マクワがはしごのような台――脚立というらしい――を片付けているのがわかる。草を燃やしていた炎は、すべて黒い焦げと煙になって姿を消していた。

「本当に……よかった」

柔らかい息とともにこぼれた言葉に、セキタンザンはぐるりと振り返ると、大きな両腕で返事をした。