ぴ、と音を立てて、形が捩れた。大きな亀裂が一瞬で走り抜けていき、ふたつに分つ。パキン。
5つの細長い筒状のものがひらぺったい広がりから生えていて、さらにふとくて長いものがまるで石英のように伸びている。ひとが手と呼ぶもの。セキタンザンに進化したばかりの俺は、ようやく似たものを手に入れて、お揃いになったのだと嬉しかったことは今も鮮明に覚えている。
マクワはそいつを持ち上げる。人間にしては大きく丸いが、小さい左手の人差し指と親指で摘み、力をかけると容易く外れる。今の今まで右手の薬指の、上からふたつ目の関節までの部分だ。
抜けるような肌色は姿を失い、光を白で反射するだけの透明な硬く細長い鉱物となった。
訓練中の山の中で見た覚えがあったし、マクワにも教えてもらったことがある。あれは人間が水晶と名付けたものだろう。
つい先程まで薬指が伸びていたはずの場所はぱくりと綺麗な断面のままで、辺りの光を反射しては波を打つように光を放っていた。
「セキタンザン」
その水晶になってしまった指を俺の前に差し出した。サングラスは傾いていて表情は窺えない。
でも俺は想像することができる。その行動の意味を推しはかることが出来る。
俺は口を開け、投げ入れられたそれを受けとめる。
反射的に口内の温度が上がり、長石がコロコロと転がる。すうっと溶けていき、柔らかくて香ばしい香りがいっぱいに広がったかと思うと、奥の方へと抜けていく。
思わずぎゅうと上顎で噛み締めて、それからぐるぐると口の中のでその味を確かめると、あっという間に消えてしまった。
俺はマクワへとにっこり笑いかけ、そのまま近寄り始めた足に力を込めその場でぎゅっと止めた。
「遠慮はせずとも良いですよ。まだありますから」
柔らかい口角がぐんと大きな弧を描く。マクワはまるでトレーニングの準備体操でもするかのように、両腕を上げ、手のひらを上に向けた。今度は1番長い指にグッと力を込め、付け根からぱきりと外してしまった。
スムーズな動きに目を丸くしていたら、たった今まで指だったはずのそれを口に差し込まれてしまい、俺はつい奥に入れてしまいそうになる。なんとか咥えるだけに抑え、小さく首を振った。
熱を受けてほんのり柔らかくなった鉱石から、ふんわりと甘さと苦さの入り混じった香りが立ち上ってくる。口腔の温度が上がって、身体中がまるでキョダイマックスした時のように燃え滾っていくのが分かる。マグマの波が身体の奥でうねり、ぐるんと頭をもたげる。もうひとつ大きな海が満ち溢れて大波に変わった。俺はそれをいなすために、その場で吼えた。ぱらぱらと背中の石炭が落ちていく。
「フレアドライブ。目標は30m先着陸でお願いします」
マクワが一歩下がったのを視界の横で確かめた。いつもなら力を込めて身体中の焔を集める必要があるが、今はまるで焚火の上澄みを集めるようなものだ。
火炎は一瞬で石炭の山を呑み込み、燃える弾丸と化した俺は足を曲げて跳躍する。驚くほど身体が軽い。地上にいるマクワがいつも以上に小さく見えた。勢いを殺さぬよう瞬時に着地点を見定めて、一気に降りる。硬い白い床が俺の身体を受け止めて、少しだけ痛みがあった。
「まだまだ課題はありますが……素晴らしいスピードでした。これを」
「シュポオ」
駆け寄って来たマクワが差し出したのは、切り離されて光に輝く彼の腕の形をした透明な鉱石だった。見ればマクワの右胸から右腕がきれいさっぱり無くなっていた。
「しかしダメージの回復には……あられの鳴き声……この量が必要です。それにまた戻ります」
彼が言う通り、切り離された右腕にはきっかり5本の指の形がある。俺は瞬きをした後、それを口にしてしまう。口にしたくない気持ちは強いのに、どうしても食べなくてはいけない。
マクワは鞄も道具も持っていない。これを食べなければ、傷が癒えない。マクワはまだ残る方の腕で俺の頭を撫でた。
ばきり、今度は左の膝から下の足を割り取った。大きな結晶が透けてマクワの灰簾石の眼を見せていた。俺は首を横に振った。
「ゴオオ……」
「凌駕……です。権威のコナトゥスは褐炭より来る煌めきの……先にある程の」
「シュポォ……!」
何を言っているかわからない。なのに伝わる響きがあった。
俺は一目散に背を向けて走り出す。白い床を蹴り、大切な人から離れる。マクワを守る為だ。このままではマクワは更に自分の身体を差し出して、俺の隣からいなくなってしまうだろう。
なにより避けたいことだ。走る。走る。遠くへ。遠くへ。何処でもいい。
とにかく今はこの場から逃げて、マクワと共にもう一度戦いの場所へと向かうために。
食べてはいけない。食べてはいけない。だけど、食べなければいけない。
気が付けば俺の手はマクワから受け取って、口は大きく開けている。
あっという間に平らげてしまったが、マクワはこちらを見て笑っていた。
さらに腕を、足をぱきぽきと砕いて割って、俺に差し出す。俺は抗えない。なぜだ。なぜなんだ。
どうしてマクワは、この状態で笑っているのか。
「ゴオ」
「いわの輝きが……あるから」
「シュポオ」
「金のランタンはむかしむかし雪山のオニゴオリに……無数のかえんほうしゃ、俗物的な足音白い」
とうとうマクワは頭だけになって俺の手の上に乗っている。色のないうつくしい石の、静けさの始まり。遠くの調べ。コナトゥス。ああ、そうか。今ならわかるのかもしれない。
バディの本当の望み、真っ暗闇の裏側から見降ろす景色。知り得なかった事。知らなければいけなかった事。ようやくその時が来たのか。
「透明、無色、赤に黒……もしぼくが本当に鉱物なら。……一番ふさわしいのは……」
もう灰簾石には映らない。呑み込まれていく。拡大する抽象性。褐炭から来る煌めき。雪山のオニゴオリと金のランタン。俗物的な白い足音。かえんほうしゃ。白白白白白。
俺は口の中に、まるまる大きなその頭を放り込む。喉の奥で音が聞こえる。
ぴ、と音を立てて、形が捩れた。大きな亀裂が一瞬で走り抜けていき、ふたつに分つ。パキン。