あぶくが空へと浮かんでいく。
結果が悪い。トーナメントに並ぶ名前の横には敗退の印が並んでいた。
スポンサーや委員長は焦らなくていいと言うものの、その双眸には閉じ込めた言葉がうっすらと浮かんでいて、真綿で首を締めるようにマクワの頭の中に纏わりついてくる。
そして何より自分たちの威信を今に知らしめたい観衆たちからは、心のない文言が自分の名前の隣で磔にされていく。杭を打ち込むように、茨の冠を被せるように、あるいは鞭を100回打つように、精神が乾いた丘の上に登らされていった。
このままではメジャーリーグから追いやられ、マイナーリーグという苦境に立たされることとなるのはもう目に見えていた。母親から生き勇んで独立した身だ、今実績を築き上げて周囲からの信頼を勝ち得ることは可及的速やかに必要なことだった。
失敗をすればこの胸からスポンサーのロゴを失って、空白の中でジムのトレーナーたちやポケモンたちの面倒を見なければならなくなる。ひともポケモンも、霞を食べて生きていくことはできない。なにより磨き続けたいわの輝きが曇ってしまっては、元も子もないのだ。
とにかく一刻も早く結果を出さなくてはいけない。あらゆる努力を、手を尽くさなくては。
◆
青空の下、とりポケモンの鳴き声が耳に響く。蒸し暑いヨロイ島は、今日も眩しいほどの強烈な快晴で、湿度と温度の高い環境に適したポケモンたちが闊歩していた。
「何度言ったらわかるのです!? 今はまだ落とすべきではありません! もう一度!」
「ゴオオ……!」
マクワの叱咤に気圧されながら、セキタンザンは体に力を籠める。どごお、と音を立てて大きな石が地表から現れ、宙に浮かんだ。
「ではカウントしますよ。1、2、3……」
見えざる力によって空を飛ぶ巨石は、マクワのカウントに合わせて3mほど上にあがり、また同じ程度下がることを繰り返す。
いわタイプのポケモンにとって、自然の中で生まれるいわを操るワザは基本中の基本だ。これがうまくできない限り、あらゆるワザを扱えないことと同じ。
基礎の力をはぐくむことで、彼らのワザの精度をさらに高める特訓だった。
しかしカウントが進めば進むほど、いわの動くスピードが落ちていく。集中力が切れかかってしまう証拠だった。マクワは再び叫ぶ。
「目標より0.3mmほど下がっています! カウントやりなおし!」
「グ、オ」
なんとか100カウントまでの声が当たりに轟き、岩はばらばらと地に落ちて砕けた。セキタンザンは全身に込めていた力を抜き、ふらふらとその場に座り込んだ。
「お疲れさまでした」
「ボオ……」
「これを……どうぞ」
マクワがカバンの中から取り出したのは、ひとつの茶色い小瓶だった。ラベルは何も貼られていないが、蓋を外して揺らせば、奥から沸き上がった泡がはじけて、中の液体はしっかりと重たさを主張していた。
「……ぼくが独自に研究チームを雇い、作りました。きみ専用の特別なものです。
これがあれば、きみはきみのまま強くなれます。きみの輝きを保ったまま……ぼくたちがいま勝つために最も必要なもの……」
しかし大至急用意したもので、まだ副作用や安全性を保証するようなデータは完全に取り切れていない。それを口にすることはできなかった。
青い瞳がじっと瓶を見つめていた。セキタンザンは一度だけ瞬きをすると、すぐにそれを受け取った。鼻腔を擽るのは、たしかにハーブを煮詰めたような渋い薬品の香りで、少し眉根をひそめた。
しかしその小瓶を片手で持ち上げると、すぐに口元へと運んでいく。
「……! 待ってくださいっ」
バディは走り寄ると、瓶を持った太い腕に、しがみついて押しとどめた。
「や……やっぱりこれは……きみとぼくには必要ありません」
「ボオ?」
セキタンザンの目元は弧を描いていた。にこにこ笑っている。彼は、ポケモンであり、バディであり、トレーナーのいうことを素直に聞いてしまう存在だった。
ふと遠い昔、母親に自分のバディを譲りたいのだと話を聞いたときのことを思い出した。
その時も、ラプラスは母の後ろでほほ笑んでいた。マクワは無理やり小瓶を引っ張って奪い取ると、すぐに蓋をした。
「……ごめん……ごめんなさい……。ぼくはスタイルの押し付けなんてしたくない……したくないはずなのに……ぼくはきみに無理を強いて……こんなものまで……」
「シュ ポォー」
「きみはぼくじゃない。母に反論できるぼくとは違って……ほんとうに素直なのに。ぼくは母の……母のままで……」
「ボオ」
「……でもぼくだから……ここまで来れた?」
黒い大きな頭が肯首した。そして伝える。
もともと戦うことがそれほど得意じゃなかった。けれど戦い方を教えて、ここまで導いてくれたのはマクワ他ならない。マクワ以外だったらきっとこんなに強くなれていない。
だからずっと信じているのだと。
「……正直……家を出たというのに母から教わったものばかりで……ずっと逃れられない呪縛のようなものでしたが……きみの力になれているなら……」
「シュポォ」
「いつか……きみの祝福になれるでしょうか」
「シュ ポォー!」
マクワは荷物から、ミックスオレのボトルを2本取り出すと、片方をセキタンザンに渡した。そして優しく傾けて、ボトル同士を触れさせた。
「乾杯……です。一旦休憩しましょう。結果は必要……でもぼくたちにはぼくたちのペースがありますから。そこには必ずぼくも見たことのない、いわの……きみの輝きがあるはずです」
あぶくはもうぱちんと破裂した。
喉を潤すのは、甘くて優しいきのみとモーモーミルクの味だった。