ポケモンと訓練して寝ちゃったマクワさんの落書き

日差しはゆっくりと天頂に向けて進んでいる。あちこちでいわがぶつかる音が響き、草を支える茎が折れて青臭い香りを放つ。高い枝の上の鳥ポケモンが囀る山のふもとは、木と木の間をうっすらと白い霧が体を伸ばし、空気の温度をひんやり下げていた。
岩や苔を踏み鳴らす音を裂くように、高らかな笛の音が響いた。

「集合、休憩です!」

少し開けた砂利の敷き詰められた広場にキャンプの用意とテントがこさえられていた。その前ではマクワがすでに食事の準備を整えていて、今トレーニングを終えて寄ってきたポケモンたちひとりひとりの前に皿を置いていく。
マクワは食事が全員にいきわたったことを確認すると、次は自分の分をテーブルの上に置き、ぱくぱくと食べていった。思い切りボトルの水を喉の奥に通す。
流石に朝早かったせいだろうか、こみ上げてくる欠伸はかみ殺した。
荷物用のテントから、今日改めて持ってきたトレーニング用の器具を取り出した。折り畳みの橇のような形をしていてサイズが調整できるものだ。先端には太いロープとベルトが括り付けられ、上に金属の重しが乗っている。重量を調節することができる代物だった。
引っ張って運ぶことで足腰と、何より精神力を鍛えるためのものだった。
手始めに60kg程を乗せた後、自分の腰にロープの括り付けられたベルトを装着する。それから広場をぐるぐると走り出した。腰回りからずしりと来る力は強いが、この程度であれば走りながらでも余裕だった。
少しばかり息を整えて、再びボトルの水を飲む。上がった体温に冷たさが心地よい。
ふとマクワが気が付けば、もう食事を終えてしまったバンギラスが珍しそうに橇を見つめていた。金属の重しを持ち上げてきょろきょろと見まわし、次の重しを見るために近くに出しておいてしまう。

「バンギラス、こら、何して……? ……そうだ」

マクワは思い立つと、まだ折りたたまれていた橇を広げ、残った金属板を外に置き、ぽんぽんとたたいた。

「ここに座ってくれませんか?」
「ばぎゃあ!」

バンギラスは頷いて、言われたとおりに橇の上に乗り、座り込んだ。

「よし、じっとしていてくださいね」

マクワはベルトが留まっていることを確認すると、再び砂利を踏み込んだ。一気に4倍近くの質量になった橇はじりじりとマクワの足を堰き止めようとするが、負けじともう片方の足を踏み込む。
時間をかけながら、ぐるりと広場を1周した。
バンギラスがきゃっきゃと楽しそうに手をたたきながら座り、引っ張られていた。
トレーナーは大きく息を吸い、吐き出しながら額から吹き出る汗を腕で拭った。

「……ふう、まだ負けませんよ」
「ぱぐるる!」
「シュポォ」
「ああセキタンザン。……懐かしいですね。きみがまだタンドンやトロッゴンのころはこうして……よく付き合ってもらったものです」

ちょうどセキタンザンの前に止まったマクワを、石炭の瞳が見ていた。
まだいわトレーナーとして駆け出しのころ、タンドンやトロッゴンの重さと車輪は未熟なマクワにとって格好の体力づくりのサポーターだった。
今と同じように彼の体にひもを括り付けて、近くの山や町中を引っ張って駆け回るトレーニングをしたものだ。マクワは再びバンギラスの座る橇に回ると、折りたたんだ部分を広げてスペースを作った。

「……そうだきみも……乗ってくれませんか」
「ポオ?」
「ぼくも一緒に訓練……させてください」
「シュポォ!」

セキタンザンは笑顔になると、バンギラスの後ろに座った。セキタンザンが振り返ると、すでにバンギラスはじっと座ることに飽き始めているのか、遠くを羽ばたくウッウを見つめている。
マクワもそれに気が付いたのか、一度マクワは自分のベルトを外すと、荷物からオボンの実を3つほど取り出して、バンギラスの前に置いた。

「もう少しだけ辛抱をお願いします。きみたちの重さがちょうど良さそうなので」
「ぐるう」

バンギラスが嬉しそうにきのみを拾い上げるのを見ながら、マクワは再びベルトを装着した。そしてさらに重量の増した橇を引き、重たい脚を振り上げる。

「……ぐぐ……さすがに……これは……効きますね……!」
「シュポー!」

セキタンザンが後ろを向いたまま、高らかに鳴き声をあげた。まるで汽笛のような声は、マクワの足を進ませるためのものだ。

「……わかって……ますよ……! う……ぐぐ……!」

ずる、ずる、ゆっくりと小石をかき分けて、橇が動いていく。マクワの白い臼歯と臼歯がぐっと強く食いしばられる。
セキタンザンは目をぱちぱちと瞬かせて笑った。ここまでスピードが遅いことはなかったが、過去に何度もあったものだ。いつも小さなマクワの背中を見ていたが、今は空を見る余裕がある。
あの時の背の大きさに比べても、ずいぶんと大きくなったことは、自慢ではないがきっとあのメロンさんよりも間近で見続けてきた。
思い出して再び声を上げた。重たい重たい橇は、時間をかけながらぐるりと広場を1周した。

セキタンザンが気が付いた時、すでに周囲は暗く、スタジアムは片付けに入り、ジムトレーナーたちがせわしなく動いていたところだった。ここはキルクススタジアムの廊下というところで、廊下はほかの部屋と部屋をつなぐ場所である。
ジムトレーナーのひとりがセキタンザンのボールを持ち、見上げている。

「……お疲れのところごめんねー! どうしてもお願いしたいことがあって。……バディをおうちに連れて行ってあげてほしいんだ」
「ボオ!?」

彼女が横に目をやると、廊下の隅に座り、植木の横で気を失うマクワの姿があった。よくよく見れば寝息を立てていて、眠っているらしい。ただし目の下にはくっきりと色がついていて、かなり疲れが溜まっているのがセキタンザンにも見て取れた。

「……ここのところずっとイベントや会議に試合詰めに……聞けば毎朝山でトレーニングもしていたんでしょう? さすがにかっこいいマクワさんでもお疲れだよね。いつもいつもスタジアムの締めの作業もマクワさんがやってくれていたから……今日はあたしたちがやって帰るから大丈夫だって……もし起きたら伝えておいてくれるかなー?」
「シュポォー!」

セキタンザンは大きく返事をすると、膝を抱えるようにして眠るマクワの大きな体を抱え上げた。自分の胸に頭を乗せて、足と背中を支えた。それからマクワの荷物も持ち上げて、腕に引っ掛けた。カバンの中で、マクワのスマホロトムが起動する声を上げた。

「うん、ありがとう! ……あ、道は……ロトムがいるから大丈夫かな」
「シュポ」
「……んう」

小さく身じろぎをしたマクワを見て、ジムトレーナーが笑った。

「あはは、マクワさん……なんだかいつもよりもちょっと嬉しそう……安心したのかなあ? それじゃあ頼んだよ! 気を付けて帰ってねー!」
「ボオー!」

セキタンザンはスタジアムを後にした。外はすでに冷たい風が吹いていた。真っ黒な帳の上で、星々がちいさな光を放っている。相棒が寒くないように、少しだけ背中の炎の温度を上げた。
ずらりと並んだ街灯は、優しく道を照らしていた。セキタンザンはスマホロトムがしゃべる声を聴きながら、ゆっくりと夜闇の中を歩いていく。

「シュポー」

柔らかなマクワの体は静かに呼吸を繰り返していた。力が抜けていてふにゃふにゃで、ひんやりした相棒は、月に見守られながら眠っている。
なんだかこの時間がまるでとっておきのようで、昔の遠い時間がここにあるようで、セキタンザンはとてもうれしかった。
今日訓練中に運んでもらった分は、自分が運んであげたい。そんな気持ちがふつふつと広がって、足を動かしていた。おそらくイベントや会議の仕事が多かったのか、セキタンザンは日中までの訓練以降ほとんどボールから出ることがなかったから、体力もまだ十分だった。
そのあとに長丁場の試合があることだって、ざらではなかった。
ずるずる下がってきてしまった柔い体を軽くぽんと持ち上げて、石畳を歩いていく。

「……ほしが……きれい……。あかいほしが……たくさ……ん……きらきら、してて……」

もごもごとマクワの口から発せられたのは、おそらく寝言だろう。力の抜けきった体はやっぱりずっしりと重たい。それでも。

「シュ ポォー」

つめたくて白い頬が石炭の胸に押し付けられる。
この星の下を歩いて帰ることができるこの時間を、セキタンザンはただゆっくり、ゆっくりとかみしめて、宝石箱の中に閉じ込めるのだった。