昨日、マクワに別れを告げた。
思い出せるのは、本当に毎日訓練ばかりしていたことだ。酷い時にはトレーニングと試合と、そしてマクワを応援するファンにお礼をするためのイベントでぎっちり予定が埋まっていた。
だから休みの時には、他の人間には見せられないような恰好をしていて、俺はそんなマクワを布団から引っ張りだしたりもしていた。誤解のないようにしておくが、自分の寝汚さを自覚していたマクワが頼んだことだ。
布団を丸めてそのままシャワー室へ連れて行ったり、それでも眼を覚まさない時は、思い切ってシャワーのお湯を掛けた。すると寝ぼけ眼は大慌てで見開かれるのだ。
俺の身体は石炭とほのおでできている。水が掛かれば負担になることを、俺のバディであるマクワは誰より一番知っていたし、極力普段回避したいと思ってくれていたからだ。
だけどそうやって、トレーナーであり、いつもは俺たちの面倒を見て、手入れをするマクワにお返ししてやるのはとても楽しい時間だった。
マクワもその事は理解してくれていたようで、俺が思い立って櫛やドライヤーを持っても止めたりはせず、そっと身を任せてくれていたのだった。
それも大分昔の話の事だった。思い出が溢れてくる。マクワが忘れてしまうような些細なことも、石炭といういわの身体で出来た俺は、たくさんたくさん覚えている。
出会った日の事は忘れもしない。まだ幼くて、真ん丸な髪型だった頃の彼は、突然俺が隠れ住む小さな洞穴に迷い込んで来た。
俺にはよくわからなかったが、厳しい母親との、自由の少ない今の生活があまり好きでないようだった。けれど俺と居る時はとても楽しそうにしていて、薄暗い洞窟に居る時ですら、灰簾石の色をした丸い目は興味津々に輝いていたのだった。
それは淡く透明で優しい、擦り硝子そっくりの光。だけどいわである俺にはわかる。それは磨かれる前の鉱物そのもので、そして温かい場所にいても溶けてしまうことのない、力強さを持った”同じ”煌めき。彼と離れるのは惜しいとさえ思った。
だってこの輝きを知っているのは、おそらく世界に今、俺たった一人のはずだからだ。放っておいてしまえば、これをこおりだとして連れていかれてしまう。
出来るだけ一緒に居る事で、いつか眩しく磨かれた”いわ”の煌めきなのだと証明してみせたい。
そんな思いが通じたのか、俺はマクワのモンスターボールに収まって、そうして今の今までずっと共に居る事が出来た。厳しいリーグの世界の中で共に眩い光を叫び、それからとうとう長いリーグ生活から引退をした。足を洗ってもなお、いわのポケモン達のためにずっと尽力し続けていた。
そしてきちんと最期を看取って、別れを告げる事が出来たのだった。彼の身体はもうほんの小さな灰になり、俺の掌に納まりすらせず、何処かへと連れていかれてしまった。
寂しさの風がすうっと抜けて行く。隙間を埋めるように、記憶が湧き上がる。
「人間は葬式の後、骨だけになって残るのですが……それは何より一番きみに近い姿です。いわも骨も無機物に違いありませんから」
冗談でもあまり聞きたくはなくて、俺は病室で、咎めるような、いじけるような声をあげてしまい、苦笑させてしまった。
「冗談……です。……ぼくはきみに全てをあげました。何処へ行ったとしても、通用する立派な力です。それがぼく自身の魂です。きみは……ぼくの墓標なのです」
俺は多分、目をぱちぱちさせていたに違いない。
「……これからもずっときみと一緒に居続ける、ぼくの魂。誇ってください。きみは自由だ」
そうだろう。これほど俺に向き合い続けた人間なんてそうそういない。本当にずっとずっと一緒に居て、ずっとずっと訓練に試合にと、あちこち引きずり回された。峻厳なトレーナーは、甘えを許さなかった。
そうして長い間ガラルのリーグのトップクラスに君臨し続けたのだ。
これから先、たとえどんな人間とバディを組んだとしても上手くやれるだろう。
これから先、たとえどんなポケモンが向かってきたとしても、簡単に負けはしないだろう。
マクワの磨き上げたクレバーなちからがいつだってついているのだ。
もしかしたら、彼よりずっと相性のいいトレーナーと一緒になって、もっと好きになれてしまうかもしれない。だがそれでも俺の石炭の中には必ずマクワが共に居る。
この世界を愛し続けたマクワがいるから、そうして何度でも世界を愛することが出来るのだ。いや、まだまだ先は遠い。マクワに負けない程、慈しみを降らせていこう。
蒸気機関車は、汽笛のような鳴き声を上げて走り続ける。そこにはマクワが乗っている。
これからも、ずっと。