セキタンザンのいわの檻の中にいるマクワの話

ぼくはいわの檻の中にいる。湿った洞窟の香りにも、砂だらけの床で寝ることも既に慣れ始めてしまった。一体ここが何処なのかはわからない。
気が付いた時、ぼくの前には、床と天井を繋ぐ岩でできた大きな柵があった。おそらくストーンエッジを並べたのだ。セキタンザンの出す岩の剣は、自分の身体に沿うのかどうしても山波になりやすく、下の方が太いことは良く知っている。
外から漏れる明るい光に影が伸びた。薄暗い洞窟だが、そこまで深くないらしく、誰かが入り口に立つとすぐに影が出来る。ちょうど外から戻って来たセキタンザンは、背中の炎をぱちぱちと輝かせ、揺らしながら抱えたきのみをどっさりと落とした。昏かった石窟に灯りが付いて、ぼくは思わず瞬きをした。
彼は柵の隙間からぼくにオボンの実を差し入れた。何も言わずに受け取ると、硬い皮を岩壁にぶつけて割り拓く。中からじわりと果汁が零れたので、慌てて啜った。

「シュポォ」

セキタンザンが自分の力で割ったきのみをぼくに差し出していた。ぼくはしばらくそのきのみとセキタンザンを見比べた後、受け取ることにした。

「……ありがとうございます」
「シュポォー!」

相棒の笑顔はいつもと何も変わらなくて、ぼくの心がふわりと浮かんだ。良くないことなのはわかっている。何度もセキタンザンを説得しようと試みた。だが彼の硬い意志はぼく以上で、絶対にここから出してはくれない。同時にセキタンザンがこの檻の中に入って来ることもなかった。
理由はわからない。ただ、彼が行動を起こす前、ぼくが仕事を入れすぎてしばらく寝込んでしまったことは記憶にもまだ新しい。
ぼくを人の世界から遠ざけようとしているのだろうか。せめてそう信じたい。
たくさんの仕事、たくさんのひと。ぼくを待っていることを考えると、ぼくはこんなところでじっとしているわけにはいかない。
ぼくだってまだやりたいことがあった。それはセキタンザンと一緒に叶える夢だ。彼もわかってくれていると思っていた。
だがしかし。

「ボオー」

何故かとても楽しそうなセキタンザンを見ていると、ぼくの心は歪に揺れ動いた。
ここに来てから、セキタンザンはとにかくぼくの面倒をみたがった。こうして食事の用意をしたり、排泄だったり、必要なものがあればすべてセキタンザンが調達してくれた。
ひとつひとつの行動が、以前のぼくたちの関係では見れなかったものばかりだった。だからなんだと頭では理解している。
でも、ぼくの手は彼から享受することを選択していた。

「ねえセキタンザン」
「シュポオー?」
「……ぼくたちこれから……どこへ行くのですか」
「ボオ」
「きみがこんなことする必要なかったのに」
「シュポ」
「何を言っているのか……わからないや」
「ボオー」
「……そうですね。……ぼく、またきみの手入がしたいな」

セキタンザンは何かに気が付いたように立ち上がり、柵に向かった。ごお、と彼が大きな口を開けて吼えると、まるで魔法に掛かったように柵のひとつが消えて、出入り口が出来る。
そこを通り、セキタンザンがこの檻の中に入って来た。彼がこうして中に来ることは初めてだった。セキタンザンはぼくの前に座り込むと、じっと顔を見つめた。彼の炎の吐息が掛かって少し暑かった。
それから手を伸ばして、ぼくの頭を抱え込んだ。

「わ、何、なんですか」

大きくて硬い指が頭皮を撫でる。髪と髪の間を通り、撫でつける。時に毛束を作って、わしゃわしゃと掻き混ぜる。もしかして、ぼくの手入をしようとしているのだろうか。
普段セットしている時を、真似ているような動きだった。

「せ……せき、たんざん……」
「シュボオ」
「ちょっと痛い」
「ボオ」
「我慢って……うぐ」

ひとしきり動きを終えると、満足したのかセキタンザンは手を放した。なんだか妙な気分だったが、セキタンザンも普段ぼくに触られている時、同じように感じていたのだろうか。
大きく息を吐いていると、再びセキタンザンが両手を伸ばした。今度はぼくの背中に回って、全身を抱きしめる恰好になった。
彼が彼自身のおよそ三分の一の重量を持ち上げたと思うと、両腕に力が込められた。みし、と骨と皮が悲鳴を上げる音が聞こえた。

「い、痛ッ……せきたんざ……ぐ……あ、ぁ……!!」

ぼくが声を上げてもセキタンザンは止めることなく、さらに力を入れている。全く動くことが出来ない。当たり前だ。人間より何倍も強い生き物なのだ。
そして彼の力を奪うことなく育てたのはこのぼくだった。戦いの中で使うために。しっかり鍛えて分厚いはずの胸板は思いきりプレスされて、中身ごと拉げそうだった。
突然の事に呼吸が上手くできず、意味のない音ばかりが口から出て行った。肺が潰れて、心臓さえもが圧迫されて、形を変えている。
これが、これこそが彼の本当のいわの檻だ。ぼくはその身で体感している。手加減なんてしない、彼の力を、ぼくがぼく自身で受けている。
目の前がちかちかと瞬き始めた頃、セキタンザンは両腕に込めた力を抜いた。塞き止められていた酸素を少しでも早く入れたくて、大きな口で息をしていた。
セキタンザンは厳しい目をしながら、ぼくを抱きしめていた。

「ゴゴオ」
「……はーッ、せ、……せき、たんざ……はぁ、はぁ……」

彼は、今この場所での主人が誰かを知らしめたいのだ。わかっている。痛苦で喘ぐ身体よりも、優秀なトレーナーだと自負する心が、バディに手を出されて何よりきりきり痛みを主張していた。

「……ぼ……ぼく、きみの……だから」
「シュボオ」
「きみの……バディだから……ここにいますよ。ぼくのいのちはきみの……」
「シュポォー……!」

セキタンザンが再びぼくを抱き寄せる。今度は圧迫のない、ただ寄せられただけのもの。両手を回したいが、両手ごと抱きしめられて動く事が出来なかった。
苦痛よりも、矜持よりも、もっと深くて重い繋がりを握りしめていて、手放すことなどできなかった。彼が居なくなってしまうことの方が何より怖くて、痛かった。
ぼくはいわの檻の中にいる。ずっと昔、彼と出会った時から、いわの檻の中にいる。