明日は軽いトレッキングに行きます。きみも入れそうな洞窟を見つけました。気にいると思います。
そう言って眠り夜を過ごし、いつもよりほんの少し遅い朝食を食べた後だった。多忙な日々の合間、完全な休日は貴重だ。
マクワが支度を整え、部屋を出るまでセキタンザンも、違う部屋で自分の荷物を用意して待っていた。道中、好きなタイミングで好きなきのみを食べる事が出来る。もちろん荷物を持ちすぎれば自分に負担が掛かる。
あとでマクワが何か言うかもしれないけれど、貯蔵庫からオボンの実を2つ持ち出した。
もっと辛いきのみがお気に入りだが、運動する時はさっぱりしたきのみの方が合うことをセキタンザンは良く知っていた。しばらく悩んでいたが、今回も運動に適したものがいいだろう。
以前好きなきのみばかりを持っていき、山の天辺で食べたマトマの実は本当においしかったが、帰りはちっとも身体が動かずに、下り坂が長くて長くてしょうがなかった記憶がある。
マトマの実は気持ちを高めてくれるが、身体を休めてくれる力はないのだ。ポケモンバトルは短期間で片がつくが、山登りは全く違う。時には何時間、丸一日と掛けて行うものだった。
その日の出発前のマクワの提言に従わなかったことを、だいぶ後悔したのだった。
そこでセキタンザンははたと気が付いた。向こうの部屋から、準備しているはずのマクワの物音が聞こえてこなかった。
それに出発の予定時間はもう目の前だった。気になったセキタンザンは廊下に出て、リビングルームへと歩みを進めた。
キッチンの向こう、背中を向ける二人掛けのソファの横に、荷物をまとめた大きなリュックサックが立てかけてあり、マクワは中央に座り込んでいた。奥の窓から優しい陽射しが入りこみ、細かい埃が舞っているのが見えた。
セキタンザンは横からマクワの顔を覗き込んだ。
「シュポォ」
「……セキタンザン。……ごめん、なんか……お腹痛くて……」
マクワは両の手で自分のお腹をぎゅうと抑え込んでいた。眉間に深く皺が寄っていて、額にはうっすらと脂汗が滲んでいた。顔色はあまりよくない。
セキタンザンはすぐに近くの棚からブランケットを引っ張り出すと、広げてマクワを包み込んだ。しかし彼は白金の頭を振った。
「でも、これくらいならすぐ治ります。……移動しているうちに平気になりますから。……うぐ」
「ボオ」
青年は突然立ち上がると、ブランケットを前に引っ張る。それからトイレに駆け込み、ばたん、と扉を閉める音が鳴って、壁に掛けてあった額縁が揺れた。
セキタンザンはしばらく目をぱちくりさせていたが、すぐに気を取り直した。これはもうトレッキングどころではないだろう。きっとマクワもそう思っているはずだった。
人間が腹痛を催した時に必要なものが他にもある事を知っていた。
ソファの横、ドレッサーの棚に薬品をまとめた籠が入っている。セキタンザンは器用に探り当てると、その中から腹痛用の鎮痛剤の茶色い瓶を見つけた。
次はキッチンへ向かうと、今度は金属製のカップに水を汲み、蓋をして自分の背中に入れた。すると背中を丸めたマクワがブランケットを引っ張りながら、トイレから出てきた。
まだ顔色は悪いが、眉間の皺が少し薄れ、汗も引き、さっきよりは落ち着いていた。ドレッサーに置かれた薬瓶に気が付くと、マクワはちょうどキッチンからやって来るセキタンザンを見た。
「……ありがとう……ございます……。用意周到だなあ……」
「シュポォ!」
セキタンザンは得意気に背中からカップを渡す。しっかりとお湯が出来上がっていた。
「……ちゃんと蓋もしてるから灰も入ってないし……石炭のにおいもついてないし……。もう、きみに文句言おうと思ったのに……文句の付け所がないじゃないか」
「ポー」
マクワはセキタンザンが用意した整腸剤をセキタンザンが温めたお湯で流し込んだ。丁寧に加減されたお湯は熱すぎることなくちょうど良く体を温めてくれた。
コップをドレッサーに置き、そして二人掛けのソファに横たわると頭までブランケットを被った。
「あーあ……楽しみにしてたのにな……。きみと今日洞窟行くの。ちゃんと自己管理もトレーニングもしてたはずなのに……。なによりぼく自身のせいなのも、耐えられないのも嫌だ……」
ぐるりと背中を向けて、丸い身体が縮こまった。人間にしては大きな身体だ。
マクワは身体を動かす事が得意でも、洞窟のような場所が特別好きな場所だと言うわけではなかった。
岩穴は、セキタンザンにとって居心地の良い空間だ。マクワは時々セキタンザンを洞穴に連れて行ってくれるが、しっとりとした落ち着く岩壁がぐるりと取り巻く間に居ても、天井で岩が何やら複雑怪奇な波模様をぐるぐると描いていても、大抵はバディの反応のほうを見て過ごしている事の方が多かった。
セキタンザンがその時に思い描くマクワの心の中は、バディが喜んでくれて嬉しいという気持ちと、いわポケモンのトレーナーで居られる喜びを噛み締めている気持ち。彼にとって洞窟はずっとずっと遠い存在なのだ。
その距離を小さくとも繋げることが出来たセキタンザンは、少しだけ誇らしい気持ちになったのだった。
だからきっと今日も同じ事ができるだろう。
セキタンザンはその不貞腐れた背中ごとさらにブランケットで巻いてやる。
「シュポォ!」
「……え? 一緒にいるの楽しくないのかって……。ふふ、参ったなぁ……」
簀巻きになったマクワが笑いながら頭を出した。
「予定変更しましょう。今日は部屋で……トレッキングとか、洞窟探検の映像でも探してみましょうか。もしかしたら面白そうな映画もあるかもしれません」
「シュ ポォー!」
ベッドから這い出たマクワが、テレビのリモコンを持ち上げた。
モニターは、いつだって2人の不揃いに寄り添う影を写し出している。